第21話 再会
「そうとなったら、乾杯しよ!」
悠香は叫んで、台所の方に立つと、ジュースとお菓子を持って来た。
「改めて、おめでとうござい」
「ん、ありがとう。あ、でも……カナちゃんだけ別になっちゃってるのよね」
「そう。ずっと前、手紙に書いたけど、あの子、秋山君に熱を上げっぱなしで、受験勉強に身が入らなかったみたいねえ」
秋山の名が出て、一瞬、どきりとする。
「そ、それだったらさ、今さら言っても遅いけど、勉強、秋山君に教えてもらったらよかったのにね」
「当然、そうしたのよ。だけど、例によって、かえって秋山君のことが頭を離れなくなっちゃたのかねえ」
苦笑しながら、首をひねる悠香。
「ま、どうでもいいのよ。カナったら、全然、気にしていないんだから。ずっと会ってるんだし。そりゃま、卒業式では大変だったけどね。それが今や、幸福の絶頂って感じ」
「え?」
背筋が冷たくなった。公子はそんな気がした。
「あ、これも言ってなかったっけ? そっか、手紙は二月の初めだったし、そのあとは忙しかったから……」
「何か、あったのね?」
声が震えないよう、ゆっくりと聞き返した公子。
「カナ、ついに告白したのよ!」
ねえ、聞いて。公子はそんな風に肩を叩かれた。叩かれた強さ以上に、自分の身体が揺れているような気がする。
「いつかしら」
「ほんのこの間。二月十四日、バレンタインデーにかこつけてさ。実は私、事前にカナから実行するって打ち明けられててね、その場を覗いてたのよ。はらはらしちゃった。場所、学校から少し離れた喫茶店だったんだけど、普段、あれだけ話せるくせに、あのときのカナったら全然。小さな声、そう、あれに比べたら、蚊の鳴き声の方がよっぽど大きいよ。で、何て言って告白したのかは、はっきり聞き取れなかった。それでもって、秋山君の方、少し間を置いて、うなずいて、優しく笑って――格好よかったわね。カナからのプレゼントを受け取って、一言、『いいよ』って」
「……」
「? 公子?」
悠香が目をぱちぱちさせる。
あ――と、声にならない息をこぼし、公子はようやく反応できた。
「どうしたのよ、もう。よかったじゃない。橋渡しした公子としても、うれしいでしょ?」
「え、ええ」
笑顔がひきつらないようにするのに一苦労。
(ユカは、私の気持ち、知らないものね。ユカに腹を立てちゃいけない。ううん、誰にも腹を立てるなんてできない。自分のせいなんだから)
公子は深呼吸してから、乾いた唇を湿らせた。
「じゃ、じゃあさ、もう付き合ってるんだ?」
「そうみたい。休みに入っちゃったからはっきりしないけど、二人きりで出かけてるの、一度見たし。けれど、あれはまだ、あつあつの恋人ってわけじゃないよ。なーんか、ぎこちないのよね。やっと始まったって感じかな」
「――ふうん。そっか」
(そうなのか)
公子はジュースを一口、喉を鳴らして飲み込んだ。なにがしかの感情も、奥に飲み込むように。
「春休みの間に、みんながそろう機会、あるよ。そのとき、いくらでも冷やかしてあげればいいよ」
「そうね」
無理にうなずいた。
「そうだわ。みんな、私が戻るって、知ってるの? 買いかぶりかもしれないけど、電話ぐらいあってもいいのになあって、思ったんだけど……」
「あ、それね」
秋山と要のことをせめて今は吹っ切るために公子が持ち出した話題に、悠香はいたずらっぽく笑いながら反応した。
「言ってないの」
「えっ。どうしてよ」
「みんな、驚かせたいじゃない。さっき言ったみたいに、全員が集まる日がきっとあるから、その場に急に公子が現れたら――ふふっ!」
「何だぁー」
少し、ほっとした。
「もう、人が悪いんだから、ユカは」
「熟慮の結果よ、これ。考えてもみて、公子が戻ってくると知っていたら、みんな、無理してでも今日は空けておいたと思うの」
「そうかしら」
「そうよ、決まってるって! でも、あなたって子は、こういうことにも必要以上に気を遣うんだから。無理してまで集まってほしくないでしょ?」
「それはまあ」
公子は素直に認めた。
「けど、私って、そんなはた目からでも分かるほど気遣い?」
「あらら、自覚ないんだなあ。そもそも、中二のときの転校だって、みんなが試験に集中できなくなったら悪いから、黙ってたんでしょうが」
「それは……そうだけど」
思い返してみると、あれは、単に打ち明けたくなかったが故に考え出した言い訳だったのかもしれない。公子の脳裏を、そういう意識がよぎった。
「それで、向こうの様子はどうだった? 手紙でも聞かされたけど、直に聞いてみたい」
「印象が強いのは、星空の鮮やかさ。こっちとは比べ物にならないくらい」
「そういうことじゃなくて、だ」
人差し指を振る悠香。目がにんまり、笑っていた。
「気に入った相手でもできたんではないかと」
「な、何よ、それ」
「こっちに戻って来たってことはつまり、向こうの高校を一年行っただけで転校したわけよね。別れが寂しくてたまらないわっ、てな感慨はない?」
「ないわよ。ほんとに、もう……」
「全然? まさか、人見知り病に逆戻りしたんじゃない?」
「そんなことないって!」
思い切り否定する公子。その両手は握りこぶし。
「それなら一人や二人、別れたくない友達がいるでしょ。何も男ばかり言ってんじゃないから」
「それは……もちろん、いたけど。こっちに帰りたい気持ちの方が、何倍も強かったわ」
「本当に? 不思議だなあ。元々の生まれ、ここじゃないでしょう?」
「そうだけど、ここが一番好き。ユカ達がいるもん」
「ふふん。かわいいやつ」
笑顔になった悠香は手を伸ばし、公子の頭をなでる真似をした。
(本当よ。特に……秋山君と会えたのは、ここなんだから)
悠香の家に全員がそろってから、五分。部屋からは、すでに楽しげなお喋りが漏れ聞こえていた。
(アメリカかイギリスのドラマの影響を受けすぎよね、ユカったら)
公子は皆がいる部屋の隣部屋に、一人でいた。昼間だから室内は明るいのだが、声だけは出さないように悠香から言われていたので、息が詰まりそう。
(こういうのもサプライズパーティって言うのかな? 私の靴まで隠して、よくやる……。合図、まだ? 早く、みんなと会いたい)
電話をじっと見つめる。
部屋から聞こえる声から、予定通り、みんな集まっているのが分かる。悠香はもちろん、要、秋山、頼井の四人だ。新聞部だった石塚は、私立の高校に入って遠方に行ったとかで、今日の参加は無理だったらしい。
「思い出したんだけどさ」
悠香の声。
(やっと始まった)
息をつきそうになり、あわてて口を押さえる公子。
「中二の夏だったかな? みんなで集まってさ、秋山君、料理作ったよね」
「記憶違いだよ、それ」
(秋山君の声。さっき、二年ぶりに聞いて、感激しちゃったな)
公子が隣室にいるのも知らず、秋山は続けた。
「僕は手伝っただけで、公子ちゃんがほとんど全部やったんだから」
自分の名前が、しごく自然に、秋山の口から出た。公子はそう感じた。
(覚えてくれてる!)
「そうそう。それが言いたかったの。ここに公子がいれば、あのときと同じだなって」
合図だ。悠香が初めて公子の名を口にしたとき、行動開始。
公子は受話器を取り上げた。
「二年、経つんだよな」
今度は頼井の声。
何を話しているのか気にかかったけれど、ボタンを押す。番号は、隣の部屋に通じるもの。
「あ、電話」
悠香の声は、事情を知っている公子にとっては、空々しく聞こえてしまう。
「もしもし」
とりあえず、これから始めよう。あとは、何も話さなくていい。悠香が一人芝居する手筈になっているから。
「え、その声――公子? 公子だよね!」
つばきが飛んで来そうな調子の声。
(大げさなんだから。月に一度は電話してたのは、みんなが知ってるんだから、そんなに驚かなくてもいいのに)
公子の心配をよそに、悠香の芝居は続く。
「すっごい、偶然。今、公子の話、していたとこなのよっ。うん、うん、みんな集まっててさ」
悠香の台詞の中に、公子の名前を聞きつけたのだろう。他の三人が、何となくざわついている様子まで伝わってくる。
「キミちゃんなの? 代わって、私、出る!」
要の声が聞こえた。
ここからが悠香の腕の見せどころ。
「ちょっと待って、カナ。あ、ううん、こっちのこと。聞こえた? カナちゃんも秋山君も、頼井のあほも来てるから」
「誰があほだ」
頼井の抗議には、あきれた響きが入っている。
(ほんとに変わってないね)
くすっと笑った公子。
「え? 戻ってくる? 本当に?」
ざわめきが一段と大きくなる。
「早く代わってよー」
要の甘えた調子の声が、再び聞こえたのを最後に、公子は受話器を戻した。これで悠香の脚本通り。
今度は二つの部屋を仕切るドアに、耳を寄せる公子。
「何で、切っちゃうのよー!」
「ごめん、カナ。公子、忙しそうだったから」
「それにしても、ひどいぜ。少しぐらいいいだろうに、信じられんことするな」
要に続いて、頼井が文句を言った。先ほどから、秋山だけは黙っている。
「いいじゃないの。すぐにこっちに来るって言ってたのよ、公子」
「すぐったって、四月からだろ? 高校、どこなんだ? 聞いてなかっただろ、おまえ。まったく、抜けてるんだから」
「ふっふーん。言うだけ言え」
勝ち誇ったように悠香。公子には、その様が簡単に想像できた。
(充分でしょ、ユカ? 早く会いたいったら! 合図の言葉よ!)
「もうすぐ、五人そろって遊べるようになるんだからね」
ようやく言ってくれたと、公子は耳をドアから離し、立ち上がった。
いざ、そのドアを開けようとして、ちょっと怖じ気づいてしまう。
(あれ? どんな顔したらいいんだろ?)
ノブに手をかけたまま、考えてしまった。でも、ぐずぐずしているわけにもいかない。
瞬間、言葉を思い付いた。気持ちが固まり、ノブを回した。
かちゃ。
「ただいま、みんな!」
はっきりした声で言った。
表現しようのない不可思議な空間が、一瞬だけ形成され、すぐに解ける。
「キミちゃん!」
「公子ちゃん、か?」
「……公子ちゃん」
要、頼井、そして秋山の声が重なる。三人とも、状況を把握できずに混乱した表情だ。
「黙っててごめんなさい。ほんとはもっと前から帰ってたんだけど、ユカに頼まれて、今日まで隠してたの」
順に三人の顔を見つめながら、公子は説明した。そして頭を下げる。
「い、いつ、帰ってきたの?」
最初に反応したのは、要だった。
「ユカのやりそうなこった」
天を仰いだのは頼井。
そして秋山は、右手を出してきた。
「お帰りなさい、ってところだね」
何故かしら少し寂しげな笑みを浮かべながら、それでもうれしそうな秋山。
彼の手を、公子は両手で握り返した。
「ありがとう」
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