第20話 二年の月日が流れ
* * *
玄関のドアを開け、エレベーターに向かう。でも、三歩も行かない内に、晴天のおかげで景色がよく見通せることに気がついた。エレベーターの扉の前を過ぎて、その先のらせん階段を降りながら、街並みを眺める。
手すりを重ねて見える、しま模様のかかった景色は、公子の記憶にあるものと変わっていない気がする。無論、このマンションは前に住んでいた家とは違うから、初めての景色のはずなのだが。階段を降りていくにしたがい、記憶にある目の高さに近づいていく。
管理人の部屋の横を通り、マンションを出ると、春の日差しが急にまぶしく感じられた。そして歩き始めると、景色が変わっていないというのも思い込みだったと気づかされた。
確実に減っていたのは、やはり緑。以前は、少しだけれども田畑が残っていた。それがきれいに消えている。点在していた空地は、もう、ほんの数えるほどしかない。
建物の高さが、平均して高い。家並みは、三角が減って、平らばかりが目立つ印象は、公子の気のせい?
道沿いに連なる店々も、目新しいものばかり。よく利用した文具店がなくなり、大きな書店に変わっていたのは、少しショックだった。
(違いばかりに目を向けるの、やめた)
見方を切りかえた公子。心なしか、歩調にゆとりが出てくる。
街のまとう雰囲気が、いちどきに懐かしい色彩を帯びた。
「――帰ってきたよ」
知らず、つぶやいていた公子。
足は自然と、中学校へ続く道を選んでいく。記憶にしっかり刻み込まれた通学路は、周りの風景と共にタイムカプセルに入れてあったかのよう。
(引っ越す日の前の夜、歩いたっけ)
思い出す公子。
(あのとき、寒かった。季節もそうだけど、寂しくて。今と正反対ね。昼間だし、これからどんどん暖かくなるだろうし、それに)
中学校の校舎が見えた。ゆったりしていた歩みが、一転して早足になる。
塀越しに、公子は校舎を見上げた。
静かだった。
(……春休みだもんね。クラブ活動だって、ほとんどないだろうし)
中学二年のとき担任だった先生は、すでに学校をかわったと聞く。他に知っている先生は何人もいるけれど、思い出話するほどではないと自覚している。
(入っても……いいよね?)
校門の前で一度、立ち止まる。門は開いており、そこから頭だけ覗かせ、きょろきょろと見回した。見とがめられるような気配はない。
どこに行こうかと考え、真っ先に浮かんだのは、校舎の西手の壁。門からはグランドを横切るのが最短距離。
(この格好だと目立って仕方がないわ)
私服の公子は、校舎の中庭を通る、やや遠回りのルートを選んだ。足を踏み入れた途端、肌寒い感じがする。日当たりがよくないからだが、植物や木々は何故かしら元気に育っている。ここも変わっていない。
校舎の西端に到着した。壁に触れてみる。
(秋山君が前に立っていて、私はこっちに背を)
今はまだ、太陽は左手をごくゆっくりと動いている。季節の違いはあるはずだが、あと数時間すれば、ここも夕焼け色に染まる。
(一番の思い出かな。とびきりいい思い出とは言えないけれど、一番印象に残っている)
そう回想していた矢先、別の場面がまざまざと再生された。
(いい思い出……あった。二年のときの運動会。最後のフォークダンスで、秋山君と初めて踊れた。練習のとき、一度も回らなかったのに、頼井君達が騒いで。そう、あのとき、頼井君に私の気持ち、見破られたんだっけ。ふふふっ、今でも黙ってくれてるかしら)
転校してからも、悠香を窓口に手紙のやり取りはしていたので、秋山を始め、悠香や要、頼井達の様子もおおよそはつかめていた。
(秋山君、頼井君、ユカは同じ高校で、カナちゃんだけ女子校に入ったと聞いたときは――)
公子は思考を途中でやめた。これを考えると、いつも自分が嫌いになる。要と秋山が別々の高校に入ったと知って、ほっとした自分が。
もちろん、要と他の三人とのつながりは切れていない。休みの日には、よくいっしょに遊んでいるという。
(結局、カナちゃん、秋山君に気持ちを伝えたのかしら?)
秋山を、そして要のことを思うとき、よくこの疑問が浮かぶ。
(私も相当、おっちょこちょいだ。転校する前、二人いっしょに歩いているとこ、見たけれど、あれって違っていたんだもんね)
引っ越す直前に、要とも電話で話をしたのだが、その際、公子が「秋山君とうまくいってるみたいで、よかったね」と言ったら、要に即座に否定されてしまった。不思議に感じて、二人きりでデートしているのを見たと告げると、あれは親類への用事の帰り、たまたま出会っただけという答をもらったのである。
要が告白したかどうかについて、悠香もさすがにつまびらかでないようで、手紙の中で触れていたことはなかった。ただ一度、中学卒業の日、要が秋山から制服の第二ボタンをもらって喜んでいたとあったきり。
(第二ボタンかあ。どう考えたらいいんだろ。告白して、受けてもらえたんなら、第二ボタンをもらう必要ない気がするし。二人がもう付き合ってるんなら、私もすっきりして……。嘘。私、秋山君とカナちゃんの仲が進展してないようにって、どこかで期待している。みんな、変わらないで、昔のままでいてほしいって)
また自分のことが嫌になってきた。
公子は頭を振った。それから走って校舎の正面に回り、大時計で時刻を確かめた。
(前の家があったところにも行ってみたかったけど、そろそろ時間)
心の中でつぶやいて、入ってきた門の方へ足を向ける。悠香の家を訪ねる約束をしているのだ。およそ二年ぶりにこちらに戻ってから、初めて会う。
(他のみんなとも会いたかったけれど、今日は都合が悪いのよね。ま、再会の感動は少しずつの方がいいか)
そう自分を納得させて、公子は悠香の家に向かった。
悠香の家も変わっていなかった。気になって、その隣の家の表札を覗いたところ、以前と同じように「頼井」となっていたので、何だか知らないけれど楽しくなる。
相変わらず、口喧嘩しながら仲いいんだろうなと思いつつ、呼び鈴を押そうとした。
「公子!」
ボタンに触れる前に、玄関のドアが勢いよく開いた。同時に、名前を大声で呼びながら、飛び出してきた悠香の姿が目に入る。
「わ、ユカ? ど、どうしたの、まだ押してないよ、ボタン……」
久しぶりに悠香の顔を見ることができ、勝手に顔がほころぶのを意識しながら、公子は聞き返した。
それにかまう素振りもなく、悠香は飛び出した勢いのまま、抱きついてきた。
「公子、ひっさしぶりぃー」
顔だけ離して、まじまじと見つめてくる。
「ゆ、ユカちゃん?」
「――うん、変わんないな」
よしよしといった風に、公子の肩の辺りを叩く悠香。彼女も笑みがこぼれて仕方がない様子。
「もちろんよ」
公子も、改めて悠香を見た。
「ユカも変わらないなあ。高二にもなるってのに、ジーパン。髪もまとめちゃって、折角の美人が男っぽい格好、もったいない」
「お世辞、うまくなったんじゃない?」
「いえいえ」
往来であるのも気にせず、元気よく笑う。
「それで、私が来たって、どうして分かったの?」
家に上がらせてもらいながら、最初の質問を繰り返す。
「気になって、窓から見ていたのよ。公子の姿が目に入ったから、急いで飛び出してきた」
「そっか。よくあったもんね、みんなで集まるときに」
「それにしても急だったね」
悠香の口調が、少し落ち着いたものになった。
「二月にもらった手紙には何にもなかったのに、下旬になって戻ってこれるって電話で聞いたとき、うれしかったけれど、びっくりもしたわよ。中学、転校するときも、話を聞いたのは急だったけど、本当はもっと前から決まってたんでしょ? 今度もそうだったんじゃないの?」
「ううん、本当に急だったの。こんないいこと、わざと遅らせるなんてしないわ。とにかく、忙しかったんだから。ユカと同じ高校に入りたいから、急いで手続きしてさ」
「そう言えば、あわただしかったから、聞いてなかったっけ。編入試験、どうだったの?」
「おかげさまで」
小さくVサイン。
「ほんと? ま、公子なら当たり前か。とにかく、やったね! これでまたいっしょ」
「うん!」
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