第19話 迫るタイムリミット

 二人は、白の道着に面と胴防具を装着した格好。手には、指を動かすことができる、かなり小さめのグローブ。選手は赤と白の腰帯で区別される。

 そんきょの姿勢から、審判の合図で立ち上がり、礼。そして互いに身体の中心線を見据え、対峙。間合いを計りながら、それぞれが円を描くように回り始める。しばらくしてから距離を詰め、突きを軽く出し合う。続いて蹴り。比較的低い位置を通って、道着越しに相手のすね付近に当たる。ぱしっと乾いた音がした。

 次の瞬間、それまでの攻防はフェイントだったかのように、高い位置への蹴りが飛び出す。互いに身を反らし、かわしていたが、ついに赤の前蹴りが白の胴にヒット。一本先取だ。周りにいる観客――生徒から歓声が起こる。

 勝負は二分三本勝負。すぐに続けられる。

 二本目は、赤が調子に乗ったように、前蹴りを多用。それを白は慎重にさばいていく。

 その内、赤がハイキックを繰り出した。それを待っていたかのように、白は蹴りを見切ると、相手の懐に飛び込む。そして担ぎ投げで横から落とした瞬間、観客がどっと沸いた。拳法という言葉から来るイメージで、蹴り合い、突き合いだけを頭に描いていたのであろう。日本拳法は突き、蹴り、投げ、そして関節技が認められている。

 投げは不完全で一本とは認められず。が、白の動きはスムースだった。倒れたままの相手の左上半身に着くと、素早く左腕を取った。そして、相手の肘関節を逆方向に曲げる十字捕――プロレスで言うところの腕ひしぎ逆十字の形に、一気に持っていった。足をばたつかせ、蹴りを落とそうとする等して、わずかな間、抵抗をした赤だったが、やがて参ったの意思表示。これで白が取り返し、一対一のタイスコア。寝技の攻防に、体育館内は盛り上がる。

 三本目。今度は赤も警戒したか、蹴りは低め。隙をうかがい再び寝技に持ち込みたい様子の白は、相手が仕掛けてこない限り、やりにくい。タックルを狙って不用意に近づいても、蹴りの餌食だ。

 しばし、緊張の間。それを破ったのは、気合いの声。

「せいやっ」

 我慢しきれなくなったかのように、白――秋山がややオーバーアクションで左の突き。

 それを相手の赤――頼井がキャッチ。手首を決める形で、ひねるように投げる。

 どさっと横転した秋山だが、その脇でしっかり頼井の右腕をかかえ込んでいる。倒れた状態で、上になった相手から突き――空撃――の形をもらえば、それでポイントを失う。そのため、頼井に腕を抜かせないようにしなければならない。

 が、頼井は右腕を引き抜くと、秋山の胸辺りに、気合いと共に突きを入れるポーズを取った。

 審判の手が、まっすぐ挙げられた。

「きゃあっ」

「頼井先輩、格好いい!」

 声援が飛ぶ中、頼井と秋山は元の位置に戻り、そんきょの姿勢を取る。そして開始の際と同じく審判の合図で立ち上がり、礼。

 日本拳法部の学園祭でのデモンストレーション、演舞は終わった。

「お疲れさま」

 戻って来た二人に、公子達はそろって声をかけた。

「決まってたろ?」

 面を取った頼井が、特に悠香に対して自慢げに言った。

「あほらし。本気じゃなかったんでしょ?」

「それはそうだけど。くじ引きで決めたんであって、俺が強制したわけではない。なあ、秋山?」

「それはともかく、あの演出はなあ」

 グローブを外しながら、納得しかねる様子の秋山。

「一、二本目はいいけれど、三本目がね。いくら分かりやすいからって、あれじゃあ、合気道だよ。それも漫画に出て来る」

「細かいことは気にしない、気にしない」

「普通に、乱取りでよかったと思うんだけど……」

 いいながら、自分の左手を見つめている秋山。

「手、大丈夫? ひょっとして」

 公子が尋ねた。要も心配そうにしている。拳法部の女子マネージャー二人は、頼井の方につきっきりなのだ。

「あ? ん、平気だよ」

「だけど、凄い投げられ方だったわ」

 今にも身震いしかねない要。

「あれは、僕が自分から飛んでいるからね。受け身さえ取れば、何ともないよ。実際に痛かったとしたら、僕より頼井の方だよ。二本目の十字捕、割と力を込めて絞ったからね」

「でも」

「そんな不安な顔されても……。痛そうに見えた? それなら、僕の演技も捨てたもんじゃないな」

 いくらか得意そうに、秋山は笑った。それを見て、公子はやっと安心できた。

「じゃ、着替えてくるから、待ってて」

 秋山は、まだ女子の声援に応えている頼井を半ば連れ去るようにして、控え室に入っていった。それでも、まだ声援が続いている。

「相変わらず、頼井君、人気ある」

「どうして分かんないかねえ、あいつのふざけた性格が」

 公子の言葉を強く否定する悠香だった。

 やがて学生服に着替えて出てきた秋山達といっしょに、各展示を見て回り始める。

「どこから行く?」

「新聞部は展示しないって言ってたもんね、石塚君」

「決まってないなら、理科部を覗いてみたいんだけど」

 秋山が言った。

「星をテーマに取り上げてるらしいから」

「なるほど。じゃあ、そこから」

 理科部展示は一階の理科室でやっていた。

 入り口から覗くと、前の黒板に星図が張り出されていたのが、まず目に入る。模造紙に手書きの労作らしい。色はもちろん、星の明るさごとに丸の大きさが変えてある。星座の絵柄が、少しコミック調なのはご愛敬。

 あとは、定番の北極星の見つけ方を始めとして、ギリシャ神話の解説が二つ、太陽の動きの観測結果等があった。当たり前ではあるが、本物の科学館と比べるとやはり見劣りする。

「期待はずれだったんじゃない?」

 公子が聞くと、意外にも、秋山は首を横に振った。

「こういうことをやってくれるだけで、うれしくなるんだ。それにもう一つ、楽しみがあってさ」

「え?」

 公子が聞き返したそのとき、タイミングよく、アナウンスが始まった。

「えー、ただいまから、ペットボトルロケットの実験を行いまあす! ご覧になりたい方は、外に回ってくださあい!」

 一年生だろうか、男子が顔を真っ赤にして声を張り上げていた。

「これだよ」

「そっか、飛行機関係ね」

 そこで五人で、外に移動。

 すでに設置されてあるペットボトルロケットの向きから、校舎と並行に、裏庭をいっぱいに使って実験は行われるらしい。

 とりあえず、部員がやってみせるようで、準備を始めた。水が半分ほど入ったペットボトルに、今度は自転車の空気入れを使って空気を詰めていく。それに従い、ボトルはぱんぱんに張っていく。

「よし、もういいだろ」

 そんな声がして、ついでロケットの飛ぶ方向に対して注意が促される。

 準備完了。部員の一人が、ペットボトル底部に着けられたプラスチック製のコックを開く。

 短い音がしたかと思うと、ペットボトルは水を噴き出しながら、斜め上方向に飛び出し、放物線を描いた数秒間の飛行のあと、ごとんと地面に落下した。

 途端に起こる、感心したような大きな拍手と歓声。特に、小学生ぐらいの子供達は大喜びしている。

「凄いね」

 こちらも感嘆している秋山。

「あんな簡単な仕組みで、飛ぶんだよなあ。飛行機とは別の意味で、わくわくする」

「水をまき散らかさなきゃ、もっといいのにな」

 本気なのかどうか、頼井がそんなことを小声で言った。

「じゃあ、秋山君、将来、目指すはパイロット?」

 要が目を輝かせている。

「なれたら楽しいだろうな! でも、もう一つ、空でも宇宙でもいいから、飛ぶ機械を作るのも面白いかもしれない。とりあえず、手始めに、ラジコンを手作りしてみたいな」

「えー? ラジコンて、手作りできるの?」

「やろうと思えばできるよ。ただ、すこーし、お金がかかる。残念だけど、今すぐには無理かな」

「……」

 黙ってじっと秋山を見る公子と要。

「はは、やっぱり、子供っぽいよね」

「ううん、そんなことない」

 要に続いて、公子も力説。

「そうよ。私達、まだまだ子供だもん。変な風に気にしないで、やりたいことやらなきゃ」

 それを耳にした頼井は、誰にも聞こえないような小さな声で、ぼそりとつぶやく。

「公子ちゃんこそ、やりたいようにしたらどう? 変に気を回さずにさ」


 繁華街を行き交う人は、誰もが暑そうだった。十一月中旬というのに、夏が忘れ物でもしたのか、急に戻って来たような暑い休日の午後。

「こんな日に、コートを買いに行くなんてねえ」

 隣の悠香を見ながら、公子はつい、こぼした。

「いいじゃない。ほしいんだから」

「はいはい、付き合いますよ。ただ、巡り合わせが悪い感じ」

「今日暑くても、明日暑いとは限らない。季節は冬に向かっているのだ」

 元気よく唱える悠香。彼女はふと思い出したように、話題を転じた。

「要がいないと、何となく、欠けている気分だね」

「うん。用事って、何なんだろ」

 今日の買い物は、悠香と公子の二人だけで来ている。要も誘ったのだが、その日は用事があるからだめという返事だった。

「秋山君を連れてくれば、あの子だって、用事を放り出してでも来たろうにね」

 悠香の笑いながらの一言に、公子は無言で笑みを返した。

「やっと見えた。あそこのお店よ」

 こざっぱりしたファッション服のお店。客層の幅が広そうに見える。模式化されたドレスが、白地に黒で描かれている看板が、店先でかすかに揺れていた。

「実は、ちょっと迷ってるんだ」

 店に入るなり、一方向にまっしぐらの悠香。急いで公子は追っかける。

「よかった。まだあった。ほら、これとこれ」

 ハンガー二つを指先に引っかける悠香。一つはシンプルで飾り気もワンポイントぐらいのコートで、もう一つは首周りに白い毛をあしらった、見た目がちょっと高そうな品だった。

「どっちがいいかな? 意見を聞かせてよ」

「ユカには、どっちも似合いそう」

 正直なところを述べる公子。

「それじゃあ困るんだけど。私も悩んでんだから」

「でも、本当に……。待ってよ。この店のライトがあるから」

 公子は一度天井を見上げ、淡い黄色の光線を確かめた。

「外で着るなら、こっちだよ、きっと」

 シンプルな方を指さした。

「こっちが絶対いい。そっちは、こういうとこじゃないと浮いて見えるかもしれないわ」

「言われてみたら……そうかもね。よし、決めた。ありがとね」

 いらなくなった方を戻し、悠香はそのまま店員をさがしてかけ出していった。

「外で待ってるねっ」

 そう言って、公子は店から出た。店のウィンドウに飾られているジャンパースカートが、気になっていたせいもある。

 店を出て、何気なく通りの向こうを見たそのとき――。

(あ)

 声をなくして、目を何度もしばたたかせる公子。

(秋山君と……カナちゃん)

 公子が見たのは、並んで歩く二人の姿。

(カナちゃん、用事ってそういうことだったの……。楽しそうだね。いつの間に、そんなに進んでたの? 凄い、かなわないなあ。あは。転校が決まって、本当によかった……)

 公子から二人に声をかけることはできなかった。仮にそうしようとしても、秋山と要の姿は、すでに人混みの中にまぎれて、分からなくなっていた。

「お待たせ!」

 悠香のはずんだ声が聞こえた。

「買っちゃった。これでまたしばらく、金欠病だわ。……?」

 反応のない友人を訝しく思ったか、悠香は公子の正面に回り込んだ。

「おーい、どしたん?」

「え――あ、ああ、ユカちゃん」

「ユカちゃんじゃないでしょ。ぼーっとしてたみたいだけど」

「ううん、何でもない。ちょっと……暑さで頭がぼけてたかもしれないけど」

「そこまで暑いかしら?」

 腰に両手を当てて、首をひねる悠香。

「まあ、いいわ。次は公子の行きたいところ、付き合うから」

「あ、うん。そうね」

 生返事しかできない公子。

「あのねえ。どうしたの? 本当に大丈夫? 熱があるとか」

 と、公子の額に右手の平を当てる悠香。公子は意味もなく、目を閉じた。

「熱はないみたいね」

「何でもないったら」

 目を開け、笑みを作る公子。

「――映画、行きたくなっちゃった」

「……それはまた唐突な」

「もしお金が大丈夫なら、付き合って。少しぐらいなら足りない分、私、出すから」

「何を観に行くのよ」

「そうねえ……」

 公子は、近頃話題のサスペンス物の題を挙げた。

「いいでしょ?」

「かまわないよ」

 悠香の合意を得て、映画館に向かう道すがら、公子はずっと考えていた。

(転校のこと、みんなに打ち明けなくちゃいけないな……)


 期末試験が終わり、二学期も、ひいては今年一年も残すところ少なくなっていた。

(ずるずる延ばしてきたけど、もう打ち明けなくちゃいけない)

 実際のところ、試験前に担任の先生から、ぎりぎりまで伏せておくのも何かと問題があるからと、早く伝えるよう促されていた。だが、打ち明けることで、もしもみんながテストに集中できなくなって成績が下がっては悪いという気持ちもあって、先延ばしにしてもらっていた。

(自分からは言えないな)

 だから公子は、先生からみんなに言ってもらうことにした。

 それが今日。これからのホームルームで、先生の口から言ってもらう。

(前もそうだったな。小四のときでも、友達と離れるのが嫌で嫌で、泣き明かしたり、ずっと電話したり。今度は……もっと)

 腕枕に、顔を横にしてうずめた。

 周りのみんなは騒がしかった。普段通りだ。このまま、ずっとこうしていたい。

 その願いはすぐに壊された。

 教室の、前の戸が引き開けられ、先生が入ってきた。


――つづく(第二章・終わり)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る