第18話 経験値の違い

「――君に言われた通り、母親を大事にした結果だよ。ほら」

 軽く笑う頼井。手にはビニール袋。公子は首を傾げた。

「母さんから買い物を頼まれて、コンビニまで走ってきたところさ」

「だったら、早く渡してこなきゃ」

「今夜中に手に入ればいいんだ。それより、嘘だろ」

「え……」

「忘れ物。かばん閉じたまま、夜歩いているときに、忘れ物に気づくなんてねえ。それに、ユカのところに寄った様子もないし」

「……ばれちゃったか」

 舌をちらっと出す公子。

「今から一人は気になるな。送るよ」

「そんな」

「いいから、ちょっと待ってて。こいつを母さんに渡してくる」

 手にしたビニール製の買い物袋をかざしてから、頼井は自分の家にかけ込んでいった。そして一分もしない内にまた飛び出してきた。

「行こう。公子ちゃんの家、どこだか知らないけど」

 二人は並んで歩き始めた。

「続きになるけど、どうして忘れ物したなんて、そんなお芝居をするんだ?」

「べ、別に理由なんて」

「理由がないってことはないでしょうが。理由もなしに、忘れ物をしたふりをして、ここまで戻って来たら、変人だぜ」

「……誰にも言わないでね」

 そう切り出したものの、どこまで話すかまだ決めかねている公子。

「言うなってんなら、言わないよ。頼井健也、口は軽いが約束は守る」

 頼井のおどけた話しぶりに、少し、気が楽になった。

「――あのね、カナちゃんは、秋山君が好きなの」

「うん、そうだろうね。あれだけあからさまだと、端から見ていて分かるよ」

「でも、もう一歩、進まないのよ。だから、二人きりにしてあげようと思って」

「待った」

 頼井の口調が、にわかに真剣味を帯びた。公子はびくりとして、相手の顔を見上げた。歩みが遅くなる。

「どうしてだよ? 公子ちゃんこそ、秋山が好きなんだろう?」

「頼井君……やっぱり、気づいていたんだ……」

 恥ずかしくなり、視線を落とす。

「ああ。これまでもときどき、あれ?と思うことあった。だからこそ、運動会のフォークダンスの前にあちこちに頼み込んで、時間いっぱい曲を流してもらえる段取りを付けたんだ。結構大変だったんだぜ」

「……ありがと……」

「いや、お礼を言って欲しいわけじゃなくってさ。あのときの公子ちゃんの様子で、確信が持てた。この人は秋山が好きなんだなって」

「――最初の勘が鋭いんだね。さすが、色んな子と付き合ってるだけある」

「冗談でごまかさないで。心配して言ってるんだ。秋山のこと、あきらめるのかい?」

「……あきらめざるを得ないんだ、私は」

「何で」

「……本当に、言わないでよ。お願いだから」

「言わない、絶対に」

 いつになく、頼井はまじめだった。本気で心配してくれている。

「転校するの」

「え……公子ちゃんが?」

 少なからずショックを受けたようだ。いつも見た目を気にしているはずの頼井が、ぽかんと口を半開きにしている。

「うん。今年いっぱいでお別れ。離れ離れになったら、きっと忘れられるわ。カナちゃんは少なくともあと一年半ぐらい、秋山君のそばにいるでしょうね。それなら、カナちゃんを応援してあげたい。だから」

「――待って。だからって、身を引くことないじゃないか。秋山に打ち明けたらいい、公子ちゃんの気持ち」

 分からないという風に頭を振る頼井。

 公子は相手から視線を外し、言葉を選ぶ。

「私達三人――私とカナちゃんとユカちゃんは、何でも話せる仲で……いつだったか忘れたけど、カナちゃんが宣言したの、秋山君が好きだって。私、そのときに言いそびれちゃって。そして、もう取り返せないぐらい、時間が過ぎちゃったから」

「納得できない」

 きっぱりと頼井。

「友達が大事なのは分かるけどね。フォークダンスのこともあるし、秋山を今でも好きなのは好きなんだ?」

「……」

 言葉は出なかった。けれども、自然に身体が動く。こくりとうなずいた。

 次に顔を上げると、また涙が頬を伝っていた。

「転校が決まって、すっきりしたの。これでみんな、忘れられるって」

「嘘つくなよ」

 公子の前に回った頼井が、厳しい表情をしている。自然と立ち止まる。

「自分に嘘をつくな、公子ちゃん。何か……俺まで泣きそうだぜ」

 言って、頼井は鼻をすすった。

「……ごめん。女の子にこんな話させちまうなんて、最低だな、俺って。察してあげなきゃいけないのに。全然、勘、よくないぜ」

 頼井の笑い声は、空しい響きがあった。

「でもな、聞いたからには、言わせてほしい。俺だったら、自分の気持ちに正直にしたいよな。友達のことで苦しいのは分かるけど、自分の気持ちを押し殺す必要はない。そう思うよ」

「恐いんだもの、私」

 公子は顔をそむけ、震える声で答えた。もう正面から見られたくない気持ちが起こり、歩き出す。

「自分の気持ちに正直にして、私だけが傷つくのならまだいい。けれど、私が秋山君に気持ちを伝える行為自体、カナちゃんを傷つけることになるわ。それが恐いのよ。打ち明けた結果がどっちになっても、カナちゃんとの仲が元のままに保てるか自信ない」

「じゃあ、秋山が要ちゃんをふって、なおかつ、秋山の方から君に告白してきたら、受けるのかい?」

「……分からない。考えもしなかったわ、そんなのって。カナちゃんが打ち明ければ、きっとうまくいくと思ってるし」

「結局、自分が我慢すればいいと思ってるんだ」

「……」

 返すべき言葉がない。

「もう少しだけ、言わせてほしい。秋山は、まだ、公子ちゃんが気になっているよ。それは間違いない」

「……どうしてそう思うの? また、『見てたら分かる』?」

「他にもある。ありがちなことさ。俺にとっちゃ当たり前だから気づくのが遅れたけれども、秋山の奴が女の子を下の名前で呼ぶの、公子ちゃんだけじゃないか」

「――」

 はっとして、両手で口を押さえる公子。気持ちに何かが染み入る感覚。

「まさか君自身、気づいてなかった? 他の女子にはたいてい名字に『さん』付けだぜ、あいつ」

「……私、小学校がいっしょだったからね、きっと」

「まだそんなこと言うの」

 半ばあきれたかのように、息をはく頼井。

「君自身が一番感じているはずだよ。秋山の、君だけに向けられた優しさを」

「……」

「でも……多分、もう口出しできるような状況じゃなさそうだね。俺の口から、要ちゃんにうまいこと伝えてみようか」

「だめっ」

 公子は再び、頼井をしっかり見据えた。

「カナちゃんは真剣よ」

「公子ちゃんもね」

「……そんな意地悪な言い方をする人、嫌いよ……」

 胸が痛かった。

「ごめん。……いつ、他のみんなに打ち明けるんだろ、転校のことは?」

「ぎりぎりまで、言えそうにない。先生にも、言わないでってお願いしてるぐらいよ」

「秋山にもぎりぎりまで言えない?」

「多分ね。そう、秋山君だからこそ」

「分かった。誰にも言わないよ。――こんなことしか言えない俺、許してくれよな」

「ん?」

「友達のことを思い、それでいて自分に正直であるのって、大変かもしれないけど……『いい加減』に『がんばれ』」

「いい加減に……がんばる?」

 相反するような言葉を贈られ、戸惑いを覚える。

「ほどほどにがんばろうってことさ。いい加減ばっかじゃだめだし、がんばってばかりじゃ疲れて壊れちまう。難しいことには、ほどほどがいいんだよ。俺なんか、いつもこの精神で女の子と付き合ってる」

 最後はまた、いつもの頼井に戻っていた。

「ありがとう」

 ふふっと笑って、公子は礼を口にした。

 ちょうど、公子の家がすぐそこに見える場所まで辿り着いていた。

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