第12話 元通りになるために

 互いの名前を声にしたあと、少しの間沈黙が訪れる。先に口を開いたのは、公子の方だった。

「お、おはようねっ」

「お、おはよう」

「……あの、さっきはごめんなさい。私のせいで」

「さっき? さっきって……ああ、あの後ろを振り向いた……」

 手を額に持っていく秋山。目線を彷徨わせている風に見受けられた。

「格好悪かっただろ。いや、公子ちゃんは悪くない。絶対悪くない。つい、気になって」

「……私もそう」

「……昨日、あれから大丈夫だった?」

「うん……」

「よかった。心配だったんだ。あとから考えて、放ったらかしみたいにしちゃったな、と」

「平気よ。私のことなんか心配しないで」

「……」

 視線を自分の足下に落とし、ふーっと息をついた秋山だった。それからまた顔を上げ、公子を見つめてくる。

「とりあえず、よかった。話しかけてきてくれてほっとしたよ。友達ではいられるんだってね」

「当たり前よ。……今朝、早かったみたいだね」

 気になっていた点を言葉にしてみる。

「今朝は私も早く出たつもりだったのに、秋山君に会わなかった」

「あ――っと、それは、思いっ切り早起きしたから、道場で一人で練習をしていたんだ。夢中になってたら、一時間目に遅れそうになったけど」

 片手を今度は後頭部に当て、照れたような笑いを浮かべる秋山。

(何かを忘れようとしていた、吹っ切ろうとしていたね)

 聞けない言葉を胸に、公子はこくんとうなずいた。

「その内、みんなでプラネタリウム、行こう」

 思い出したように秋山が言った。

「ええ、きっと」

 公子が答えたところで、二時間目の開始を告げるチャイムが鳴った。


 噂にならなくて助かった、と公子は思っていた。

 小学生のときのように、秋山から告白されたことが噂として広がってしまうと、要に伝わり、面倒な事態になりそうな気がしてならなかった。けれど、その心配はもうなくなったと見てよさそう。

「今度の日曜だね、プラネタリウム」

 公子の右隣で要が言った。秋を迎えつつあるためか、腰を下ろした芝は薄く茶色がかっている。

「楽しみだなぁ」

「あんたはいいかもしんないけど」

 とは、公子の左隣の悠香。足首から先を左右ともしきりに動かしている。

「あのばかの相手をせにゃならん私の身にもなってよ。疲れるわ」

「あらあ? いいと思うけどなあ」

 まじめに反論する要。

「気は合っているように見えるけど」

 それには同感と、公子もうなずく。しかし、悠香は強く否定。足先の動きを止めて、上体に力が入るのが分かった。

「冗談! 喧嘩友達みたいなもんだわ、ったく」

「頼井君、同級生はもちろん、一年生にも人気あるよ。知らない?」

「知ってますよー。知ってるから嫌なの、あのすけべが。順番にみんなとデートしてるのよ、信じられんわ」

「どうして知っているの?」

 奇妙に感じて、公子は言葉を挟んでみた。

「何が?」

「頼井君がみんなとデートしてること」

「家近いと嫌でも目に入るんだよね。土曜とか日曜に、あいつが似合わないおしゃれして、いそいそと出かけて行くとこが。あーあ、あんな奴の隣なんて」

 悠香は顔をしかめ、舌を出した。

 そのとき、後ろから声がかかった――当の頼井から。

「誰の話をしているんだ、うん?」

 三人が振り返ると、声の主の頼井の他に秋山もいる。

「聞いてなかったなら言いたくないし、聞こえていたのなら言う必要はない」

 悠香は悪びれず、はっきりとした物腰である。

「ふん。ま、いいさ。それにしても、こんな場所で相談とは、まだまだ女のことはよく分からないな」

 今度のプラネタリウム行きの話を細部まで決めてしまう約束をしていのだ。わざわざ校舎の外で話をしなくても、という頭が男子にはあるのかもしれない。

「まず伝言」

 頼井と共に来た秋山が、いささか事務的に始める。

「石塚の奴、都合が悪くなったんだと。行けないって」

「何かあったのかしら」

「あいつ、新聞部だろ? もう少し先の予定だった他校との交流が、早まったんだってさ」

「そうなの。残念」

 声を落とす公子。それからすぐに疑問が浮かんだ。

「それじゃあ、今度は五人になるの?」

「……誰か連れて来た方がいい?」

 少し間を取り、秋山が言った。無論、公子一人だけじゃなく、女子全員に向けられた言葉である。

「自分としては」

 頼井が言った。多少、いやかなりにやけた表情。

「二対三の方がうれしい」

「いつものようにはいかないわよ」

 悠香は釘を差すのを忘れない。声も一層きつめになった。

「それで、どっちなの?」

 肩を小さくすくめる秋山。あきれた風な口振りで、皆を見渡す。

「五人のままでいいっ」

 要は胸の高さに持ち上げた両拳を握りしめ、力説した。

(カナちゃんはそうよね。秋山君がいればいいもの。私も……)

 公子は、知らず描いていた思考を、はっとしてやめた。

「公子ちゃんは?」

「あ、私もこのままがいいなぁって。あはは」

 これに秋山が即座に反応した。怪訝そうに眉根を寄せている。

「何で笑うの?」

「え、あ、あのさ、石塚君が戻って来たとき、はみ出るようなことになったら悪いでしょ。だから」

 我ながらうまい理由じゃないかしらと内心、自画自賛する。

「なるほど」

 秋山と頼井も納得したか、どこかコメディめいた態度で、うんうんとうなずき合った。

「次、集合場所と時間は?」

「いつも通り、H**駅の正面改札に……十時半?」

 悠香がみんなの意向を確かめるように言った。

「ちょっと待って。言うの忘れてた……」

 秋山は、ポケットから何やらメモを取り出した。

「何、それ?」

「プラネタリウムの上演開始時刻。夏休みの最中に、科学博物館に電話して聞いたんだ。公式ホームページの更新日付が古くて、信用していいのか分からなかったし」

「さあすが」

 手を叩いて喜ぶのは要。

「尊敬しちゃう」

「俺だって、普段のデートなら、これぐらいは調べるよ」

 頼井の主張。

「すると何かね。私ら相手では、本気になって調べてなんかいられないと、こういうわけ?」

 揚げ足を取るのがうまいというか何というか、悠香はまた、頼井にいちゃもんをつける。

「うーん、公子ちゃんとカナちゃんだけなら、そうでもないんだけど、ユカがいるとねー、どうも気が乗らなくて」

「あー、そうですか。どうせ」

「漫才はそこまでにして」

 秋山がメモを見ながら、話を元に戻そうとする。

「一時間強の上演が日に四回ある。各開始時間は、〇九:二〇、一一:四〇、一三:四〇、一五:二〇。ちなみに館そのものは九時に開く」

「駅から博物館まで何分かかるのかしら?」

「乗り継ぎの待ち合わせなんかを考えると、五十分ってとこ。もちろん、着いてから入場券を買うわけだから、もう少し余裕を見て、一時間ぐらいが無難かな」

「三回目の上演がいいんじゃない?」

 悠香がメモをちらと覗き見てから、意見を述べた。

「一回目は早すぎるし、四回目は遅すぎ。二回目はお昼に重なっちゃうから」

「それもそうよね」

 同意する公子。他のみんなも納得した様子でうなずいた。

「じゃあ、結局、駅への集合時間は」

「最初に言った通りの、十時半でちょうどじゃないの」

「えっと」

 少し上目づかいに、計算する様子の秋山。

「ま、そうかな。仮に早く着いても、他に見るところはいくらでもあるから」

 決まった。

「一応、聞いておくけど、プラネタリウム、初めての人は?」

 秋山の質問に、頼井を除く三人が手を挙げた。

「あんた、行ったことあるの?」

「甘く見ないでもらいたいね、悠香クン。プラネタリウムは、デートコースの定番の一つに数えられお、手軽で――あてっ」

 話の途中で、悠香からげんこつが飛んだ。

「初めてだと何かあるの?」

 要が不安そうに聞いた。

「いや、たいしたことじゃないけど」

 帰る素振りを見せる秋山。

「行っちゃうの? 気になるわ、秋山君」

 要と顔を見合わせてから、公子が聞いた。秋山はくるっと振り返って、

「前の日は早寝すること。いい?」

 と、いたずらっぽく笑った。

「分かった。プラネタリウムって暗くしてやるものだから」

「公子ちゃん、正解。くれぐれも眠ってしまわないように! ははは」

 秋山のいかにも楽しそうな笑顔とは正反対に、要の表情は不安げに曇っていった。暗いと眠くなる質らしい。

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