第11話 翌日
* *
眠れない。
目、こんなに真っ赤なのに。
涙、出尽くしてしまった? ううん、まだ残っている。頬を伝って、ぽたぽた、下に落ちるぐらい。
秋山君……。
小学生のとき、あんなことがあったのに。それなのに今また、私なんかに気持ちを伝えてくれた。うれしい。
うれしいけれど、今はだめ。
カナはあなたのことが好きなの。気づいていない? あんなにはっきり、気持ちを表に出しているんだよ。
カナの気持ちをどう受け止めますか? それが気がかりです。
まだ、あなたが私のことを想っていたなんて……。あなたが今後、カナを受け入れても受け入れなくても、私はカナに笑顔では会えなくなりそうです。
私はどじだから、カナに先を越されちゃった。あのとき、私も秋山君が好きだって言えていれば、こんな悲しむこと、なかったんだろうね。――でも、言えなかった。
カナは私の大事な親友の一人。彼女を応援する一方で、あなたへの想いを抱いているだけでも、ちょっぴり罪悪感を覚えているのに。あなたからの告白を受けてしまったら、私、あの子にどんな顔をすればいいの?
あなたに応えたかった。けれども、カナへの答が見つからない。だから……だめ。
カナの応援をすると決めたときから、秋山君への想い、断ち切っていればよかった。そうしていれば、この心の痛み、きっと味わわなくてすんだのに。
痛いよ。あなたの言葉が、私を見る目が、笑顔が、私には痛いよ。
それでも――あなたが好き。
かわらない想い、消せない想い。
いつから好きになったんだろう?
初めて会ったのは、小学五年生の一学期? ううん、違う。四年のとき、私に話しかけてくれてたよね。それまでも、家が近かったら、たまに見かけていたんだと思う。そのときから気になる男の子だったのかも。
初めて言葉を交わしたのは四年生の二学期。学校ではなかなか話せなかったけど、五年生になって、初めてクラスがいっしょになったね。それでいっぱい、話すようになって。あなたが聞いてきて、私は「うん」か「ううん」と答えるので精一杯だったけど、脳裏には鮮明に残っています。
好きになったのは、好きになったのは……いつ? 知らず、あなたにひかれていた。多分、あなたが時折見せる、素敵な表情や瞳に引き込まれたのかも。それは、夏休みも終わりのあの夜、二人で歩いたときにも強く強く感じたわ。
小学生の私は勇気がなく、中学生の私は事情が許さなかった。もしも……もう一度、私に機会が与えられるのなら、そのときは自分の気持ちを素直に打ち明けられるようにありたい。
そう願わずにいられない私がいます。もう一人、カナを大事にしたがる私もいます。難しいね。折り合いがつかないよ……。
将来、秋山君が誰と結ばれようと、私はあなたへの想いを抱き続けることでしょう。二度の後悔と共に。
* *
早朝の空は快晴だったけれど、公子の気は重かった。
(どんな顔をして、秋山君に会えばいいんだろう)
ほとんど眠れない夜を過ごし、朝になってからも、ずっとそのことがちらつく。いつもより早く起きた分、いっそう長い間、思い悩まざるをえない。
(……学校、行こう。今の時間なら秋山君だって、朝の練習には早すぎるから、顔を合わせることはないはず)
大きく深呼吸をし、公子は一歩を踏み出した。
さすがに空気がひんやりとしている。でも、まだ九月上旬。これから太陽が高くなるにつれ、どんどん暑くなりそうだった。
何ごとか考えていながら、まるでまとまらない。そんな思考の空転を繰り返していたら、見慣れた校舎が視野に入ってきた。
(静か……。生徒は誰もいないみたい)
門をくぐり、下駄箱のある玄関へ向かう。何故かしらこそこそとした振る舞いになってしまう。
(鍵がかかってる)
玄関のドアは開かなかった。職員室に行けば何とかしてもらえるだろうが、それよりも裏手に回れば、まず確実に開いている出入り口がある。そちらに公子は向かった。
遠回りして、日のあまり射し込まない裏庭を通っているとき、公子は物音を耳にした。
(……?)
何か固い物がぶつかる音と、かけ声らしき音。二つが交互に聞こえ、単調なリズムを生んでいる。
(この声、まさか)
思わず、公子は音の源を探していた。すぐにそれは分かった。
(これ、武道場よね)
学校の施設の中で、女子には縁の薄いところだ。せめて、関係のある運動部に入っていない限り。
(見てみたい)
そう感じた公子は、武道場の周囲を小走りに歩く。
ちょうど目の高さ辺りに、格子窓が飛び飛びに並んでいる。その一つが開いているのを見つけた。
「あ」
場内を覗いて、小さく声を上げた公子。
(やっぱり、秋山君だ……)
秋山は白い道着に、紺の袴姿で、布を巻いた太めの立ち棒を相手に、突きを繰り出していた。
一心不乱。この言葉がぴたりと来る。
(こんなに早く、一人で練習なんて……)
不思議がる公子。だが、やがて、その思いは消え、別の感情がわいてきた。
(初めて見たけど……夢に触れるときと同じように、素敵な目をしてやってるんだね)
距離があって分かりにくいが、秋山の眼差しが真剣さをたたえているのは事実。
(ひょっとして……嫌なことを吹っ切ろうとして、練習に集中している? 嫌なことって……)
公子は頬に手を当てた。止まらない想いを、敢えて止める。
(真剣な目。星座や飛行機を語るときとは違う意味で、輝いてる。別のあなたがいる。あんなことがあった次の日、しかも黙って見てしまって……許してね)
公子は秋山の姿を脳裏に焼き付けると、そっとその場から離れた。
一時間目の始まる間際に、秋山は教室に飛び込んできた。
当然ながら、公子と言葉を交わす時間はなかった。
ただ、ほんの一瞬、公子の方へ視線を向けてきたと、公子には感じられた。実際に目を合わさなかったので、気のせいかもしれないけれど。
ともかく、ひとまずはほっとする公子。
(こんなとき、同じクラスって……辛い。二年になった初めは、同じクラスになれて、うれしくてたまらなかったのに。今は凄い重圧、感じる)
授業が始まってからも、なかなか集中できない。
(秋山君は頭いいから、きっと集中できるんだろうな)
そう思いながら、公子はちらりと、左前方の秋山へ視線をよこした。
すると、偶然か、秋山も右後ろを振り返った。
自然、二人の視線がぶつかる。
「あ」
声を出したのは秋山の方。公子も声が出そうになったが、あわてて両手で口を押さえ、何とか飲み込んだ。
それでも視線はしばし、秋山を見つめていた。
(あ……)
つい、「秋山君」と声をかけそうになった。
が、次には、先生の声が飛んで来た。
「秋山! 何をしている?」
「は、はい」
急いで前に向き直った秋山。途端に、クラス中に笑いが起こる。笑っていないのは当の秋山と、公子だけだったかもしれない。
「珍しいな、おまえが。ちょっと気が抜けてるようだから、一つ、問題をやってみるか?」
「え……はあ」
「それじゃあ、六十八ページの練習問題、前に出てやってみろ」
秋山は照れ笑いを浮かべながら、教科書を持ち、立ち上がった。
(秋山君でも、気が散ることってあるんだ……)
チョークを動かす秋山の背中を見つめながら、そんなことを公子は思う。
(私のせい?)
自分の思い付きに、ちくりと心が痛む。
(私って、まだ、そんなにも大きく、あなたの心を占めているの? まさかね。単に、私が昨日、泣いちゃったから、それを気にしてくれてるだけなんだわ。きっとそう)
秋山が書き終わった。
「……よし、正解だ。戻ってよろしい。解説は先生がやる」
教室内はおお、とちょっとしたどよめき。よそ見していてどうして分かるんだという驚きの反応だろう。
(さすがだなあ。秋山君の邪魔になっていたら悪い。早く忘れてもらうためにも、何とかしなくちゃ)
公子は一人、うなずく。
(差し当たって……次の休み時間、これまで通り、挨拶しよう。普通に、普通にね)
やがて一時間目が終わった。
すぐに席を立つと、公子は秋山の机を目差す。
失敗したなあという感じで、鼻の頭をかいていた秋山に、そっと声をかけた。
「あの……秋山君」
「え?」
振り返った彼の顔は、驚きに満ちたものに変わった。
「公子ちゃん……」
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