第7話
「響ちゃん、これって誘拐だからね」
父の軽トラックの助手席で瑛美さんが笑う。
「岩角さんだって私のこと拉致したんだから、おあいこじゃないですか?」
ハンドルを握りアクセルを踏み込みながら私は答える。軽トラックは法定速度をきちんと守って国道を突き進む。道の両脇にはファーストフード店やスーツの専門店、チェーンの古本屋や古本屋の皮をかぶったエロ本の店などがずらりと並んでいて、ここから先はど田舎ですよと声高に主張している。
「煙草吸っていい?」
「どうぞ」
「あ〜あ、でもこれは誘拐なんだよな〜」
「必要なら身代金請求しましょうか。岩角さんいまどこにいるんです?」
「拘置所」
瑛美さんは事も無げに答える。私は別に驚かない。
玄國会が関西の暴力団から襲撃を受けたというニュースを見たその日の真夜中に、私は父を説き伏せ軽トラを半ば奪い取るようにして東京に向かった。現金もほとんどないしクレジットカードも持ってないから下道を使ったら5時間近くかかった。
明け方だった。駅前のマンションの11階、リビングに瑛美さんはいた。まるで私のことを待っていたかのように。
「瑛美さん、海、見に行きましょう」
瑛美さんはほとんどの私物を置き去りにして部屋を出た。一緒に暮らしていた時に行ったハンドメイドのイベントで買ったショルダーバッグに化粧品や煙草を含む幾つかの品をぽいぽいと放り込み、冬の海って寒いんじゃないの? と言いながらエレベーターに乗り、エントランスを抜け、路駐していた軽トラに乗り込んだ。違反切符を切られなくて良かった。
エントランスに付けられている防犯カメラに、私は力一杯中指を立てた。
そうして瑛美さんを助手席に座らせた私は、再び下道を爆走して茨城に入った。
瑛美さんはガタガタと頼りなく揺れる軽トラの助手席で器用に化粧をしている。すっぴんもばっちり化粧を施した顔もこの一年でこれでもかというほど見た。これからも見ることになる。たぶん。
「あっ、口紅、あっ」
「どっかコンビニとか入ります? それか朝ご飯でも……」
「ううん、いいよ。響ちゃんのおうち漁師さんなんでしょ。新鮮なお魚食べたいからお腹空かせとく」
エアコンの送風口にぶっ刺したホルダーでナビを務めるスマホにちらりと視線を向ける。午前8時。父が地上に戻ってくる頃だ。
岩角の奥さんを連れてくる、と宣言した私を父は一瞬止めたけれど、でもそうひどく抗いはしなかった。父にだって分かっているのだ。私の命を守ったのがいったい誰なのか。
「私以外に岩角さんの飼い犬になった人間っていたんですか」
「んー、5人ぐらいかな。でもみんな1年で解雇」
「……瑛美さんと仲良くなっちゃうからですか?」
「それもあると思うよ。でも私は岩角じゃないから、あいつの考えてることは分かんない」
「みんな女の子ですか?」
「うん。男は駄目。岩角が男嫌いだから」
そうか、そうだろうな。
「山田徹って知ってますか」
「山田……? ああ、え、なんで? なんで響ちゃんが山田のこと知ってるの?」
「その人が父に借金のことと私のことを伝えにきたそうです。岩角さんの、その、お友達ですか」
「ううん。岩角が殺したい男」
「……」
やっぱりやくざのことは良く分からない。私と父がいいように使われたってことは分かる。岩角と山田の関係なんてどうでもいい。玄國会が終わっても私たちには関係ない。でも私は瑛美さんを連れて行くと決めた。あの昔話を私は忘れることができない。瑛美さんが語った傷付けられた男の子、彼は岩角であり瑛美さんでもあるのだろう。
「あ、そういえば」
「はい?」
「戸川の位牌忘れてきちゃった、あはは」
「……」
それは、あははで済ませていいのだろうか……。まあ、瑛美さんがいいならいいや。この軽トラはもう東京には戻らない。
「瑛美さん、うちの実家に飽きたらどこに行っても大丈夫ですからね!」
「それは、響ちゃんも私を捨てちゃうってこと?」
なんでそういうこと言うかなー。そんなわけないじゃん。
「瑛美さんが行きたいとこに私が必要だったらどこにでもついて行きます。それじゃ駄目ですか」
「……ねえ、岩角は私にこう言ったよ。『俺とあんたは似てるから、一緒になった方がいい』って」
「バカみたい! カッコつけですね!!」
ふはあ、と瑛美さんの吐く紫煙が運転席を満たす。私は薄く窓を開けて煙を外に逃す。一睡もせずに10時間近くのぶっ通し運転だからそこそこ眠たいような気もするけど、アドレナリンがどばどば出てるっぽくてぜんぜん大丈夫だ。行ける。このまま海に行ける。
「瑛美さんと私はなんにも似てないけど、私が瑛美さんのこと大好きだから誘拐します! うまい魚食いましょう!!」
拘置所を出た岩角はあのマンションに来るだろうか。私の立てた中指を見るだろうか。瑛美さんは私の故郷を好きになるだろうか。父は瑛美さんの美しさにビビらないだろうか。何も分からない。
分からないけどこのまま走る。私たちは海を見に行く。
【おしまい】
海を見に行く 大塚 @bnnnnnz
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