第十八話 命を捨てて
美空は上昇して重力により減速し、旋回、そして下降して加速する。以前、炎龍の試験飛行で松本に教えた急旋回飛行だ。だが、追ってきた炎龍も美空と同じ軌道をとり、ぴたりとついて来る。
美空を追ってきているのは、松本には及ばないが短期間でジェット戦闘機特有の動きをマスターした海神だ。宣言通り、今日こそ美空を墜としに来た。
美空は引き離そうと、右、左の急旋回を連続して繰り返すが、海神はしつこく追ってくる。女を追いかけるのが得意な色男の本領発揮だ。しかし、美空も捕まるわけにはいかない。
美空は大きくループした。細かい機動では炎龍に分があるが、エンジン出力勝負ではF15に分がある。ミサイルを5発撃って軽くなっている分、加速力も上がっている。そして、ループの頂点で機体をロールさせて上下を反転させた。第一次世界大戦のエースパイロット、インメルマンが得意としたインメルマンターンだ。左右方向の旋回ではなく上下方向のループでUターンする飛行術だ。
だが、反転して海神機を振り切った美空を、空中で待ち構えているものがいた。
炎龍が真正面から、F15へと一直線に突っ込んできた。
――特攻!
美空の心に恐怖と怒りが巻き起こる。これが、松本の作戦か。
通常、戦闘機が向かい合って飛ぶことはない。そんなことをしたら相打ちになってしまうからだ。だから、いかに敵機の後ろをとるか、そのために様々な戦術が磨かれてきた。訓練では、当然ながら敵機の後ろをとる練習をする。そして、敵機の後ろをとることに成功し、照準に捕えたら勝ちだ。真正面から接近する敵機を墜とす訓練などしない。
炎龍の特攻は、美空の不意を突いた。レーダーが使えず敵機の把握ができないため、下手に避ければ他の二機の的になる。下には海神がいる、もう一機は背後で待ち構えているに違いない。
美空はインサイドループで上に逃げた。インサイドループなら飛行しながら背後を見ることができる。上昇性能もF15の方が上だ。美空は大きくループし、先ほど、海神を振り切ったインメルマンターンを決めにはいる。
だが、コックピットから見た光景に美空の心臓が止まった。別の炎龍が一機、ループの頂点で待ち構えている。このままループを続ければ、真正面から衝突する。美空はループ途中90度の地点で機体をロールさせ、S字を書くように方向転換した。
松本は、いや、炎龍特別作戦部隊は、特攻でF15を墜としに来た。皆、戦って死ぬ覚悟はできていると言っていたが、その言葉に偽りはない。
日本軍の特攻、それはフィリピンでの敷島隊の戦果に始まる。たった6機の特攻で、空母一隻を沈め、三隻を中、小破するという大戦果をあげた。いや、あげてしまった。戦場で戦えば、どうせ人は死ぬ。だったら、特攻で戦果をあげれば命を有効に使える。そう考えた上層部は特攻を恒常的な戦法として採用してしまったのだ。
しかし、特攻で戦果をあげられたのは、そんな攻撃をするなどとアメリカ軍が予想していなかったからだ。もちろん戦場では犠牲が出る。だが、100%必ず死ぬ、そんな異常な作戦をまともな軍隊であれば考えない、だから虚を突いて成功した。そして、特攻が恒常的な戦法となって以後、特攻攻撃に備えたアメリカ軍により、戦果をあげることなく次々と特攻機は墜とされていった。
その非情で無意味な特攻作戦を、あの松本がとった。空戦を知り尽くしている松本が、命を無駄に捨てる作戦を、仲間を犬死させる作戦を取った。その事実に美空の心に怒りの炎が灯る。だが、冷静さを失ったら負けだ。美空は、その怒りを松本でなく、特攻という作戦そのものに向けた。
特攻など、絶対に許してはいけない、絶対に繰り返してはいけない、絶対に認めてはいけない。そのためには、特攻などでは絶対に戦果があげられないと証明する必要がある。
また、一機、真正面から美空の乗るF15に特攻をしかけてきた。海神は下にいる。松本か川田か、どちらかだ。だが、この炎龍からは松本の乗る異様な殺気は漂ってこない。川田だ。川田の真っすぐな性格が、炎龍を一本の槍として美空を貫きに来た。
その真っすぐに飛ぶ機体に向かい、非情にも美空はホーミングを切ったサイドワインダーを発射した。かつて、中国軍機が
あっけなく、川田は死んだ。犬死だ。
川田の技量なら、他にもっとましな作戦があったはずだ。なぜ、こんなことができる。なぜ、こんなふうに仲間の命を簡単に捨てられる。
冷静になれ、戦場で冷静さを失ったら負けだ。美空は自分に言い聞かせる。だが、その言葉を放ったのは、川田を無駄死にさせた張本人の松本だ。
そして、もう一機、真正面から炎龍が突撃してきた。松本だ。
森田の作った炎龍はすべて同じ性能だ。機体の見た目にも違いはない。そして、一直線に真っすぐに飛ぶだけであれば、パイロットの技量は関係ない。だが、美空にはその機体を操縦しているのは松本だとわかった。松本の発する異常な殺気が、美空を襲う。必ず墜とすという殺気だ。しかし、松本がやっていることは川田を先ほど無駄死にさせたのと同じ、ただの一直線の特攻だ。
美空は、先ほどと同様、ホーミングを切ったサイドワインダーを発射した。まっすぐ一直線に飛ぶ機体に、まっすぐ一直線に飛ぶミサイルが迫る。
――なぜ、特攻などする。犬死だ。
美空の放ったミサイルが爆発する。だが、ミサイルが爆発したのは炎龍に当たるずっと前だ。
――ありえない。
一瞬、美空の思考が停止した。
そして、美空の思考が動いたとき、驚愕の事実が美空を襲った。松本が機銃で、飛んでくるミサイルを撃墜したのだ。ミサイルはマッハ5で飛ぶ。しかも、最高速度で飛ぶ炎龍の正面から飛んでくるのだ。相対速度はマッハ6弱、一秒間におよそ2kmで空を進む。遠ければ当然のこと機銃で撃った弾は当たらない、しかし、近ければたとえ撃墜に成功してもミサイルの爆発に巻き込まれる。撃ち落とせるチャンスは、0.1秒もないだろう。松本はそのわずかなチャンスを成功させた。とても人間業ではない。動体視力に優れた松本だからこそ可能な神業だ。いや、いくら松本でもそんなことができるわけがない。
そう考えた瞬間、美空は理解した。川田だ。川田の死がその不可能を可能にした。川田にあえて真正面から特攻させ、美空にミサイルを撃たせた。だから松本はミサイルの軌道を読むことができた。さらに川田の特攻は美空に動揺を与えた。もし、美空が松本をもっと引きつけてミサイルを放っていたら、さすがの松本でも撃ち落とせなかっただろう。
神風特攻隊が攻撃を仕掛けたとき、アメリカ軍の兵から
ミサイルの爆煙を抜けて、松本の乗った炎龍がF15に迫る。そして、美空は逃げ場がないことを悟った。
この距離で再びミサイルを撃てば、たとえ松本を墜とせても自機も巻き込まれる。かろうじて避けられたとしても、爆風でコントロールを失えば海神の乗る炎龍に落とされる。そして、特攻の回避は不可能だ。旋回運動をすれば速度が落ちる。速度が落ちれば、松本の特攻は必ず成功する。機銃を撃っても相打ちだ。
全ては計算されていた。
川田に特攻させ美空にミサイルを発射させる。
そして、自分も同じように特攻し、動揺した美空にミサイルを撃たせ、それを迎撃する。
そのまま特攻すれば、美空には逃げ場がない。もし、再度美空がミサイルを発射しても、爆発に巻き込まれるか、避けられたとしても待ち構えている海神が墜とす。
完璧な作戦だ。
驚異的な操縦技術を持つ松本だからこそ実行可能な作戦。
自分と仲間の命を捨てる覚悟があって初めて実行可能な作戦。
けっして無駄死にではない、命を有効活用する特攻本来の特攻作戦だ。
これが松本の強さだ。
超人的な視力と空間把握能力を持ったたぐい稀なパイロットであり、二重三重の罠をかける他に比するもののない戦術家であり、そして、勝利のためにはどんな犠牲でも払う覚悟がある兵士だ。
加えて、仲間のためには命を自分の命を差し出し、仲間もまた松本のためであれば命を捨ててもいいと尊敬されるリーダーだ。
死の直前だというのに、松本が美空を殺そうとしているというのに、美空は松本の凄さに心の底から感動した。そして、松本に出会えた自分の人生がいかに恵まれていたかを知った。
その瞬間、美空は自分がこの時代に来た理由を悟った。
美空は、松本に出会うために、この時代に来たのだ。
松本という素晴らしいパイロットに出会うために、この時代に来たのだ。
美空は、松本と戦うために、この時代に来たのだ。
松本というこの世に二度と現れない強さを持ったパイロットと戦うために、この時代に来たのだ。
美空は、松本と対等に戦うために、松本がその力の真価を発揮できる戦闘機に乗ることができるように、F15とともにこの時代に来たのだ。
これは、試練だ。
何者が与えたのかはわからない。
この試練に打ち勝つことで、何が得られるのかもわからない。
だが、美空はこの試練を乗り越えなければならない。松本に勝たねばならない。
――なにか方法があるはずだ。諦めるな、勝つ方法を探せ。
なぜなら、それが松本の教えだからだ。どんなときでも冷静であれ、それが天与の才能を持つ松本から、美空が学ぶことができた唯一のことだからだ。その教えを破ることは、松本に対する冒とくだ。
松本との距離が縮まる。あと1200m、2秒で衝突する。
――まだ2秒ある。考えろ。最後まで諦めるな。
松本との距離が縮まる。あと600m、1秒で衝突する。
――たとえ死ぬ瞬間でも、冷静さを失うな。
松本との距離が縮まる。あと300m、0.5秒で衝突する。
――ある。たった一つ、松本を倒す方法がある。
――成功するわからない、一か八かだ。
――いや、成功させる。かならず成功させて生還する。それが、山南からの命令だ。
美空はF15のエンジンを停止した。揚力を失った機体が沈み、鎌首のように機首が上がる。そして、寸前までF15がいた空間を松本の操縦する炎龍が通り過ぎる瞬間、ガトリング砲を掃射した。
戦後、あまたの戦闘機パイロットたちが技を競った。マニューバと呼ばれる様々な機体駆動法がパイロットたちによって生み出された。
その一つが、1989年のパリ航空ショーにて、ヴィクトル・プガチョフが見せたマニューバだ。コブラが鎌首をもたげるように戦闘機が空中に直立するその飛行、世界中のパイロットたちの度肝を抜いたプガチョフコブラと呼ばれる飛行を、美空は死の寸前に成功させた。
そして、この世に二度と現れない天才に打ち勝った。戦闘機の歴史が、美空に勝利をもたらした。
残弾は、サイドワインダー1発、ガトリング砲1掃射。美空が落とすべき炎龍は、あと2機。
失速して墜ちるF15のエンジンを点火する。だが、ほぼ垂直になった状態では主翼が揚力を生み出せない。地球の重力が、F15のエンジン出力を上回る。このままでは墜落する。美空はアフターバーナーを点火した。力づくで重力を振り切り、ロケットのようにエンジン出力のみで機体を強引に持ち上げる。そして、機体の角度が緩むと急速に揚力が発生し、F15に再び大空を飛ぶ力を与えた。
F15が残る海神の操縦する炎龍に迫ると、海神は戦うことを放棄して逃げた。海神もまた、優秀な戦術家だ。一対一で戦えば墜とされる。だから逃げる。逃げ回って時間を稼げば海神の、いや、炎龍特別作戦部隊の勝ちだ。逆に美空は海神を捕まえなければならない。普段の練習とは反対だ。
海神が縦横無尽に空を飛び、高度を下げた。美空もその後を追い、距離を詰める。そして、海神が勝負に出た。スプリットSだ。機体をロールさせ、下向きにループする。インメルマンターンの逆の下向きのUターンだ。だが、これは命がけだ。高度を下げたループでは、地面に衝突するリスクもある。
炎龍が地面へとダイブし、ループを描く。そして、その後をF15も追った。両者とも失敗したら、まさに男女の飛び込み心中だ。
男が逃げ、女が追う。二人が命がけの鬼ごっこをする。
そして、勝負がついた。
未来の女が、過去の男の背後を取った。
美空が最後に残った機銃を掃射した。
残弾は、サイドワインダー1発。美空が落とすべき炎龍は、あと1機。
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