第十一話 炎龍

 空中を旋回しながらF15に搭乗した美空が、予備基地の滑走路から炎龍が飛び立つのを見守っていた。四カ月ぶりに乗ったF15の離陸時の加速には心臓が止まるほどの恐怖を感じたが、大空に向かって離陸すると恐怖感は瞬く間に消え失せ、空を飛ぶことの幸福感で美空の心は満たされた。


――やはり、自分は空を飛ぶことが好きなんだ。それも、大好きなF15に乗って飛ぶことが。

 美空は、自分の思いを改めて実感する。心なしか、F15との一体感が以前よりも増しているように感じる。自分の手足、いや、翼だ。F15という翼が、体の一部として生えているようだ。


 美空の眼下で、松本の乗った炎龍が滑走路を動き始めた。そして、上から見たそのシルエットに美空は驚いた。


――Mig21だ。


 翼形状は高速飛行を前提に、後退角をきつくとったデルタ翼だ。横方向の安定性に欠けるが、現状実現可能な最高の翼形状といえるだろう。小尾翼を備えた形状は戦後にソ連が開発したジェット戦闘機Mig21にそっくりだ。ベトナム戦争で活躍した名機だ。


 第二次世界大戦終結後、戦闘機の武装が機銃からミサイル主体となり、機銃のない戦闘機も製造された。敵の射程外からミサイルを撃ってすぐに離脱すればよいというミサイル万能論だ。だが、そんな机上の空論を覆すように、ベトナム戦争では格闘戦に秀でたMig21によりアメリカ軍機が次々と墜とされた。その痛い教訓から、格闘戦にも対応可能な戦闘機の必要性が再認識され、第4世代ジェット戦闘機の開発へとつながった。F15はその代表作だ。


 炎龍がみるみるうちに加速し、一気に上空へと飛び立った。


――速い!


 その加速性能は美空の想像を超えた。戦後に実現する高出力のエンジンと、第二次大戦時の軽量化を追求した機体は、究極の機動性を実現した。純粋な格闘戦能力に関してはMig21を凌駕するに違いない。第4世代ジェット戦闘機に匹敵する性能を持っている可能性もある。ただし、軽量化を実現するために安全性は犠牲にされた。搭乗者の命と引き換えに手に入れた戦闘力だ。


『鷲津二尉、先導を頼む』

「了解しました」

 無線機の感度も良好だ。近距離での通信であれば、明瞭に聞こえる。


「ラークより、松本少佐へ。最初は、機体をローリングさせて問題がないか確認します」

『ラークというのは何だ?』

「失礼しました。鷲津二尉より、松本少佐へ、ローリングをお願いします」

『了解』

 久々のF15に搭乗しての無線通信で、つい習慣となっているタックネームを使ってしまった。


 美空が軽々と機体主軸を中止に一回転するローリングを決めると、松本も同様に軽々とローリングを決めた。


「松本少佐、いかがですか? 何か機体に異常はありますか? 機体が軋んだり、部品が外れるような音はしませんでしたか?」

『問題ない、森田はたいしんもんだ』

 確かに森田は凄い。だが、初めて乗る機体、それもジェット戦闘機で軽々とローリングを決める松本も只者ではない。あまりにも自然にこなしているため、凄さが伝わらないだけだ。


「では、インサイドループを行います。私が見本を見せます」

 水平飛行から上昇し、頭を円の内側に向けて一回転する飛行をインサイドループと呼ぶ。いわゆる宙返りだ。逆に水平飛行から下降し、頭を円の外側を向かせて一回転する飛行がアウトサイドループだ。円をいかに綺麗に描くかが腕の見せ所だ。


 美空が大きく円を描く。遠心力で足に血が集まろうとするが、それを防ぐのが耐Gスーツだ。空気圧で足を締め付けることで脳の血流不足を防ぎ、パイロットの失神、いわゆるブラックアウトを防止する。美空がパイロット保護のため耐Gスーツの必要性を強く訴えたため、炎龍にも搭載されている。アウトサイドループだと逆に遠心力で頭に血が集まるため、危険性はこちらの方が大きい。いわゆるレッドアウトだ。


 美空に続き、松本がインサイドループを行う。そして、松本の乗った炎龍がの軌跡を描いた。


『鷲津二尉、どうだ? 自分では真円になっていると思うが』


――ありえない。

 美空は自分の目で見たものが信じられなかった。


 空中には目印になるものがない。ベテランのパイロットでも空間失調を起こすことがあるのは、それが原因だ。一部の体操選手が優れた空間認識能力を持っているケースもあるが、鳥と違って普段から空を飛んでいるわけではない人間の三半規管では、空中での姿勢を正確に認識できない。だから、綺麗なループを描くには、何度も飛んで体で覚えるしかない。ずれているかどうか自分ではわからないのだから、他者からの指導も必要だ。


 だが、松本は初めて乗ったジェット戦闘機で真円を描いた。しかも、松本が搭乗している機体は電子制御されていない。つまり、松本は自身が三次元空間上のどこに位置しているのか、三次元空間上でどちらの方向を向いているか、自分の肉体だけで正確に認識しているということだ。


 以前、美空は鷹の目にも匹敵する松本の人間離れした驚異的な視力を耳にしたが、松本は加えて超人的な空間認識能力も備えているということになる。つまり、360度全天周型の高性能レーダーと、数m単位で3次元位置計測できる高性能な航法装置が頭の中に入っているようなものだ。


 通常なら、計測機器を目で見て認識したのち、脳で判断するから必ずタイムロスが発生する。だが、松本はタイムロスなく、瞬時に自機と敵機の位置関係を認識する。機体の計測器に頼らずに自身の体で把握しているのだから、搭乗する機体も選ばない。どんな戦闘機でも操縦方法さえわかれば、自由に操縦可能だ。


 戦争では英雄が生まれる。常人を超えた能力を持つ異常ともいえる才を持つ人間が活躍する。戦場が能力の優劣を、生死というふるいに強制的にかけるからだ。生き残るものは強運の持ち主か、そうでなければ、秀でた能力を持った人間だ。いや、持たざるを得ない。


「素晴らしい操縦です。私の知る限り、松本少佐より優れたパイロットはいません」

 お世辞ではなく、紛うことなき本心から美空は言った。航空自衛隊で美空を指導してくれた国見三佐も凄腕のパイロットだ。今はまだ追いつけないが、いつかは超えたいと思っている目標だ。中国軍機のパイロットも凄腕だった。一瞬の隙を見逃さない戦術眼は敵ながら力量を認めざるを得ないが、決して敵わない相手ではない。


 しかし、松本は同じ人間とは思えないほど次元が違う。試験飛行前日に、松本から学びたいと美空は言ったが、松本から美空が学べることなどはたしてあるのか。松本の才は他人が真似をすることなど到底できない天与のものだ。まさに飛行機に乗るために生まれてきた人間だ。それも、電子制御機器が搭載される以前の、パイロットの腕が操縦に直結するこの時代の飛行機に乗ってこそ、その真価が発揮される。


「松本少佐、ジェット機とレシプロ機の大きな違いは加速性能と上昇性能です。つまり、上昇と下降をいかに使うかがジェット機の性能を発揮する鍵です。例えば、上昇しながら旋回すれば速度を押さえることで回転半径が小さくなります。その後下降して加速すれば、旋回前のスピードで飛べます」

 実際に美空が説明通りの飛行をすると、松本がそれを真似て飛んだ。


『なるほど。速度を落とさずに急旋回が可能になるな。つまり、運動エネルギーと位置エネルギーを相互に交換するということか。これは、いろいろな応用ができそうだ』

 7年後にジョン・ボイドがエネルギー性起動理論としてまとめる飛行術を、松本がマスターするのは時間の問題だった。


――すごい。

 並みのパイロットが一カ月かかって学ぶことを、松本は一日、いや、半日で身に着けようとしている。美空はその上達ぶりに震えが走った。この人は、もしかしたら歴史を変えてしまうかもしれない、そんな恐れが美空の頭をよぎる。一方で、松本がどこまで上達するのか、その限界を見てみたいという好奇心も沸き上がった。


 ローリング・シザーズ、2機の戦闘機が並行して、互いの中心を軸に回りながら飛ぶ曲技飛行だ。息の合った操縦が必要で、互いにペアを組む相手との信頼も必要だ。言うまでもないことだが、成功させるためには何度も練習する必要がある。


 そのローリング・シザーズを、炎龍の試験飛行の最後に美空と松本は飛んだ。美空も優秀なパイロットだ。だが、それ以上に優秀な松本が美空の飛行に合わせたのだ。


 期待を上回る結果を出して、炎龍の試験飛行は成功した。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「上々の結果のようだな。たいしたものだ」

 げっそりとやつれた山南が、試験飛行を見届けに来た森田に声をかけた。


「私としては正直複雑な気持ちです。間違いなく日本一、いや世界最高の戦闘機を作ったと自負しておりますが、私の実力で作ったわけではないので」

 この短期間でF15から得られた知見を、現在の技術で可能な限り再現するその力量は間違いなく天才だ。だが、森田としては以前本人が言っていたように、試験でズルをして合格点を取ったようなものなのだろう。


 今の時代の技術水準を遥かに超える炎龍。だが、

「たった一機では、戦局を覆すのは難しいな」

 力なく山南が呟やいた独り言を、

「一機? いいえ、違います」

 耳聡く聞いた森田が否定した。


「炎龍は、一号機を含めすでに5機製造してあります。九月には更に5機、今年中には30機は配備可能です」

 森田が自信満々に宣言した。


――日本は、来月降伏する。遅い、遅かったのだ。あと、一年早ければ。


 なぜ天は、すでに戦争の帰結が明らかな今になってF15をもたらしたのか。なぜ、何の力も持たない自分の元に遣わせたのか、山南は天の不可解な意思に嘆いた。



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