第十二話 教官就任
「今日から、お前たちを指導する鷲津二尉だ」
松本が、ずらりと並んだ日本兵を前に美空を紹介した。炎龍特別作戦部隊に選ばれたものたちだ。松本の目に適ったからには、いずれも凄腕に違いない。
「最初は簡単な飛行から始めます。徐々に難しくしますから、しっかりと私の後について飛んでください」
「承知しました。鷲津二尉のケツにしっかりとついて行きます」
一見、セクハラ発言などしそうにない礼儀正しそうな顔立ちの整った男は、海軍から来た
「女の教官ですか」
露骨に不満そうな顔をしたのは
「帝国軍人として恥じぬよう、全力で任務に当たります。ショウオンとお呼び下さい」
生真面目な態度で応じたのは、台湾出身の
つまり、炎龍特別作戦部隊のメンバーはすべて松本の旧知の人材だ。炎龍が可能にした無線通信を用いた連携攻撃を短期間で実戦で使えるようにするために、パイロットとして有能で、かつ、すでに信頼関係のできている人材で固めたのだ。
「この炎龍にて、憎き米兵の乗る戦闘機を必ず墜として見せます」
怒りが混じった語気を吐いたのは、少年と言ってもよいほど一人だけ目立って若い、
「鷲津二尉は、ドイツで操縦訓練を学んだ日本で唯一のジェット戦闘機操縦者だ。しっかり学べ」
松本が皆に檄を飛ばすが、一同が美空を見る目は冷たい。よそ者への不信感、女に何ができるかという蔑みが、手に取るようにわかる。静江のような主婦でさえ活動家になるのだから、この時代の女性の地位は相当低かったのだろう。
地位や尊厳は他者が与えてくれない。自分の力で勝ち取るのみだ。最初は手加減するつもりだった美空だったが、気が変わった。
――ついて来られるものなら、ついて来い。
その日の訓練は、過酷だった。若い森二等兵だけでなく、操縦経験の豊富な三人も、美空の飛行には全くついて来られなかった。
皆の美空を見る目は、その日のうちに変わった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「曲技飛行を練習したら、どうでしょうか」
わずか数日という驚くべき上達速度で、皆が、離着陸、ローリング、インサイドループの基本飛行を一通りできるようになった後、美空が松本に相談した。
「曲技飛行だと?」
「曲技飛行と言っても、奇抜さを追求するものではありません。編隊飛行の練習のためです。雁行飛行など皆が動きを合わせた編隊飛行をすることで、個々の操縦技術の向上はもとより、意思の疎通や集団戦闘の訓練になります」
「なるほど、一理ある」
さすが松本だ。理解が早い。
「私がいた時代のブルーインパルスという曲技飛行隊は、航空自衛隊の中でも選りすぐりのパイロットしかなることができないエリート部隊です。東京オリンピックでは空中にスモークで五輪を描き、国民から喝采を浴びました。残念ながら、私は生まれていないので見ておりませんが」
「東京オリンピックか。戦争で中止になったが、戦後に開催されるのか」
1940年に開催を予定されていた幻の東京オリンピックのことだ。残念ながら翌年に延期となった2020年の東京オリンピックといい、東京とオリンピックは相性が悪いようだ。唯一、1964年の東京オリンピックだけが諸手を挙げて喜べる成功例だ。
「確かに何か目標があった方が皆も張り合いがでるだろう。よし、わかった。俺から皆に話しておく。訓練方法は君に任せる」
「はい。それと機体からスモークを発生させる装置があれば、飛行経路が目視できるようになります。もともとは観客向けですが、自分の操縦が見えるので言葉で指導するよりも上達が早くなるかと。機体ごとに色を変えれば、うまい下手がパイロットごとに一目瞭然で、競争意識も生まれます」
色を付けるならば、松本は赤、海神は青、川田は黄色、承恩は緑が良いだろう。正直は未熟なので白だ。
「わかった。森田に話を通しておく」
「よろしくお願いします」
「ちょっと待て」
一通り報告を終え、立ち去ろうとした美空を松本が呼び止めた。
「くだらないと思うかもしれないが、パイロットという言葉は使わずに操縦士と言いたまえ。スモークも煙だ。英語を使うと不審に思われる。他にも言葉遣いは慎重にした方がいい」
「わかりました。以後、気を付けます」
戦時中は、野球でもストライクやボールを、よしや駄目と言い換えていた。松本以外の部隊員には美空の正体は秘密だ。言葉遣い一つでも気を付ける必要がある。
「F15も大鷲と呼ぶことにしよう。それと、川田と承恩、正直は、君より階級が低いから呼び捨てにしたまえ。年上でも遠慮するな」
私は大鷲操縦士ということになるのかと、美空は思った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「マサ、軌跡が歪んでいるのがわかるな。松本少佐と海神大尉を見習え」
『鷲津教官、ご指導ありがとうございます』
スモークによる飛行経路の可視化と飛行中の炎龍との無線通信により、炎龍の飛行練習はさらに効率が上がった。偉そうな命令口調に最初は少し抵抗があった美空だったが、すぐに慣れた。もし、自衛隊で飛行教官になったら、きっとこんなふうだったのだろう。
「君は教え方がうまいな」
「いえ、皆の上達の速さに驚いています」
これは美空の本心だ。
「森田さんの驚異的な仕事の速さにも驚かされましたが、炎龍特別作戦部隊のメンバー、いえ、炎龍特別作戦部隊の隊員達の上達の速さも驚異的です。とても今までジェット戦闘機に乗ったことがないとは信じられません。さすがにマサは他の隊員とは差がありますが、ずいぶん上達しています。私は自衛隊の厳しい訓練に耐えてきたと自負しておりましたが、彼らを見て身が引き締まる思いを痛切に感じています」
「俺たちには時間がないからな」
松本が何気に言った一言が、今が戦時中であることを改めて美空に思い知らせた。
「正直、自分と彼らとの差を実感しています。彼らはどんどん成長しているのに、私は変わっていない。松本少佐から学びたいと言っておきながら」
「そんなことはないだろう。自分では自分の変化はわからないものだ」
「そうでしょうか」
松本にそう言われても、美空には全く実感がない。
「人に教える立場になるだけでも随分と違うものだ。今まで自分の中で漠然としていたものが、人にものを教える過程でしっかりとした形になる。編隊飛行の重要性や、瞬時の状況判断、臨機応変な作戦立案、他者への的確な命令の出し方、複数の戦闘機の操縦優劣の見極め、短期間で色々なことを学んでいるはずだ」
松本の指摘は的確だった。松本は美空のことをよく見ている。さすがは数多くの操縦士を育ててきた飛行教官だ。
「あとは実戦経験だけだ。こればかりはやってみるしかない。命のやり取りをする場で、いかに冷静さを保てるかが重要だ。どんな状況でも冷静さを保てるものが戦場で生き残れる」
もし、あの時、最後まで冷静さを保つことができていたら、
「そして、敵を殺せば殺すほど上達する。だが、死んだらすべてが終わりだ」
自分の力量は他者の命を犠牲にして手に入れたものだと言っているように、美空には聞こえた。そして、自分もまた誰かの糧になるのだろうと。
「それに君には操縦士としての才能がある。何十人、いや、何百人と操縦士を見てきた俺が言うんだから間違いない。俺の教え子や知り合いの中でも君より上はいない。君は空に愛されている。俺が世辞など言わないことはわかっているな。もし、いや何でもない。もっと自信を持っていい」
もし、炎龍に乗った俺を倒せるとしたら、思わず出そうになった不吉な軽口を松本は飲み込んだ。そんなことはつゆ知らず、松本に認められたことが美空は素直にうれしかった。
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