第十六話 戦闘開始

「鷲津二尉、伝えておくことがあります」

 F15のコックピットに乗り込んだ美空に、森田が真剣な顔で話しかけた。


「炎龍には、誘導ミサイルから機体を守るための装置が搭載されています。F15と同じ、いや、F15を参考に作ったチャフとフレアを、松本少佐の依頼で私が取り付けました。試験はできておりませんので、動作するかは確信が持てませんが」

 この時代の戦闘機の攻撃装備に誘導ミサイルはない。つまり、松本はF15と戦闘になる万が一の事態を想定したということだ。凄腕のパイロットとしてだけでなく、松本の戦術家としての能力がいかに秀でているか、その松本との戦いに挑む覚悟を美空は今一度認識する。そして、森田が作ったからには間違いなく炎龍のチャフとフレアは機能するにちがいない。


「決して、鷲津二尉を信用していないというわけでは無く」

「わかっています」

 美空が森田を制した。常に万全の備えをするのは優秀な兵士の証だ。逆の立場なら美空でもそうしたはずだ。


「ありがとう、教えてくれて。F15の整備もして頂き、感謝しています」

「いえ、私にできることはエンジンや機体の整備と燃料の補給ぐらいです。残念ながら、電子機器の整備はこの時代の技術力では手が出せませんでした。ガトリング砲の弾薬も規格が合わず補給できていません」

 燃料の補給だけでも感謝しきれないぐらいだ。森田が整備してくれたのであれば、飛行性能には問題ない。


「戦争が終わったら、今度は私自身の力で飛行機を作ります、ズルをせずに。炎龍の開発に使った機材や部品はすべて廃棄します」

 これだけの才能がありながら自分に厳しい、そこが森田のすごいところだ。森田がいなければ、けっして炎龍は作れなかっただろう。


「ご武運を!」

 森田が直立不動で敬礼した。美空も敬礼を返す。


――よし、出撃だ。

「鷲津二尉、発進します」

 報告相手のいない無線機に美空が出撃の報告をし、F15が爆音をあげて予備基地の滑走路から飛び立った。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「レーダーは駄目か」

 美空が機体をチェックする。満足な整備ができない環境では、飛べるだけでもましなのだろう。武装はホーミングミサイルと機銃だけだ。ホーミングミサイルは、レーダーホーミングのスパローミサイル4発、赤外線ホーミングのサイドワインダー4発。しかし、レーダーホーミングミサイルも赤外線ホーミングミサイルも防がれる可能性が高い。バルカン砲の残弾は600発、6秒分だ。2秒の掃射で3回の攻撃が可能だ。


 戦後のジェット戦闘機は、一撃離脱戦法を前提に作られてている。第4世代以降の戦闘機は格闘戦にも対応できるよう考えられているが、メインの武装はあくまでも遠距離から発射する誘導ミサイルだ。第二次大戦時の格闘戦を前提に作られた機体とは根本的に設計方針が違う。そして、炎龍は戦後の技術を搭載した、格闘戦専用の機体だ。レーダーが使えない状況では、その炎龍と有視界飛行で戦うことになる。


 この圧倒的に不利な状況で、炎龍5機を撃墜しなければならない。だが、美空が乗っているのは実戦での無敗を誇る世界最強の戦闘機F15だ。負けるわけにはいかない。


 松本の目的はB29の撃墜だ。炎龍特別作戦部隊のいずれか一機でも生き残って目的を達成すれば、松本の勝ちだ。逆に美空は全ての炎龍を撃墜しなければならない、それも限られた時間の中で。松本は目的遂行のための最善策を取っているはずだ。山南の持つ現有戦力では炎龍を撃破できる機体はない。今、炎龍を撃破できる可能性がある戦闘機は、美空の操るF15だけだ。松本は美空が来ることを予想して備えているだろう。


 戦闘機にとって一番危険な時間帯は離陸時だ。そして、空戦では上を取ったものが圧倒的に有利となる。これらを考慮すると、松本のとる作戦は予め離陸して空中で待ち構える待ち伏せ戦術だ。そして、その待ち伏せに最もふさわしい場所、それは雲仙普賢岳だ。長崎市に近く、山の尾根にぶつかった大気の流れが雲を作り、空に隠れ場所を提供する。


 美空は普賢岳を目指して飛んだ。そして、普賢岳に近づくと無線のスイッチを入れた。


「鷲津二尉から、松本少佐へ。降伏を勧告します」

 無線からは何の応答もない。


「繰り返します。鷲津二尉から、松本少佐へ。降伏を勧告します」

 松本は聞いているはずだ。


「繰り返します。鷲津二尉から、松本少佐へ。降伏を勧告します」

『戦闘の前に、わざわざ接近を知らせるとは余裕だな』

 三回目の呼びかけに、松本が答えた。


「松本少佐、お願いです、降伏して下さい」

『何の真似だ。降伏などするなら最初から炎龍の強奪などしていない。それは君もわかっているはずだ』

 それでも、美空は戦いを避けられるものなら避けたかった。


「攻撃前に警告をするのが、我々自衛隊の交戦規程です」

『随分、甘い軍隊だな。相手に気付かれる前に落とすのが、空戦の常識だ』

「自衛隊にとって武力行使は最後の手段です。そして、私は誇りある自衛隊員です」

 そうだ、それが美空の信念だ。敵を倒すための軍隊でなく、大切なものを守るための軍隊。専守防衛の自衛隊だ。


『そうか。それなれば俺も答えよう。降伏はしない、俺たちは長崎への原爆を阻止する、たとえ歴史が変わっても、その結果、戦争終結がなされず他の地に原爆が落とされたとしてもだ。俺は飛行教官として多くの若者を死に追いやった、無駄死にをさせた。だから、今度は俺があいつらのために命を捨てる番だ。マサがどんなことをしても故郷を守りたいと思うなら、たとえ日本中の命が失われても、俺はそのために命をかける。俺は散々、この国のために戦った。この国のために若者に命を捨てさせた。ならば今度は、この国が若者のために死ぬべきだ』

 松本は自分の決断が何をもたらすかわかっている。山南と同じだ。一人の人間には重すぎる責任を背負い、一人の人間が下すには重すぎる決断を己の命をかけてしたのだ。すでに、説得は不可能だ。


『教官、わたしも隊長と同じです。降伏はしません』

 承恩ショウオンの声がヘッドセットから美空の耳に届いた。


『教官、わたしは何人なにじんですか。戦争が終わったら何人なにじんになりますか』

「ショウオン」

――帝国軍人として恥じぬよう、全力で任務に当たります。

 かつて承恩ショウオンが言った言葉が美空の記憶に蘇る。日本の敗戦で日本は台湾を失う。つまり、承恩ショウオンは日本人ではなくなる。そして、1947年に台湾で発生する二・二八事件では、国民党政府による激しい弾圧で、日本統治時代に日本に協力したものが数多く殺される。承恩ショウオンのように祖国のために帝国軍人となったものたちも、多数犠牲になる。


『日本が負ければ、もう私に祖国はありません。だから、私は隊長のために、マサのために命をかけて戦います。帝国軍人としてではなく、一人の人間として戦います』

 国は変わる、だが人の絆は変わらない。それが承恩ショウオンの結論だ。


『教官、俺は最初、あんたを女だと軽んじていた。だが、今は心の底から尊敬している。あんたは凄い人だ。正直、俺の腕では敵わないだろう』

「次郎さん」

 初対面の時の次郎は、美空を女だと馬鹿にしていた。だが、美空の腕を見ると即座に教官として認めた。


『教官、格下にさん付けは無用だ。たとえ力及ばずでも、俺は全力で教官を落とす。決して女だと侮ったりはせず、全身全霊をかけて戦うことを約束する。そして、マサは俺の弟みたいなもんだ。兄が弟のために戦うのは当たり前だ。だから、降伏はしない」

 たとえ上官でも嫌いなものには従わない。実力があっても昇進できなったのはそれが理由だ。だが、実力があれば、地位にも性別にも関係なくそれを認める。そして、気に入った相手にはとことん尽くす。それが次郎だ。


『鷲津二尉、俺も松本さんと同じだ。飛行教官として、若い奴らを特攻に送り込んだ俺には、責任を取る義務がある。俺は最後に特攻で死ぬつもりだったが、こんな国のために死ぬよりはマサのために死んだ方がましだ』

「海神大尉」

 この人も松本少佐と同じだ。自分の教え子が死んでいくのは、自分が死ぬよりも辛かったのだろう。戦争が終わったら生きてはいまい。命を捨てる覚悟は最初からできていた。教え子を死に追いやった自分を決して許さないだろう。


『君のケツを追いかけるのは楽しかった。訓練では最後まで捕まえられなかったが、今日は捕まえる。それが俺の答えだ。降伏はしない。未来から来たご婦人と出会えたことは俺の人生最後のいい思い出になった。感謝する』

 軽薄な口調とは裏腹に、この人はとても真面目で気をつかう人だ。もし、戦争が無ければ優秀なパイロットとして、大勢の人を空の旅へといざなっただろう。


『鷲津二尉、これで十分だろう。皆、戦って死ぬ覚悟はできている。だが、俺たちはただ死ぬつもりはない。必ず、君の乗った大鷲を落とす。無敗の大鷲に黒星を付けたくなければ、君の方こそ退却しろ』


 無線からはマサの答えは無かった。美空とは話したくない、それだけの理由かもしれない。しかし、マサだけ単独で別行動をしている可能性もある。いや、その可能性の方が高い。松本少佐率いる4機で美空を足止めし、マサがB29を落とす作戦であれば、これ以上時間を無駄にはできない。


「松本少佐、撤退の意思がないことを確認しました。攻撃を開始します」

『望むところだ。来い』


 未来から来た戦闘機と、未来の技術で作られた戦闘機が戦う。


 大鷲と炎竜との、それぞれの未来をかけた戦闘が始まった。

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