第八話 居候

「ご自分のおうちだとおもって、遠慮なさらないで下さいね」

「お世話になります」

 美空は山南の私宅に居候することになった。男だらけの基地内に監禁するのは憚ると、日本中、どこにも行き場所のない美空にとっては、事実上の幽閉と考えても問題ないと山南が判断した。


 美空が新田原陸軍飛行場に着陸したあと、山南は直ちに基地に駐留している兵士及び関係者に箝口令を出した。明らかに尋常ではない新型の戦闘機の姿や美空の言動から、何か想定外の事態が起きていること、上層部を含め外部に事の次第が伝われば制御不能な状況になることは明白だった。


 美空が乗ってきたF15は、新田原陸軍飛行場から離れた予備基地へと移動させた。新田原陸軍飛行場の空襲に備えて山間に密かに建設した飛行場で、軍の地図にも載っていない。近くに民家もなく、秘密を隠すには絶好の場所だ。


 遠い未来から来た戦闘機、とても正気とは思えない。ドイツかアメリカの開発した新型機に違いない。美空を尋問した山南は、当然のこととしてそう考えた。無条件降伏による日本の敗戦を主張するなど、美空はアメリカが送り込んできたスパイの可能性もある。だが、いったい何のためにそんなことをするのか。日本の戦意を砕くためか。


 美空への尋問と未知の機体を調査すればするほど、未来から来たという与太話を信じたくなる。だが、そんなことはあり得ない。しかし、そう考えないと説明がつかない。


 山南は結論を保留し、美空が未来から来たという仮説をとることにした。あくまでも仮説だ。だから検証する。そして、美空の述べた今後の戦況、いや、未来の日本の歴史は、一人、山南の胸の中に秘めている。万が一にも、外に漏れてはいけない。美空にも決して他人には話すなと厳命してある。もし、洩らそうものなら、最悪、命を奪うことも選択肢として考慮せざるを得ない。自宅に事実上監禁することにしたのも、自分の知らないところで他の人間との接触を避けるためだ。家族には、美空は新設した婦人飛行隊の一員だと説明した。


 はたして美空の述べたとおりに戦況が動くのか。もちろん、日本が無条件降伏することなど決して認めることなどできない。海軍の誇る戦艦大和が、戦場にたどり着く前に撃沈するなどということは信じがたい。だが、そのあり得ぬべきことが、もし起きたら。それを確かめるためには時間が必要だ。美空の予言が正しければ、大和は4月6日に沈む。


 並行してF15の調査も進めることにした。万が一、本当に未来の戦闘機ということであれば垂涎ものだ。ドイツでかろうじて実戦投入されたジェット戦闘機だが、レシプロ機を遥かに上回る飛行速度で戦果をあげている。そのドイツのメッサーシュミットMe262を遥かに上回るジェット戦闘機を実戦投入できれば戦局をひっくり返すことができるかもしれない。


 そのためには、F15のパイロットである美空を手懐けておく必要もある。山南が美空を居候させたのには、そういう理由もあった。


「お母さん、この人が女性の操縦士?」

「こら、お客さんに向かってその態度はなんですか」

 山南の家内に案内され、用意された部屋に向かって美空が廊下を歩いていると、元気のよい少女が飛び出してきた。中学生ぐらいの年頃で、おさげ頭にしている。


「娘のかおるです」

「薫です。始めまして」

 薫が元気よく挨拶した。


「鷲津美空と言います。ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いします」

 美空が頭を下げると、

「美空さんって、もしかして、美しい空って書くの? すっごーい、いかにも操縦士って感じ」

 人懐っこい笑顔を見せた。


「失礼でしょ! 初対面の人に対して!」

 母の静江しずえが薫を叱った。


「いえ、私も戦闘機パイロットを目指そうと思ったとき、自分の名前に運命を感じましたから」

「ほら、やっぱり。凄いなぁ、女性でも操縦士になれるんだから、お母さんも主婦業の傍ら、婦人解放運動に取り組んだかいがあったじゃない」

 いかにも古風な専業主婦といった風情の静江にも、意外な一面があるようだ。


「空を飛ぶのってどんな感じ? 雲の中を飛んでると、やっぱり真っ白なの?」

 薫の目がきらきらと輝く。


「いいなぁ、私も空を飛んでみたいなぁ。美空さん、今度私にも操縦教えて!」

「いい加減にしなさい! 鷲津さんは任務として操縦しているんです。遊びじゃありません」

「でも、楽しそう。そんな任務なら、私もやりたい」

 その一言が、美空の心をえぐった。


「目の前で人が死ぬのを見る任務を、楽しいと思いますか」

 思わず感情的になった美空を見て、母娘おやこの表情が凍った。


「大変失礼しました。申し訳ありません」

 美空が一人、自分の部屋へと向かった。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「ごめんなさい、娘が」

「いえ、お世話になっておきながら、こちらこそ申し訳ありません」

 三人で食べた夕食はお通夜のようだった。薫は食事を終えるとすぐに、自分の部屋に引きこもった。


「戦争は辛いわね。うちも一人無くしています」

「えっ?」

 静江が美空に茶を入れてくれる。


「息子が戦死しました。あの子の兄です」

「そうだったんですか。知らずに申し訳ありません」

「主人は軍人の家系なんです」

 静江がおずおずと話し始めた。


「父親が陸軍の将官という立場ですから、息子は親の七光りを嫌って海軍に入隊しました。そして、去年フィリピン沖で」

 初めて聞く話に美空は言葉が出ない。フィリピン沖海戦、戦後の言葉でレイテ沖海戦、日米オーストリアの海軍、合わせて20万人以上が戦った史上最大の海戦だ。レイテ湾突入を目前にした栗田艦隊の謎の反転が勝敗の分かれ目とも言われているが、すでに日本海軍の主力戦力は四カ月前のマリアナ沖海戦で失われていた。山南司令の息子は沈んだ戦艦武蔵の乗員だったのかもしれない。


「それでも、うちは志願していますから。徴兵されたお宅に比べれば覚悟はできていました」

 静江が美空に亡くなった息子の写真を見せた。まだ若い。亡くなったのも二十代だろう。


「主人も部下を何人も亡くしていますから、息子が死んだからと言って大っぴらに悲しむ態度を外に出すこともありません。他人様ひとさまの息子に死ねと命令している立場ですからね」

 山南の態度からは、息子を去年無くしているとは想像もできなかった。


「兄とは年が離れた兄弟だったから、あの子も懐いていて、去年はずっと泣いていました。それに将校の子どもでしょ。学校では友達にも避けられていて。徴兵されて大勢が犠牲になっているのに戦況が悪くなっているのは上が無能なせいだと、皆口には出さなくとも思っていますから」

 美空も歴史を学んだものとしては、先の戦争は指導者に責任があると思っている。だが、実際に当事者を近くで見る立場となると単純には割り切れない。


「だから、家にお客さんが来る、それも若い女性が来るということで、はしゃいでいるんです。あの子にとっては、久々に明るい話題だったの。でも、あなただって辛い思いをしていますよね。主人からは詳しいことは何も聞いておりませんが、戦時中ですものね」

 静江が想像しているのとは違うが、親しいものを亡くす気持ちは同じだ。


「婦人解放運動に取り組んでらっしゃるのですか?」

 美空は沈んだ雰囲気を変えようと、先ほど薫から出た言葉に話題を振った。


「えぇ。大したことはしていませんが、戦争が始まる前は同人誌に投稿などもしておりました。女性でも、男と同じ仕事ができるってね」

 静江が若いころの自分を思い出すように遠くを見つめた。


「あなたみたいな女性の操縦士の伝記映画を作ろうとしたこともあるのよ。でも、最初は女性が飛行機を操縦するといってちやほやされても、すぐにあることないこと噂されて姿を消してしまった」

 その話は聞いたことがある。たしか、兵頭精ひょうどうただしという名前の日本初の女性パイロットだ。朝の連続ドラマのモデルにもなったはずだ。


「でも、あなたのように女性が兵士になるなんて。ソ連では女性の飛行士もいると聞いていましたので、社会主義の国は進んでいるなと思っていましたけど。それが良いことなのか」

 この時代の人が未来の日本を見たら、どう思うのだろう。理想の社会が実現したと思うのか、それとも、行き過ぎだと思うだろうか。


「ごめんなさい、長々と話し込んで。飛行機の操縦は疲れるでしょう。ゆっくり休んでくださいね」

「いえ、私はもう」

 飛べませんと続けかけた言葉は声になることもなく、夜のとばりへと消えていった。

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