8限目同好会(6)

 白塚しらつか先生の誘導に従い、僕は教室に入る。

 学生机は大半が教室の後方に下げられており、空いた教室の前半分に2席分のみ対面で机が並べられていた。資料らしきものが置いてある席の方に白塚先生が着くのを見届けてから、僕も対面の席に着いた。


「さて、では早速進路面談を始めようか」


 白塚先生がファイルから紙を取り出す。おそらく、僕が記入した進路志望表だろう。


南ヶ丘みなみがおかは理系志望で、第一志望大学は東京大学と」

「はい」

「科類は既に決めているのか?」

「決めてないですが、敢えて理Ⅲを志望する理由もないので、理Ⅰか理Ⅱの予定です」

「ちなみに、その理由は?」

「今のところ明確にやりたいことが決まっている訳ではないので、大学入学後に学部を選択できる東大が良いかと思いました」


 ここまでは想定されていた質問だ。そして、それに対し、特に問題ない応対をしたつもりだった。しかし、白塚先生は厳しい表情を見せる。彼は腕を組み、考え込むような仕草を見せた。


「その理由なら、理Ⅲを志望しておくべきなんじゃないのか? 理Ⅰや理Ⅱからだと、医学部への進学はハードルが高いだろう」

「医学部に入るつもりは無いですし」

「そうなのか。それは何故?」

「動物触るのとか無理ですし。解剖とかもってのほかですよ。ご存じですよね?」


 4年生の本年度は化学の授業を持っている白塚先生だが、中学時代は生物の授業を担当していた年もあった。その時に実験の様子とかも見ているはずだし、僕が動物に触れないことは彼も知っているはずだ。

 しかし彼は、これでは納得してはくれないようだった。


「それはまあ、知らない訳ではないが。ではそもそも、理系志望にしているのは何故だ?」

「何故って、僕が国語の成績だけはそんなに良くないの、知ってますよね?」


 全教科合計だと学年2位前後を維持しているとはいえ、国語――特に現代文――だけ見れば平均程度の成績だった。論説文の読解はまだマシなのだが、小説文の読解はからっきしだ。行動や情景から文章中に明記されている以上の感情を読み取れというのは無茶振りすぎないかと、小学生の頃からずっと思っている。


「国語の成績が悪いから理系志望、というのはあまりにも消極的すぎる理由だな。それに、先ほどの動物や解剖が苦手だから医学部は目指さないというのも消去法だ」


 そこで一息つくと白塚先生は、極刑を宣告する裁判官のごとく、決然とした表情で告げてきた。


「南ヶ丘の話からは、意思が全く見えてこない」

「……それは、だから、やりたいことが決まってないから――」

「やりたいことを見つける努力はしているのか?」


 無意識だった。机の天板に握り拳を叩きつけていた。拳に痛みを感じるのは数年ぶりのことだった。語気が荒くなるのもいとわず、吐き捨てるように叫ぶ。


「そのために勉強してんだよ!!」

「落ち着け、南ヶ丘」


 激情を示した僕に対して、先生は手の平で抑えるようなポーズを見せるが、その程度で止まるはずがない。机に手を叩きつけた勢いで立ち上がりまくし立てる。


「でも見つからないんだよ!! ……キング牧師の演説も、……三角関数も、……枕草子も、……酸化還元反応も、……世界の気候分布も、僕の中では単なるインプットの対象にしかなりえない!!」


美旗みはたの話だ」



『優等生やと思ってたけど、こんな一面もあるんやね』

『今度は、爆発させる前にうちに相談しいや?』

『もう、南ヶ丘くん、またやっちゃったん?』


 唐突に提示されたなーさんの名前に対して、過去に彼女と交わした言葉がフラッシュバックし、正気に返る。

 一旦冷静になってしまうと、自身がしでかしたことに対する羞恥しゅうちで心があふれかえった。今日はもう帰っているはずだが、彼女にまたこんなところを見られてしまうことを想像すると耐え難い!



 しばらくして、僕は力が抜けたように、ストンと椅子に着いた。

 4年連続で僕と彼女の担任であるのもあって、白塚先生は僕と彼女の関係性についてもある程度把握しているのだろう。それにしても、このタイミングでそのカードを切ってくるのは卑怯だと思う。

 そんな彼は、こちらの激情を抑えることに成功したからか随分と頬が緩んでいた。この人でもこんなに破顔することがあるのかと意外に思う。そんな、若干気持ち悪いくらいの笑みを湛えながら、先生は話を続けた。


「美旗の将来の夢は知っているか?」

「医者ですよね?」


 なーさんが医者志望であることは、メッセージでのやり取りの中で何度か話に上がっていたので知っていた。曰く、人の命を助ける仕事をしたいという。


「そう。では、何故彼女は医者になりたいんだと思う?」

「人の命を助けたいって話は聞きました」

「それだけなら、看護師でも、救急隊員でも、あるいは医療機器の開発者でも、他にも当てはまる職業は沢山あるだろう。だが、彼女はどれでもない医者という道を志した。それは何故だろうか?」

「そこまでは聞いたことないですよ……」

「そうか……。彼女は、『人の命を助けたい』という漠然とした夢や、そこから『医者』という明確な志望職種を決めるために、何かしら努力をした訳だ。詳しいことは本人に直接聞くといい」


 なーさんの話を始めてから、教室の扉の方に視線を向けていた彼は、ここで僕の方に向き直った。


「受動的なイベントがきっかけになって夢を抱くことも往々にしてあるが、いつ来るか分からないイベントをただ待っているだけだと、何も決まらないまま人生を浪費することになる可能性もある。だから、これを機に何か新しく始めてみるといいんじゃないか」


 そして、良い案を思い付いたというように手を打った彼は、僕にとって耳なじみのない、でも聞き覚えはある、あの同好会の話を切り出してくるのだった。


「そうだ、ちょうど最近、新しい同好会の顧問に就いたんだ。8限目同好会と言うんだが――」


 どうやら僕は、8限目同好会と関わりを持つことが決まっていたらしい。

 そのことを運命的だと思ってしまったことも理由の1つではあっただろう。知らぬ存ぜぬを貫き通すこともできたのだが、同好会の概要を説明しようとした白塚先生を制して告げた。


「知ってます。『キミの好きを教えて』ですよね?」

「知っているなら話が早い。ちょうど今日は活動日でね、この面談を終えたら一応様子を見に行こうかと考えていたところだ。南ヶ丘も付いてくるといい」


 そうして、白塚先生との進路面談は、波乱を含んだ展開の中で幕引きを迎えた。

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金曜8限目は「好き」の時間 瀬川丹 @tangent_apple

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