8限目同好会(5)

「なーさん!?」


 驚きのあまり、思わず着信相手の名前を口に出してしまった。


「どうしたのかな、南ヶ丘みなみがおかくん……?」


 唐突に大声を上げた僕に対して、先ほどまで版権についての話に乗りに乗っていたはずの鼓ヶ浦つづみがうら先輩がいぶかしげに尋ねてくる。教壇にいる彼女からは、恐らく僕が机の引き出しの中でスマホを確認していることは分からないのだろう。


「すみません、電話です!」


 それだけ言い残して、僕は立ち上がって走り出した。はやる気持ちを抑えきれず、教室を出ながら通話ボタンを押下する。後ろ手に扉を引きながら、第一声を発した。


「も、もしもし?」


 心臓がバクバク言っているのは、席から廊下まで走ったからという理由だけではないだろう。なーさんが急に電話してくる要件なんて全く思い至らない。

 僕と彼女はメッセージではたまにやり取りする関係性ではあるが、電話で話すことは全くない。電話で直接声を聞いて話すのは緊張すると言うのもあるが、彼女と連絡を取るのは大抵こちらから相談事を持ち掛ける場合なので、1回1回の返答をちゃんと考えてから返したいというのもあってのことだ。

 そんな彼女から電話が掛かってくるとは、一体どんな用件だろうか?


「進路面談、時間過ぎてるで、南ヶ丘くん」


 関西系のなまりを感じさせるアルトボイスで、まるで弟妹ていまいたしなめるかのような優しい口調で、なーさんに話しかけられた。耳に血流が集まっていくのが分かる。

 というか、電話ってすごい。普段も日直とかの連絡で声を交わすことはあるが、こんなに耳元でなーさんの声を聞くなんて初めてだ。


「……どうしたん?」


 なーさんの声を堪能たんのうしすぎて反応がおろそかになってしまっていた。


「め、面談だよね。ありがとう。急いで戻ります」

「今どこにいるん? 教室戻るの時間かかりそうなら、うちが先に面談やっちゃうけど。先生待たせたら悪いしな」

「3号館にいるから5分くらい掛かるかな。先に面談やってくれてていいよ」

「じゃあ、先にうちが面談してるな。うちの面談が終わるまでにはちゃんと教室に来といてな! じゃあまた後で」


 ツー、ツー。なーさんの声がスマホから聞こえなくなる。彼女との初めての通話は、1分足らずのうちに終わってしまった。

 通話と同じように、先ほどまでの高揚感もプツリと切れてしまうと、逆に冷静になってしまう。もともと面談までの時間潰しのために空き教室に言っていたはずが、8限目同好会に巻き込まれて面談をすっぽかしてしまうなんて何と情けないことか。

 鼓ヶ浦先輩や中川なかがわさんとの会話、そして8限目同好会の活動に、時間や用事を忘れるほどに熱中していたということなのだろうか? 個人的にはそこまで興味はなく、流されるままになっているつもりだったのだが……。



 さて、このまま物思いにふけっていると、なーさんの面談が終わってしまいかねないので、足を動かすことにする。

 まず渡り廊下を渡って、理科室や音楽室などの特別教室が配置されている4号館へ。3階にあるのは美術室と被服室だ。それらの特別教室を使用する文化系の部活もあると思うのだが、今日はお休みなのだろうか、全く人気ひとけを感じられない。

 そんな閑散とした4号館を通り抜けて、6年制の教室がある5号館に到着する。僕の所属する4年c組の教室は――というか4年生のクラスの教室は全てだが――5号館4階にあるので、1フロア分階段を上ることになる。3階では3年生のにぎやかな喋り声が聞こえていたが、4階に上がると再び静粛せいしゅくな雰囲気に包まれた。4年は他のクラスも進路面談を実施しているとあって、残って駄弁っている生徒は見受けられなかった。

 ここまでの所要時間は、先ほどなーさんに伝えた通り、5分ほど。面談は1人10分弱なので当然だが、なーさんの面談はまだ終わっていなかった。

 手持ち無沙汰だが、あと数分で用事があるというのに麻雀アプリを再び起動する訳にもいかない。仕方なく、窓から外をボーっと眺めながら、数分後に行われる進路面談について思いを巡らせることにした。


 自慢ではないが、僕は勉強ができる方だ。僕の所属する貫綜かんそう学園の中高一貫6年制は、難関大学や医学部に多数の卒業生を輩出している県内でも随一の進学校だ。そんな中で、僕は定期試験でほぼ毎回学年2位を獲得している。全国模試で何度か成績上位者への賞品を貰ったこともあるほどなので、全国的にもある程度上位には位置していると考えて問題ないだろう。

 そんな訳で、正直進路面談で話すことなんてほとんどないと思っているのだが――


 そんなことを考えていると、ガラリと教室の扉が開く音が聞こえた。続いて、失礼します、という快活な声が聞こえて、女子生徒が出てくる。もちろん彼女こそ、なーさんこと美旗みはた希実のぞみその人だ。

 お辞儀をした後にそのまま振り返ったのか、ポニーテールが小気味よく揺れていた。そんな様子を眺めていると顔を上げた彼女と目が合う。非常に満足気な表情を浮かべているあたり、どうやら面談では特に厳しいことは言われなかったようだ。


「あ、南ヶ丘くん。先に面談やらせてもろて、ごめんな?」


 そんなキラキラした顔のなーさんと目を合わせて喋ることなどできるはずもなく、目線をらしてから応答する。


「いや、僕こそ遅れてごめん。そして連絡ありがとう」

「いえいえ。ていうか、遅刻なんて珍しいな?」

「や、まあ、いろいろあって……」


「南ヶ丘。来てるなら面談始めるぞ」


 そんな僕らの会話をいさめるような、低く鋭い声が教室の扉越しに聞こえてきた。少し遅れて、担任の白塚しらつか先生が顔を出す。

 身長が180cm近くある彼は、髪型は刈り上げで表情も硬いなど威圧感を覚えてしまう容貌ようぼうだが、決して怖い先生ではない。叱ることは他の先生より多いかもしれないが、それは優しさの裏返しであって、理不尽な怒りに身を包むことは全くなく、生徒の行動の模範となるべき教師としては、理想的な人だと言えるだろう。

 そんな先生に止められてしまっては、これ以上話している訳にもいかない。


「すみません、先生。今行きます」

「じゃあ、面談頑張ってーな、南ヶ丘くん。また来週!」


 そう言って、なーさんは手を振りながら階段に向かっていく。普段個別に別れの挨拶なんてするほどの間柄じゃないので、何だかただの挨拶なのに非常に特別な感じがした。


「また来週ね、美旗さん」


 特別な雰囲気にてられて僕も手を振り返してみたが、この上なく気恥ずかしかった。


「さて、じゃあ面談を始めようか、南ヶ丘。教室に入りなさい」

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