野良の吉永小百合〜昭和に捧ぐ〜

塩塩塩

野良の吉永小百合〜昭和に捧ぐ〜

「あ、野良の吉永小百合だ。綺麗だな」

「よせよ、人に馴れてないから噛みつかれるぞ」

「しかし、本当にこの町は野良が増えてるよな。特に野良の吉永小百合」

 若者の会話を横目で見ながら、高田のおっさんはいきどおっていた。

「あれもわしの小百合じゃない。…昭スポさん、ホンマにわしの小百合はこの辺におるんか?」

「俺の取材によると、この町が一番野良の目撃情報が多いんですよ。ほら見て、あれなんて如何いかにも野良達が好みそうじゃないですか」

 私は島根県の温泉街の裏通りにある、年代物のスズラン灯を指差した。


 思い起こせば、全ては去年の春に広島県で起こった一例目の報告から始まった。それは吉永小百合の熱狂的なファン、つまりサユリストの鼻の穴からランプの魔神の様に吉永小百合が現れ、そして逃げたというものだった。

 そして、この荒唐無稽な話は、我らが弱小にしてC級新聞社である昭和スポーツ新聞だけが記事にしたのだ。

 しかし、それをキッカケに鼻の穴から吉永小百合現るとの報告と、逃げ出して野良化した吉永小百合の目撃情報が中国地方を中心に相次いだ。

 更に最近は吉永小百合以外にも野良化する有名人が現れ、所謂いわゆる『野良の吉永小百合現象』は、あっという間に社会問題になった。


 高田のおっさんは、記念すべきその一例目の男にして『野良の吉永小百合現象』専門家だった。

「わしは小百合に人生を掛けとった。じゃけぇ小百合に逃げられて腑抜けの様になってしもうたんじゃ。知っとると思うが、鼻の穴から小百合に逃げらたら、小百合の記憶が無くなる。わしも小百合の記憶がスッポリ無くなったが、家のそこかしこに小百合のブロマイドを貼っとったお陰で、嗚呼わしはこの人を失ったんじゃと気付けた。そして、わしは小百合を…否、わしの人生を取り戻そうと思ったんじゃ」

 70代半ばの高田のおっさんは、ハイウエストのスラックスを更にグイッと引き上げ、少ない髪をクシャクシャと掻き毟り、俺を見上げた。

「…なるほどですね」

 昭スポの新聞記者である俺は行き掛かり上、このおっさんのお供をする事になった。

 勿論、気乗りのしない仕事だった。


 俺達はスズラン灯のある裏通りを奥へ奥へと進んで行った。数十年前は華やかな商店街だったのだろうが、今はほとんどシャッターが締まった寂しい通りである。

 人通りはまばらだったが、確かに野良の吉永小百合は数人歩いていた。しかし、どれも高田のおっさんの野良の吉永小百合ではないらしかった。

「あれはキューポラの時の小百合。あっちは伊豆の踊子の小百合じゃ。似とるが違う」

 高田のおっさんは、そんな事ばかり繰り返したので、俺は早々に辟易へきえきとしていた。


 歩きながら、俺は野良に関するデータを思い返していた。

 野良達は、ファンの頭の中から鼻を通って抜け出し幻影化する。しかし幻影はまた頭の中に戻される事を恐れ、すぐに逃げ出して実体化し野良になる。だから野良は人間への警戒心も強いし、人間とは口をきかない。

 また、実体化と言っても元々幻影なので、野良になっても飯も食わないし歳も取らない。

 もう一つ、野良は本物そっくりの姿形をしており、ほんの少しの違いしかない。しかし、違いが小さければ小さい程、その差異は大きく目立つという。総じて、皆どこか品格に欠ける。

 それが本物との違いだった。


「また伊豆の踊子の小百合。あっ…またまた伊豆の踊子じゃ」

「へぇ、伊豆の踊子って人気なんですね」

 俺は面倒になり、適当に話を合わせていた。

 高田のおっさんはしみじみ言った。

「こいつら全て、誰かの喪失の証拠なんよ」

 俺はドキリとした。


「おっ見てみぃ、ありゃ名場面よ」

 高田のおっさんが急に大きな声を出した。

 高田のおっさんに促されて右の路地を見ると、野良の高倉健が『唐獅子牡丹』を歌っていた。

 日本刀こそ持っていたが、野良の高倉健は、本物より少しずんぐりむっくりとした体型だった。

「死んでもらいます」

 歌い終わると往年の決め台詞が出た。

 腐っても野良でも高倉健は高倉健である。男も惚れるというやつだ。

 ウットリとして見惚れていると、高田のおっさんが俺の袖を引っ張った。

「阿呆か、早よ逃げるで。いくら野良じゃと言うても切られたら死ぬど。」

 俺達は小走りにその場を後にした。


 俺は興奮していた。

「格好良かったなぁ。しかし、何で最近は吉永小百合以外の野良も現れる様になったんですかね?」

「昭スポさん、『百匹目の猿』という話を知っとるか。ある日、島におる一匹の猿が芋を洗って食べる事を覚える。すると、それを他の猿も真似する様になる。そして、その行動をとる猿が百匹目に達した時、それは群れ全体に広がるばかりか、海を隔てた遠くの島の猿も突然芋を洗って食べる様になるっちゅう現象よ。これと同じ事が起こっとる。わしから始まった『野良の吉永小百合現象』は、ある一定数の野良の吉永小百合を生み出したところで、他の有名人のファン達にも伝播し、野良の御三家や野良の巨人軍等、次々と新しい野良を生み出しとるんじゃ」

 高田のおっさんは、初めて専門家らしい事を言った。

「なるほど、だからファンが多い有名人ばかり現れるんですね。でも何で若い有名人は現れないんでしょうか」

「それが、どうもファン歴が50年以上じゃないと幻影にならんらしい。頭の中で50年も熟成されりゃあ、神様もご褒美に外の世界に出してやろうと思うんじゃないんかの」

「だから1950年代から1960年代の有名人ばかりになってるんですね」


「…おい、あれ見ろ凄いで」

 高田のおっさんが指差した右手の喫茶店の2階には、マッシュルームカットではなく、刈り上げで揃えた野良のビートルズが、ひしめいていた。

 野良のビートルズと言っても、野良のジョンレノンと野良のポールマッカートニーばかりで、わずかに野良のジョージハリスンがいる程度だった。

「バンドとしてバランス悪いですよね。野良のリンゴはどこですか」

「おらんのじゃろう。野良はファンの数に応じて現れるけぇ仕方ない。実際、野良のビートルズ達は、どこもドラマーを募集しとる。大抵、リンゴの代わりにドラムを叩いとるのは野良の加藤茶じゃ。あれも数が多いしの。先輩格の野良のハナ肇は数が少ないし…。この前、野良の石原裕次郎がドラムで入った時は、『AHardDay's Night』の途中で『この野郎、かかって来い!最初はジャブだ、ほら右パンチ、おっと左アッパー、ちきしょうやりやがったな…』言うて、『嵐を呼ぶ男を』やってしもうて、野良のジョンがブチギレて帰ったらしいで」

「あーあ、そりゃ如何いかに野良のジョンが平和主義者でも怒リますよね」

「そうよ、野良の裕次郎の悪い癖じゃ」


 向かいの青果店の締まったシャッターの前にも、ギターを持った野良のジョンレノンが座っていた。さっき見たのと時代が違うのか、長髪の野良のジョンだった。ただ、長髪の割に頭頂部は薄くなっていた。

「あそこにも野良のジョンがいますね。」

「人気者ほどあぶれるっていうのも皮肉じゃの。まぁ、ソロでも活躍した人じゃ。大丈夫なんじゃろう」

「高田さんは呑気のんきですね。そもそも、あれは外来種ですよ」

「おい、外来種なんて言うたら人権侵害じゃろう」

「いや、人の鼻の穴から生まれた幻影みたいな存在に人権は保障されないですよ」

「人権はなくても、わしらには人情があるじゃろう。野良達が外来種じゃろうと在来種じゃろうと、今更何の生態系も壊れりゃせんわ」

「…すみません。それもそうかもしれませんね」

 俺は少し申し訳ない気持ちになり、長髪の野良のジョンレノンのギターケースに投げ銭をした。するとその隣に、鼻の赤い野良の吉永小百合が座っているのに気付いた。

「…それも、わしの小百合じゃない。それにジョンにはヨーコじゃないといかん。気持ちが悪いわ」

 高田のおっさんは、吐き捨てる様に言うと、スタスタと歩いて行ってしまった。


 ふと、先を行く高田のおっさんの足が止まった。

「何じゃ、あの人だかり」

 威勢の良い声が聞こえた。

「やけのやんぱち日焼けのなすび、色が黒くて食いつきたいが、あたしゃ入れ歯で歯が立たないよ…」

 人だかりをかき分けると、前歯の抜けた野良の車寅次郎がバナナの叩き売りをしていた。

「あの人、元々野良みたいなものだから、違和感ないですね」

 すると、人だかりの中の一人から吐息が漏れた。

「あぁ…、あぁ…、あなた知ってる、港ヨコハマ」

「あっ高田さん、野良の青江三奈が『伊勢佐木町ブルース』を歌ってますよ」

 野良の青江三奈は、本物より化粧が濃く、更にハスキーボイスだった。

「本物より品がない分、世代を超えてふしだらじゃのう。こりゃ傑作じゃ」

 野良の車寅次郎は、照れ臭そうに下を向きバナナをいじっていた。

 この野良の車寅次郎のマドンナは、野良の青江三奈の様だった。ジョンにしても寅次郎にしても、野良達の関係性は現実とは違うのだ。

 俺は、高田のおっさんの機嫌が直った事に安堵した。


 閉店セールをしている本屋の前に差し掛かると、70歳位の店主と思しき男の目が白く光っていた。

「ぐあぁぁぁ…!」

「おい、昭スポさん早くこっち来い。生まれるぞ」

 高田のおっさんが興奮気味に言った。

 すると男の鼻の穴から、身長185cmはある幻影の美空ひばりが現れた。生まれたての幻影の美空ひばりは、しなをつくり「ありがと」と言うと、実体化してすぐに走り去った。

 また一人、野良の美空ひばりが世の中に増えたのだった。

「人であろうと元々幻影であろうと、誕生の瞬間というのは神秘的で感動的なものなんですね」

 俺は、高田のおっさんが言った『人情』という意味が少し理解出来た気がした。

「そうじゃろ」

 高田のおっさんは、優しく微笑んだ。


 ブロロロロ…。

 左後方からエンジン音が聞こえた。

 野良のグレゴリーペックと野良のオードリーヘプバーンがベスパに二人乗りして、俺達の隣を通り過ぎて行った。二人とも醤油顔だった。

「ええの、ローマの休日。洒落とるわ」

「あのベスパは本物ですかね。それとも野良のベスパですかね」

「ははは。そりゃ分からんが、二人とも幸せそうなんは確かじゃの」

 すると、向こうでガチャーンと音がした。

「おっ急げ、野良のヘプバーンが事故したで」

 はねられたのは、野良の少年だった。

「あれは野良のおそ松ですね。いやカラ松かな、いやチョロ松…誰でもいいや。兎に角ギャグ漫画だから事なきを得たみたいですね」

 ニキビ面の野良の六つ子は、ソバージュヘアの野良のイヤミを見つけると元気に走って行った。


 しばらく歩くと、人の言い争う声が聞こえた。

 近付くと、小さな花屋の前で野良の村田英雄と野良の三波春夫が喧嘩をしているのが分かった。野良の村田英雄は着物の合わせが逆で、野良の三波春夫はかなりタレ目だった。

「吹けば飛ぶよな将棋の駒に!」

「月がわびしい路地裏の、屋台の酒のほろ苦さ!」

「賭けた命を笑わば笑え!」

「知らぬ同志が小皿叩いて、チャンチキおけさ!」

 どういうルールか分からないが、二人は『王将』と『チャンチキおけさ』の歌詞を交互に言い合っていた。

 そして、白いタイツの野良の力道山が、喧嘩を焚きつける様にグルグル周りレフェリーをしていた。

「あの二人は、仲が悪かったけぇの。懐かしいわ」

 高田のおっさんは目を細めて笑っていた。

 俺はこの日の為に昭和芸能史を勉強したとはいえ、付け焼き刃である。俺には分からない事も沢山あったし、それはとても寂しい事だった。


 そして、裏通りももう終わりが見えてきた頃、中古レコード屋の前で高田のおっさんが叫んだ。

「見つけたで、わしの小百合ー!」

 中古レコード屋の屋上には、一人の野良の吉永小百合が立っていた。

 確かにこれまでと雰囲気が違い、より本物に近い自然な美しさがあった。

 高田のおっさんがワナワナと震えながら野良の吉永小百合を見上げる。

 そして、中古レコード屋に入ろうとした時、野良の吉永小百合の後ろから歌声が聴こえた。

「星よりひそかに、雨よりやさしく」

 現れたのは、これもまた自然美溢れる野良の橋幸夫だった。

「あの娘はいつも歌ってる、声がきこえる、淋しい胸に、涙に濡れたこの胸に」

 それは、1962年の第4回日本レコード大賞の大賞曲『いつでも夢を』だった。

 野良の橋幸夫と野良の吉永小百合が声を合わせた。

「言っているいる、お持ちなさいな」

 すると町中の野良の橋幸夫と野良の吉永小百合が遠吠えの様に共鳴し、みるみる内に大合唱になった。

「いつでも夢を、いつでも夢を」

 高田のおっさんも俺も合わせて歌った。

「星よりひそかに、雨よりやさしく、あの娘はいつも歌ってる」

 それは町中が祝福された様な、とても幸福でキラキラと輝く昭和の様な、奇跡のひと時だった。

 気付けば、高田のおっさんも俺も泣いていた。

「昭スポさん、さぁ行こう」

 高田のおっさんが振り返り、来た道を戻って行く。

「高田さん、いいんですか。高田さんの小百合…」

「ああ、わしの小百合にはもう新しいパートナーがおる。何よりとても幸せそうじゃないか。今日でサユリストは卒業にするわ。わしもまた夢を持つで。いつでも夢を」

 高田のおっさんは、とても男前に見えた。

「…高田さん」


 その時、また高田のおっさんが叫んだ。

「ぐあぁぁぁ…!」

 高田のおっさんの目が白く光り、そして鼻の穴から薄暗く、とても大きな塊が生まれていた。

 それは、とてもとても大きく、通りにあるどのビルよりも大きかった。

「ギャアアアオオーーーン!」

 生まれたのは、尻尾が太めの幻影のゴジラだった。

 幻影のゴジラはすぐに実体化し、周りの建物を壊しながら、そして全ての生態系を壊しながら、国会議事堂へ向けて歩いて行った。

 それは、世界初の野良のゴジラの誕生だった。

 俺は、人であろうと元々幻影であろうと、誕生の瞬間というのは神秘的で感動的なものだと思いながら、それを見送ったのだった。



※「伊勢佐木町ブルース」作詞:川内康範

※「王将」歌詞:福田こうへい

※「チャンチキおけさ」歌詞:門井八郎

※「いつでも夢を」作詞:佐伯 孝夫

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