リュートック断章

ふたりの一日

朝はたいてい、ナギのほうが早く起きる。

ナギはあいかわらず、ユメリアの寝顔を見るのが好きだった。


「おはよう……」


ユメリアが眠そうな目をしたまま、ナギのほおに口づけをしたのもつかの間。


「あっ、もうこんな時間!」


ユメリアが跳ね起き、バタバタと共同の炊事場へ走り、砂糖たっぷりの紅茶とパンを用意してくれる。


近ごろ、ナギの朝は早くなった。フェスタとふたり、街の小金持ちの庭の世話をまかされることが増えたからだ。


このちいさな商売がはじまったのは、噂が巡り巡った結果だった。


フェスタが作る花束を男たちが女に贈るうち、女たちの間で「センスがいい」と話題になった。さらに、酒場のルビーを通じて噂が広がった。


花束について相談を受けるうち、「うちは庭師を入れるほどじゃあないけど、薔薇の棚ぐらいは作ってみたい」といった希望をフェスタが聞きつけた。そのなかのひとり、郊外にちいさな邸宅を構える会計士に「専属にはなれないけれど、予算分の庭師作業を請け負いますよ」と持ちかけたところ、トントン拍子で話が決まった。


うつくしい庭に憧れるものの、庭師を入れるほどの金はなく、庭もたいして広くない。自分で庭いじりをしてみたものの、理想にはほど遠い。

そう考えている中産階級の人間は意外と多かったらしく、この“ちいさな庭師業”はなかなかウケている。


ときに大胆に、繊細に、あかぬけた庭の設計を提案できるフェスタと、こまごまとした世話をアドバイスできるナギの組み合わせも相性がよかった。


いままで世話してきた“恵まれた庭”とは違って、日当たりのよい場所がほぼ皆無の庭、水はけが悪い庭……。どこも条件は限られている。希望をどうかなえるかを考えることは、ナギにとって学びが多かった。

なかには、

「どうやっても薔薇は無理ですね……」

ということもある。

ナギひとりだとそこで終わってしまうが、すかさずフェスタが自前のスケッチを出す。

「だったらこんなのは……? ここに百合でも植えりゃ、カッと華のある庭になりますよ」

それでたいてい、顧客の顔が明るくなるのだった。


ボリスには話を通し、上前を納めて、ふたりはこれを商売にした。ナギはこれで苦手な借金の取り立てなどの荒事をしなくてよくなり、肩の荷が下りた。


目下のふたりの目標は、依頼者たちの家で秋の薔薇をきれいに咲かせること。夏の終わりのいまはその準備でなかなか忙しかった。


「きょうはどのお宅でお仕事?」

「えーっと、ボリスさんちの近く。弁護士のひとのとこ。ロイドさんっていったかな。ユメリアは、お針子仕事だっけ」

「今日は休みだから、ジュディさんところで子守り。ルビーさんも来て、みんなでお昼を食べるの」

ルビーはジュディと気が合うようで、あの“劇場”の一件以来、ときどきこのあたりに顔を見せるようになった。ときには流行りの菓子などを手土産に、子守をこなして帰っていくのだという。


ユメリアに見送られて家を出ると、工場へ出勤する人たちの波に逆らい、まずは“龍の国”街からほど近い、隣国からの移民が多い地域へ足を運ぶ。

張り巡らされたロープに洗濯ものが揺れる路地を抜け、子どもたちの歓声と足音、「ちゃんと座って食べな!」としかりつける母親の声が響く家に、ナギは「おはようございます」と入っていく。

その北の一室に、フェスタが間借りしているのだった。

「あいつ、まだ起きてないよ!」

丸裸の子どもの首根っこをつかまえ、ズボンを履かせようとしている女主人が声を張り上げた。

ナギは会釈し、古い木の扉を開く。あんのじょう、フェスタは毛布ともいえないようなぼろきれにくるまり、寝息をたてていた。


「フェスタさん、起きて!」


らちがあかずに布をはぎとり、「起きろ! 今日は朝からロイドさんのお宅!」と揺すると、やっと「悪魔だな、お前」と下がり眉をさらにしょぼしょぼとさせ、フェスタが起きてくる。


「ほんと時間ないんですから! 早くしたくしてください」


フェスタが動きはじめたのを確認し、ナギは家の外に出て待つ。このひと手間のせいで、ナギは早く起きざるをえないのだが――。


フェスタはその下がり眉のちょっと情けない表情と、やわらかな物腰で客たちから要望を引き出すのがうまく、金銭の交渉の必要があっても角を立てなかった。

それはナギがけっしてできないことだった。


「毎日悪ぃな」


と言いつつもまったく悪びれていないこの男がいないと、顧客との会話がはじまらない。


「急いでくださいよ。苗木屋にも寄らないといけないし」


毎朝、ナギがフェスタを迎えに行っているので、脚立など大きな道具はフェスタの下宿に置かせてもらっている。ふたりはそれらを抱え、バタバタと街中へと走り出した。


顧客の庭でこまごまとした世話を終えると、ボリス宅の庭仕事をする。あれ以来、松もなかなか調子がいい。


あわただしい一日を終えると、ナギは川沿いの道に回り込み、フラットに灯りがともっているのを見上げる。古びたフラットの窓辺から漏れる、ランプの光。代り映えのしないその光景が、ナギの心を充たしてくれた。


「おかえりなさい!」


扉を開けると、ユメリアが迎え出てくれる。何かいいにおいがする。たぶん、チキンを煮たもの。

ジュディの家に行く日は、石炭代をみんなで出し合うとかで、ユメリアが何かを作ってくることが多い。子守をしている間、これまた共同で購入した野菜やチキンを大鍋で煮込み、みんなで分けて持って帰ってくるらしい。


ユメリアを抱きしめて「ただいま」と口づけをする。


――俺の、俺たちの家。


最近、ナギは帰ってくるたび、そう思う。


ただユメリアを守る神殿ではなく、ふたりが過ごす場所。ただの、家。

それぞれが別の時間を過ごして、また戻る場所。


「俺もパン買ってきたんですよ。市庁舎の近くの、ほら……」

「あそこ人気あるからなかなか買えないんだよ」


眠る前のひととき、「庭仕事のてほどき」という、古ぼけた一般向けの本を開く。古本屋で格安で売られていたものだ。こういう本に、案外、世話のヒントが隠されているからあなどれない。


本を閉じて寝台に向かうと、ユメリアはすでに寝息をたてている。


「おやすみ」


ユメリアを腕に抱き、ナギはまた同じような明日を迎えるために、目を閉じた。



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