番外編

リウとナギ

――なんかやべえヤツだな……。


それがリウにとっての、ナギの第一印象だった。


借金の取り立てに行ったら女が襲われていた。なりゆきで助けたものの、顔に傷をつけた。だから、女を送った。旦那がいるなら一言詫びを入れようと思った。そうして、リウとナギははじめて顔を合わせた。女は白人だったから、旦那が東洋人なのには驚いた。が、まあそういうこともあるだろう。


事の顛末を聞くと、工場勤めの見るからにまじめそうな男は激高した。地面に手拭いを投げつけ、「ぶっ殺してやる」と繰り返し、街へ向かおうとした。

自分の女が襲われたことを考えれば当然の反応だが、一口に「ぶっ殺す」といってもいろいろある。一発入れてやりたい。腹は立つがとりあえず女に寄り添ってから考えよう。警察にタレこもう。


この男の「殺す」はそのどれでもない。本気だった。


真面目さが極まって、キレると危ないカタギ。チンピラがなめてかかって返り討ちにあうのは、たいていこういう相手だ。

「ジョンは俺らがシメる。女のそばにいてやれ」となだめつつ、リウはそんなことを考えていた。


後日、ボリスに「松の世話がわかる男を連れてこい」と命じられて声をかけに行ったとき。男は露骨に嫌な顔をした。


――チンピラ相手に、ここまで顔に出すかね。


言っちゃなんだが、リウ自身、絶対にカタギには見えない自信がある。はだけたシャツも顔の傷も、何よりもたたずまいも。だからナギの反応を見て、根性がすわった男だと思った。


そこでひとつ、興味がわいた。


どうしてこんなに危なっかしい男が工場勤めなんかしているのか。ここリュートックは工業都市だ。石を投げれば工場労働者に当たる。だから、この一見地味な男が工場で働いているのは不思議ではないといえば不思議ではないのだが――。

 

そのうえ、その男――ナギは、松の話を出すと興奮したようすを見せた。植物とは無縁の仕事をしているにもかかわらず。


ナギが松の世話をした帰り、酒場に誘って聞いてみたことがある。


「お前、工場勤めの何がおもしろいんだ」

「おもしろいわけないだろ」


ナギは顔をしかめた。


「じゃ、なんでそんなところで働いてんだよ」

「まじめに生きたいからだよ」

「まじめに生きて、おもしろいのか」


ナギはますます顔をしかめた。カタギの男が自分に対し、思ったことを隠さずぶつけてくる。それが心地よくすらあった。


「おもしろいとかおもしろくないとかじゃない」


ナギはビールの入った木製のジョッキをあおり、テーブルにどん、と音をたてて置いた。


「俺はまじめに働いて、まっとうに暮らしたいだけだ」


だからつまらないとかおもしろいとかは関係ない。そう、ナギは言い切った。


「顔上げて、日なたを歩きたいんだよ、俺は」

「そういうもんなのか」

「すくなくとも俺はそうだ」

「お前……なんか、すげえな」


リウがまじまじとナギの顔を見ていると、ナギが酔いにうるんだ目でにらみつけた。


「なんだよ。おかしいか」

「いや、おもしろい」

「バカにすんな」

「バカにしてねえよ」


まっとうに生きたい。そのために、つまらないことを繰り返す工場勤めに耐える。

生まれてこのかたヤクザものしかまわりにいなかったリウにとって、ナギの生き方は新鮮だった。


聞けば孤児でロクな教育を受けていないというこの男が。

肌の色が自分と変わらないこの男が。

けっして気弱なわけでもないこの男が。


酒場に誘うと、「あんたと何話すんだよ」と憎まれ口をたたきつつも、ナギはたいてい乗ってきた。酔うとナギは、いつも植物の話をした。どうやら田舎町で庭師見習いをしていたらしいとわかったが、過去について突っ込むとごまかした。嫁はどっかのお嬢さん然としていた。駆け落ちでもしてきたんだろう。


あの頃は、そう思っていた。


ナギがボリス宅で庭仕事をした帰りに、ときどき誘うだけの間柄。だから、ナギが脅されているとかヤバいことになっているとか、ぜんぜん知らなかった。


あの夜、路地でナギを見つけたときは愕然とした。危ないヤツだと思ったが、まさか人を殺すとは。しかも過去の貴族殺しはともかく――それもじゅうぶん驚いたが――今回の相手は、評判の悪いクソ女衒ぜげんとつるんでいた男だ。ひと言相談があれば、なんとかできたものを。


――日なたの道を歩きたいんじゃねえのかよ。


「なんで相談しねえんだよ」

「なんでだろうな」


答えたナギが浮べた悲し気な笑みを見て、リウははじめて理解した。


――こいつはバカなんだな。


短い付き合いのなか、ナギから話を聞いても、やはりリウにはわからないことばかりだった。


子どものころ、孤児院で盗みの濡れ衣をきせられたという。そんな経験があってなぜまじめに働こうと思えるのか。


つまらない単純作業をしてまで守りたいものは何なのか。


まじめに生きた先に何があるのか。


ふつうはどこかで道を踏み外すものではないのか?

わかれ道があるとしたら、そこで外道として生きるか、それなりに仁義を守って生きるかぐらいだろうに。


なのにこの男はとうてい理解できない道を歩いている。

何度も何度も蹴落とされそうになりながら、しがみついて。

バカだ、とリウは思う。

バカだからバカ正直にしがみついて、バカだから、しがみついてまで守ってきたものを手放すハメになっている。


――しがみついて、しがみついて、しがみついて、その果てが縛り首。バカじゃねえのか。


「警官、呼んでやるから、そこでじっとしとけ。動くなよ。さっきみたいにひとが通ったら、酔っ払ったって言え」


ナギにそう言い置いて、立ち上がる。


――バカはバカなりに生きろよ。


この時間、ボリスはどこにいるだろうか。算段しながら、リウは夜の街に駆け出した。

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