そして、船はゆく
「な、な、謎の美女、サーガ・ヴォルヴァですって。路地の狂犬が、
船のうえで、アレリアの思い出し笑いが止まらない。
「あの出しものは傑作でしたねえ」
「うるせー」
手すりに頬づえをついて、サーガはそれを聞き流す。紺碧の海に白い波の軌跡を描きながら、船はゆく。
潮風が吹き付けてなお、空気はカラリとしている。モンスーンの国が恋しくないと言ったらうそになる。けれど、湿度が低いこの気候を楽しめるのもあと数日だと思うとそれも惜しい。
「しかし、あなたがあんなに妹さんには甘いなんて」
笑いすぎてむせ返り、アレリアはブリキの水筒から水を飲んでいる。
「ナギ君でしたっけ? 首取れたでしょ、いくらでも」
「あれは妹のためじゃねーよ」
手すりに背をもたせ、甲板のほうを向く。
「……あんま強くなかったから」
――あの人があの屋敷でどんな目にあっていたか!
怒りつつも、切実で、必死で、悔しそうで、悲しそうだったから。それだけ。
なんだか聞いてやらなきゃいけないような気になった。そう思ったら、自然とあの場でいちばん不利になる剣だけを使っていた。
ナギの声につづいて、昨日の妹の声がよみがえった。
――わたしも、何かおかえしができたらいいんだけど。
***
けじめというか落とし前というかつぐないというかの3日をすませ、「明後日発つ」と告げると、あのナギとかいう男が、「明日はお姉さんを街を案内してあげたらどうかな」とかなんとか言いやがった。当然、「おまえの姉じゃない」と言い返しておいたけれど。
当のナギは仕事があるとかで、妹とふたり、リュートックの街を歩いた。工場街からはじまり、落成して数年だというりっぱな市庁舎まわりの小ぎれいな通りやら、ごちゃごちゃしているけれど活気ある商店が連なるエリアやら。
途中、八百屋の軒先に目をやったユメリアが「きれいなりんご!」と走り寄った。
「おう、あんたか。久しぶり! 最近は、春夏に実をつける品種が出てきたんだよ」
日に焼けた八百屋の青年が、ほかの客をあしらいながら説明した。
ユメリアは腰をかがめてりんごを選びながら、
「姉さま、いままでどうしてたんです?」
と問うた。
「冒険ができるとかってモンスーンの国へ行って、だまされて、逃げて、いろいろあってチンピラをぶん殴って金を稼いでいる」
妹が目を上げて口を横に引き、あきれた顔をした。
「うわー……」
「そういうあんたは?」
廃材置き場でユメリアにはいろいろとわめかれたけれど、筋道立った話は聞いていなかった。さいふを出しながら、妹が表情をふとくもらせた。
「あのあと、約束どおりお屋敷に引き取ってもらったんだけど……」
「まいど。おっ、劇場の!」
銅貨を受け取っていた店番が、サーガに気づく。
「姉なんです」
ユメリアが照れ笑いを浮かべた
「へぇーっ、美人姉妹ってわけだ。しかし、あんま似てないねえ……」
「よく言われます」
苦笑いするユメリアのかごにりんごを入れて、八百屋が白い歯を見せた。
「またふたりできてよ!」
八百屋を離れると、ユメリアがサーガにりんごを差し出した。路地に姉妹並んでたたずんで、果実をかじる。新品種だというそれは、酸味が強かった。
「お屋敷でいろいろあって……。そこで働いていたナギさんが、連れて逃げてくれたの」
「へえ」
サーガはそれ以上の事情は聞かず、りんごをかじった。
「そのままここへ?」
ユメリアはまだりんごに口をつけず、赤い皮に指をすべらせ、うなずいた。
「いろんなひとに助けてもらって」
そのまま、ちいさくかじる。
「いまもそう」
両手で赤い果実を持ち、ふう、とちいさく息をついて、妹が前を見た。
「わたしも、何かおかえしができたらいいんだけど。ナギさんにも、この街のひとたちにも、みんな」
路地の向こうは、あいかわらず雑踏のざわめき。
「貸し借りだと思ってないだろ」
ユメリアがサーガを見た。
「あいつ……ナギも、ほかのヤツも」
サーガの脳裏に、モンスーンの国で育ててくれたばっちゃんの顔がよぎる。なんの義理もないのに、倒れていた自分を拾ってくれた。返したかった、と思う。でも、ばっちゃんは何も求めなかっただろう。
かつて、実家から妹を連れ出した自分だってそうだ。望んだことはただひとつ――。
「元気にしてりゃいいんじゃねーの」
すこし驚いて、目を丸くして。
「……うん……」
妹がほほえんだ。姉が見たことがない表情で、しあわせそうに、はにかむように。
***
「さあ、あっちへ帰ったらいよいよですねえ」
「そーだな」
「おや、『ぶん殴ってやる!』とか『ぶっ殺す』とか威勢のいいこと言わないんですね」
サーガはだまってまた、海に目をやった。
「変わりましたねえ……」
「べつに」
サーガは思う。ばっちゃんの仇を取ったとして。そのあとは? そのあと、自分はどう生きていくのだろう――。
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