夢
ユメリアは夢を見ている。
ずっとずっと忘れていたことが浮かんで消える。
オーロラの国にいたころの夢。暗くてひんやりしたお城の裏庭を、だれかに手を引かれて歩いている。大好きなうさぎさんのぬいぐるみをぎゅっと抱く。いやだな、こわいな。でも、がまんしなくちゃ。いい子にならなくちゃ。
甘い甘い声で、だれかが何かを言う。もやがかかって、顔がよく思い出せない。このひとはこわい。
「お前、何してる!」
突然、からだを引っ張られて、だれかの手から離れる。姉さま!
だれかの苦々しい声。
「知るか! ユメリアに近づくな!」
姉さまは、すごく怒ってる。ぶつぶつ言っているだれかに取り合わず、姉さまはわたしの手をぎゅっとにぎって速足で歩く。
「ユメリア、あいつが寄ってきたら逃げろ」
「でも……」
「何言われたんだよ。あんな奴の言うことを聞くな」
姉さまがしゃがんで目を合わせて、ちいさくため息をつく。
「あいつに声をかけられたら、姉さまを呼びな」
真剣で、でもやさしい目。くすぐったくて、安心する。
「……うん……」
「いつだって、どこにいたって、来てやるから」
姉さまは、片手でわたしの髪をなでる。もう片方の手には、剣。稽古の途中なのに、飛んできてくれたんだ。
浮かんで消える。忘れていたこと。
母さまがわたしと姉さまの手をにぎる。やせて、やせて、母さまの手は骨の形がわかる。
「ヴォルヴァの家のことは忘れて、あなたたちはふつうに生きなさい。しあわせになりなさい」
忘れる……。何を?
そうだ、わたし、オーロラの国で、夏至祭の日に……。
母さまがかすれた声をしぼり出して言う。
「サーガ、ユメリアをお願い。この子は……」
「わかりました。母さま」
姉さまは真剣な目でそう答えた。
なのに、わたしを置いていってしまった。
浮かんで、消えて。
行ってもどって。
忘れていたことばかり。
一面のマーガレットが咲いている。まだ母さまが生きていたころ。この国へ来たばかりのころ。
いつかオーロラの国でしたみたいに花輪を編んで、姉さまのところへ持っていく。花輪を頭に乗せてニッカリ笑う姉さまは、やっぱり戦女神みたい。姉さま。大好きな姉さま。そうだ、わたし、お役に立たないと。父さまに言われたみたいに、「いらない子」って思われちゃう。
「姉さま、あのね」
お人形よりもなめらかな姉さまの白いほっぺたに泥がついて、白金色の髪の先がぬれている。川をのぞきこんでいたから。きっと、かえるを探していたから。
「わたし、わかるの。あそこにかえるがいる!」
夕方の光が小川をきらきらさせている。その端っこにある石をさす。
だって、わたしには見えるもの。オーロラの国にいたときみたいにたくさんは無理だけど、姉さまといっしょにいると、見えるもの。
なのに、姉さまはかなしい顔をした。
「あのな、ユメリア」
「ほんとなんだってば!」
「嘘だなんて言ってない」
姉さまが、髪をやさしくなでてくれる。
「でも、そういうのは自分で見つけるから楽しいんだ」
「かえるじゃだめなの? 姉さまはよろこんでくれないの? じゃあ、じゃあ、小ぶなは? 明日のお天気は?」
まくしたてると、姉さまは困った顔をした。
「ユメリア、姉さまのお役にたてるよ! 姉さまの近くにいると、見えるもの」
姉さまは、何かを言いかけて口をつぐんだ。それを見たらかなしくて、涙がどんどんわいてきた。
「ユメリア、お役に立てないの……」
「なあ、役に立つとか立たないとか、そういう……」
「で、できそこない、だから」
姉さまが顔をしかめる。
「クソおやじが言ったことなんて忘れろ」
母さまもいつも言ってた。ヴォルヴァのお家であったことはぜんぶ、忘れなさいって。そのうち本当に、いろんなことが思い出せなくなった。
小川のほとりで姉さまが言う。
「ユメリア、何も見ないでいい。ふつうに、しあわせになるんだ。ほら、あの絵本みたいに。王子さまとお姫さまがどうのこうのって。あの話、好きだったろ? 『王子さまを見つける!』って言ってたじゃないか」
王子さま。わたし、王子さまに選んでなんてもらえない。
……でも……。
「あなたは、きれいですよ」
黒い瞳がまっすぐわたしを見る。宝物みたいに、わたしの手を取って。
ナギさん、ナギさん、ナギさん……。
わたしのたったひとりの王子さま。
ユメリアの意識は、ぬばたまの闇にとけていく。
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