急襲
ユメリアとジュディを劇場に送ったあと、リウはボリス宅にナギを迎えに行った。ふたりで街中の事務所へ向かう途中――。
「金」
ナギが立ち止まった。
「家に金、取りに戻らないと……」
「そんなもん、後でいいだろ」
「いや、大事なんだよ」
ゲルバルドに持たせてもらった金や、工場勤め時代にボリスから庭仕事の報酬として貯めた金はいまものこっている。ボリスの組織に入ってから上納金の不足で目減りはしたけれど、それはナギにとってもユメリアにとっても心の支えになっていた。
「お前のなけなしの金なんか誰も狙わねーよ」
リウのいうことももっともだが、ナギはあの金だけは死守したかった。今後何があるかわからないのであれば、なおさらだ。
「お前の家、相手は知ってんだぞ」
「頼む。一緒に取りに行ってくれないか。まだ日も高いし……」
ナギの顔を一瞥すると、リウは足を速めてフラットに向かった。
「さっさと済ませるぞ」
「俺はここで見張ってる」
フラットへ着くと、リウは玄関の扉にもたれかかり、開いたままにした。
「ありがとう」
ナギは部屋の奥へ急ぐ。金は寝室のたんすの後ろに隠してある。そのすき間に手を伸ばしたとき――。軽やかな音を聞いた。階段をタタタと素早く駆け上る足音。三階の住人は、男やもめだ。違和感に振り向いたとき。
「おわっ」
リウの声が聞こえ、そのからだが部屋へと転がり込むのが見えた。
――女……?
リウを追い詰めている人物は、少なくとも女のかっこうをしていた。ユメリアやジュディが着ているような、簡素なドレス。スカーフをぐるぐる巻きにしていて、顔はよく見えない。ただ、こぼれる髪はまばゆいばかりのプラチナブロンド。その優美な髪色に見合わぬ殺意をまとい、女はこぶしを繰り出してリウを追い詰めていた。それをかわしながら、リウが叫ぶ。
「逃げろ! 逃げて人を呼べ!」
女は手の甲に、金属の板のようなものが見える。ナギは冷や汗をかく。
――誰かを呼ばないと……。
金をつかみ、いちかばちかふたりの脇をすり抜けようとしたとたん――。ナギの首を、襲撃者の二の腕がとらえた。そのすきを逃さず、リウがこぶしを繰り出したものの、女はそれを軽くいなした。
「××××……」
咳込み、床に膝をついたナギに、襲撃者が何かを口走った。
――龍の国の、言葉……?
ナギに理解できたのは、かろうじてそのことだけ。
「××××……!」
が、リウは反応した。それを聞くや否や、襲撃者はナギのほうを蹴りつけた。
「こっちがナギか」
リウが顔をゆがませる。
「おまえ、なにを……」
攻撃しようとこぶしをくり出したリウのふところに襲撃者がスイッと入り込み、そのからだを投げ飛ばした。リウの体がテーブルにぶつかり、派手な音をたてる。咳き込むナギの背中を足で踏みつけて逃がさないようにし、女が何かを背中から抜いた気配があった。
「ユメリアはどこにいる。言え」
――狙いはユメリア――。
足の下で、ナギのからだから汗が噴き出す。
「それを聞いてどうする」
よろめきながらリウが立ち上がる。
「答えないなら、こいつの首を切るまでだ」
ナギはそのことばで、自分に刃物が突きつけられていることを知る。女が刀をふりかぶった瞬間――。
「おまわりさん、こっち! こっちだよ!」
しわがれた声が階段から響いてきた。ガンガンガンガン! 金属をたたく耳ざわりな音がつづく。襲撃者は舌打ちをし、刀の切っ先をナギとリウに順繰りにつきつけて、吠えた。
「覚えとけ、ぶちのめしてやるからな! んでユメリアを返してもらう」
戸口へ走った襲撃者を、老婆が引き留めようとする気配がする。
「なんだい! あんたは」
――いけない。ハッティさん……。
ナギが痛みをこらえて走りよったときには、襲撃者は姿を消していた。老婆はしりもちをつき、鍋をガンガンとたたき続けていた。
「だいじょうぶですか」
ナギが手を貸すと、老婆はキッとにらんだ。
「なんだい⁉ ありゃ女だったよ。あんたまさか、浮気して……」
「ち、ちがいます……」
思わぬ誤解にたじろぐナギの後ろから、リウが現れた。
「ちげーよばあさん。騒がせて悪かったな」
「あんたもいたのかい! うちのフラットでチンピラ同士のもめごとはごめんだよ!」
「悪かった、悪かった」
リウがとりなすと老婆は階下の自室へ戻り、男ふたりが取り残された。
「どうなってんだよ」
リウがため息をついてしゃがみこんだ。
「お前ら、あんな闘犬みたいな女に恨み買ってんのか」
リウがテーブルを引き起こす。
「闘犬って……」
たしかに――。凶暴な意思を宿していた。そして。
――龍の国街と、この近辺に姿を現したという男とは仲間なのか。
そいつらは――。
――ロマノフスカヤの屋敷で、自分が庭師として働いていたことを知っている。チャウではなく、今のナギという名前を知っている。そして、自分が龍の国の言葉を話せないことを知っている。ユメリアを返せ。
ナギの頭は混乱した。
「金、持ったのか。とっととズラって事務所へ戻ろう」
ナギはうなずく。
「ユメリアは……」
「会おうなんて考えるなよ」
リウが眉を寄せて、釘を刺した。
「嫁さんのようすは、ほかのヤツに見張らせてる。ガキども使って、なんかあったら俺のところへ知らせるようにもしてる」
「ああ……わかってる」
――ユメリア、どうか、どうか無事で。
工場の早番が終わる時間帯にさしかかり、街は労働者のざわめきに満ちていた。その間を縫って、ナギは不安を胸に駆けた。
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