聞き込み2

 “龍の国街”から2キロほど離れた住宅街の入り口。労働者があらかた出勤し、のんびりとした空気がただよう時間帯、栗毛の男が姿を現した。倉庫や船舶関係の小屋がほとんどの川沿いに、一軒だけフラットが建っており、そこから労働者階級向けのフラットや、背中合わせに二世帯の住宅がくっついたバック・トゥ・バックスと呼ばれる長屋が建ち並ぶ。ごみごみはしているが、治安はよさそうな地域だった。

 男は川沿いのフラットを見上げた。フラットであるからして、一フロアに一世帯。どう考えてもダイニングと寝室がせいぜいの広さ。夫婦ふたりで暮らすには手狭なことが見てとれた。男は一世帯ずつ扉をノックしていくが、誰もいなかった。


 男は口髭をしごきながら、その地域をじぐざぐと歩いた。やがて、最初に訪れたフラット近くの共同の水くみ場に戻ってきたとき――。

「ユメリア!」

幼い男の子の声が響いた。

「ジャニス!」

水を汲んでいた若い女がしゃがみ込み、駆けてきた男の子に声をかけた。女が頭に巻いたスカーフから、銀灰色の髪がこぼれ、初夏の光にきらめく。

「こら、先行かない!」

男の子の後ろから、赤ん坊を前に後ろに背負い、両手に幼児の手を引いた中年女が現れた。ユメリアと呼ばれた女が水で満たしたバケツを持って立ち上がると、男の子が手を伸ばした。

「ジャニス、これ、重いよ」

「僕が持つ!」

男の子は頑としてゆずらず、バケツを引きずるようにして運ぼうとする。中年女が顔を寄せ、ユメリアにささやいた。男はフラットの影に隠れるようにして、目を細めて唇の動きを読む。

「ジャニス、またあんたにいいところ見せようとしてる」

ふたりの女はクスクスと笑いあった。

「大きくなったらナギよりかっこよくなるんだってさ」

「まあ」

ユメリアが目を細める。その視線の先で、幼いジャニスは四苦八苦しながらバケツを持って一歩、また一歩と進み、そのたびに水がこぼれた。

「ジャニス、一緒に持とう」

ユメリアが取っ手に手をかける。

「僕、できる!」

「一緒に持ったら、もっと早くお家へ帰れるでしょう。そしたらお茶にできるよ」

やさしくさとされ、ジャニスもうなずいた。バケツを持った背の低い女と幼い男の子、そして中年女と赤ん坊たちは連れ立ってその場を去っていく。男がそのあとをつけようとしたとき――。

「あんた、どこから来たんだい」

突然、背後から話しかけられた。いつの間にか、杖をついた老婆が立っていた。男が唇を読むのに夢中になっている間に近づいたらしい。

「ごきげんよう。すこし、人を探しておりまして」

男はにこやかに答えた。

「その相手があの子なのかい?」

男はあいまいに笑って答えなかった。

「きれいなかたですよね」

「あんた! あの子をおかしな目で見るんじゃないよ」

「いえいえ……」

と首を振りつつ、男はたたみかけた。

「あの方は、ご結婚を?」

「とっくに人妻だよ」

「旦那さんとの仲は?」

「そりゃあもう……って、あんたいったい……」

男はほんの一瞬、わずかに安堵の表情を見せたが、老婆が不審感をあらわにすると、あわてたようすで懐中時計を取り出した。

「いけない! レディ、市庁舎はどちらでしょうか」

「市庁舎はこの道をずっとまっすぐ……ってどこ行くんだい!?」

「ごきげんよう、レディ。わたしはこれで」

「ちょっと!」

老婆の呼びかけに答えることなく、男は街の中心部へと去っていった。

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