断章
断章 神殿が壊れたあとに
あのこと――。ユメリアがボリスに直談判し、ナギが自暴自棄になったあの夜。
すべてを打ち明け合って、ふたりの暮らしがまがりなりにも落ち着いたあと。
寝台の上で口づけをかわし、ナギが尋ねた。
「こわくないですか?」
言いよどんで、つづける。
「あんなこと、してしまったから」
ユメリアはすこし考えて、首を横にふる。
「平気」
返答までの間を、ナギは気にしたのだろう。
「いやだったら……俺」
「ちがうの」
ユメリアはナギの手を取って、頬にあてる。
「そういえばぜんぜん平気で、ちょっと不思議だなって」
不思議、と口にしたけれど、ユメリアは本当はわかっていた。
――あれは、ナギさんの、いいところの、裏返し、だから。
ナギにはじめて抱かれた夜――。ユメリアは思った。
――ほかのひととは、ぜんぜんちがう。
それまで、ユメリアにとっての性行為は、求められれば拒めないものだった。痛くても怖くても、からだの具合が悪くても、相手の欲望がおさまるまでがまんする。拒めば罰があり、従っていると、いつの間にかユメリアも楽しんでいることにされていた。相手を気持ちよくする、そういう行為だと思っていた。
一方、ナギは何も要求しなかった。「いや」と言えば、ナギはぜったいに手を止めてくれる。きっと、怒ったり、落胆したりもしない。その安心のなかで身をゆだねるのは、信じられないくらいしあわせだった。
――同じ名前で呼ばれていても、別のもの。
ユメリアにふれるとき、ナギは怖いぐらいに真剣だった。丁寧に、繊細に、やさしく。だから、ユメリアは自らが存在する価値があるものだと思えた。それはけしてナギに快楽を与える道具としてではなくて……。ユメリアは尊重されるべき存在なのだと、ナギは行為を通して伝えてくれた。
でも、彼を押しつぶしたのも、あの怖いぐらいの真剣さだった。あの夜のことは、許せない、と思う。それでも、「ナギさんがあんなことをするなんて」と驚きはしなかった。
――わたしの好きなところの、裏返し。
許せないけど、否定しきれない。
「彼、無理するでしょう」
ゲルバルドのところで傷を診てくれた医師の言葉を思い出す。あれは、ケガを押すとか、肉体的な無理をするとか、それだけの意味ではなかった。
「ケガのことだけじゃなくてね。この先も、ずっと」
たぶん、ナギがひとりで背負い込みすぎると、見抜いての言葉だったのだろう。ほほ笑んだ自分に対して、医者が見せた、真剣で、心配そうなまなざし。
いま、目の前で、ナギが心配そうな顔をしている。
「その、こわかったら……」
――たぶん、ぜんぶ、わたしの、ナギさん。
ユメリアは、ナギに口づけしてさえぎった。それを合図に、ナギがユメリアにふれる。怖いぐらい、真剣に。前は、それがいい、それだけでいいと思っていた。でも――。
ユメリアは、ナギの頭を胸に抱き寄せ、耳もとでささやき、吐息を吹きかけた。
「なっ」
暗い部屋でもわかるくらい、ナギが赤面した。
「そんなこと言われたら、俺だって……」
ナギがユメリアを寝台に倒す。やさしく、それでもさっきよりも強引に。ふたりの夜は、はじまったばかり。
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