風雲リュートック編

思い出は、いつも鉄の味がする1

 幼いころの思い出は、いつも鉄の味がする。

 サーガは船上で、風に吹かれながら思い出す。


 “ガイジン”だとか“白い”のだとかはやしたてられて、近所の悪ガキを殴った。多勢に無勢、しかも相手には年上が多かったから、あっという間に文字通りボコボコにされた。

 ゴミから集めた古物を売り、その金で屋台の串焼きを買おうとしたら、盗みだと勘違いされ、抵抗むなしく大人たちに道に放り出された。

 ゴミ拾いの"ショバ代"を取り立てに来たチンピラくずれを追い返そうとして、返り討ちに遭った。


 サーガは、どんなときも気持ちでは負けなかった。殴られて道に転がろうと、押さえつけられようと、腕が折れようと指が折れようと、「ぶっ殺してやる!」と殴り返し、からだが動く限り噛みついた。その態度が敵を逆上させるとしても、サーガはやられっぱなしでいることなど、我慢がならなかった。痛みが生むのは、怒りだけだった。やらなければ、もっともっとやられる。黙っていたら、つぶされる。


 殴られるたびに血が流れ、舌には鉄の味が焼きついた。


 今にして思えば、よく生きて大人になれたと思う。

 生きていられたのは、ばっちゃんのおかげだ。騒ぎが起こると駆け付けて、サーガと相手を引き離し、大人が多ければ、「すんません」と頭を下げ、子ども相手には「あんたうちのガキと何してんだい」と眼光するどくにらみつけて追い払った。「ふっざけんな! わたしは悪くない!」「まだやれる!」と暴れるサーガを押さえつけ、ちいさなからだに似合わぬ腕力で引きずり、家に連れ帰った。けがの手当てをしながら、ばっちゃんは諭した。

「お前ね、加減を知んな。骨が折れたら、しばらくケンカなんてできないよ」

 実際、そうだった。腕の骨が折れたとき、悪態をついてきた近所のガキを殴ろうとして、激痛が走り、脂汗を流して逃げた。あれは屈辱だった。骨はくっつくまでに、意外と時間がかかる。

――ここまでやられると、ややこしいことになる。

身にしみて理解した。

 

 そもそもサーガがどうして異郷の地、モンスーンの国で血気盛んな生活を送ることになったかというと。

 話はサーガが八つのときにさかのぼる。母さんが、サーガと妹を連れて、家を出た。理由はよく知らない。「ヴォルヴァの家は、とても怖いところだから」とだけ言われた。なんだかわからないが、とにかく親父と、あとなんだっけ、あの親父の兄貴がクソだったからだろう。あまり思い出したくもない。


 海を渡って西の国へ着いたところで、地方貴族のおっさん――たしかミハイルとかいった――が母さんの境遇に同情して、「お困りでしたら、うちに来ませんか」と声をかけた。小ぶりな別荘をあてがわれて母娘三人で暮らしているうち、母さんは病に臥し、死んでしまった。


 母さんの埋葬を終え、ミハイルの屋敷に引き取られる直前。サーガはたまたま街で会った、南洋に行くという商人に声をかけられ、ついていくことにした。

「わたしの助手にならないかな。虎もいる、ジャングルもある、そんなところで冒険ができる。将来は、立派な商人になれるよ」

そう言われて、ワクワクしたからだ。今思えば、ちょっと、いや、かなりバカだった。


 長い船旅を経て連れて行かれた先は、モンスーンの国の色街だった。もちろん、当時、サーガはそこが何をする場所なのか、知らなかったけれど。華やかなランタンが灯る店先で、薄気味悪い笑みを浮かべた男が何か言って、サーガのプラチナブロンドの髪にふれた。そのときは、サーガには当地のことばがよくわからなかったけれど、「買い手が付くとか」「上物」だとか言っていたのだろう。いつの間にか商人の姿は消えていた。


――あいつ、どこへ行ったんだ。虎だのジャングルだのはどうした。


 そう思っているうちに、からだにぴったりとそい、脚のところに切れ目が入ったドレスに着替えさせられ、はじめて化粧をされた。寝台しかない小部屋に連れていかれ、男に引き渡された。肩に手を回され、髪をさわられても、気持ち悪いなと思いつつも我慢した。わけがわからなかったからだ。が、男の手が胸に伸びたとき、さすがに手を払いのけると、張り倒された。男は片手でサーガの両手をまとめて寝台に押し付け、もう片方の手で自分のズボンを下ろそうとした。男の顔が近づいたとき、サーガは相手の鼻に噛みついた。

 怒鳴られ、腹を、顔を殴られる。大人の男の力を、サーガははじめて思い知った。それでも、枕元に置いてあったランプをふりかぶって相手にたたきつけ、部屋から走り出た。男たちが捕まえようとする手をすり抜け、怒号を背に走った。建物を出て、色とりどりのランプが灯る道から、ゴミ箱が並ぶ裏通りへ。途中、動きづらくてドレスのスリットをさいた。腹も顔も痛くて、思ったように走れない。

「こっちだ!」

言葉は正確に理解できなくても、追っ手が近づいているのはわかる。ヤバい、ヤバい、ヤバい。逃げなければ。でも、サーガはこの街を知らない。走り込んだ路地の先には、ドブ川しかなかった。汚水の流れは速く、土管に流れ込んでいる。

「くそっ」

捕まるよりは、マシだ。サーガはドブ川に身を投じた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る