直談判

――ぜったい、へん。

 ナギがスープを吐いた日から、ユメリアの疑念は深まった。

――ボリスさんのところで、きっと、ナギさん、何かひどいことをされている。

「なんでも話して」と言っても、ナギは少し疲れただけ、と繰り返した。

「俺、もう大丈夫ですから。そんなに心配しないで」

そう言われても、信じることはできなかった。



「ボリスさんって知ってますか」

 週に三日通っている、お針子の仕事。休憩時間に、ユメリアは同僚のナリスに聞いてみた。

「ボリスさんって、街の顔役っていうか、ギャングっていうか。ユメリア、知らないの?」

うなずくユメリアに、ナリスはそっかそっか、とうなずいた。

「あなた、遠くから引っ越してきたんだもんね」

「このあたりのこと、まだあまりよく知らなくて」

「ボリスさん、こわい人って話だけどさ、慕ってる人は多いよ」

「貴族とトラブって、仲裁してもらったとかさ」

近くでお茶を飲んでいたジェーンが口をはさんだ。

「わたしも聞いたことある。誰だっけ」

「ええとあの子、なんて言ったっけ……」

そのまま、ナリスとジェーンは別の噂話に移っていった。ギャング、顔役、こわい人。その単語が、ユメリアの頭にこだまする。

――なんとかしないと。

 にぎやかなおしゃべりを聞きながら、ユメリアは焦りを感じていた。



 お針子仕事が休みの日。ユメリアは、仕事先へと向かうナギのあとをつけた。ボリスの邸宅は、北の住宅街を抜けたところにあると聞いていた。なのに、ナギは中心地へと歩いていく。事務所が並ぶ一画にある建物に入った。

――庭仕事の前に、用事があっただけ。きっと、それだけ。

 街を行きかうひとにまぎれ、その建物のようすを観察する。ほかに出入りするのは目つきの鋭い男たちばかり。玄関の内側にも、警備をしているらしき男が立っていた。ほどなくして出てきたナギは、胸板の厚い男とともに、酒場や賭場が並ぶ方向へと歩いていく。

――ボリスさんのところと、逆方向。

動揺しているうち、ナギは雑踏の中に消えた。昼下がり、ボリスの邸宅の前へ行ってみたけれど、だれかが庭仕事をしているようすはなかった。

 夕方、帰宅したナギに、「今日、どうだった?」とたずねてみる。

「きょうも朝から剪定でたいへんでしたよ。春は雑草も伸びますし」


 それから、ユメリアは六回、ナギをつけた。庭仕事をしているようすがあったのは、そのうちの二回。ひょろっとした男とともに、木の剪定をしているのを見かけた。ナギをつけるうち、週末近くの昼下がりになると、ボリスが邸宅へ姿を現すことも知った。


 金曜日の朝。ナギを見送ると、ユメリアはいつになくきつくスカーフを巻き、外へ出た。ナギが街のほうへ向かったのをたしかめて、ボリスの邸宅へつづくエリアの入り口で時間をつぶした。ナギは通らなかった。昼下がりになり、ボリスの邸宅へおもむく。


 目の前に立ってみると、ボリスの邸宅の門は、思った以上に重々しかった。体格がよく、顔に大きな傷がある門番がにらみつける。

「なんだァ? おまえ」

足がすくみそうになるが、引くわけにいかない。

「わたし、その、ユメリアと申します。ボリスさんに取り次いでいただけませんか」

 ボリスさんが、きょうは家にいなかったら。ナギさんが、ここにいたら。頭に浮かぶいろいろな可能性を振り払う。

「いきなり来て、頭おかしいのか、お前」

男がすごむ。ユメリアは腹を決めた。

――ナギさんには、きっと、知られることになる。

「わたし、ここで働いているナギの妻なんです。夫のことで、お話が」

「帰れ、帰れ。会わせられるわけがねえだろ」

門前払いされそうになって、ユメリアは焦った。

「お願いです、ボリスさんに……」

「まずあんたの旦那に相談しろよ。まったく、ナギのヤツ……」

男の口からナギの名前が出たことで、ユメリアの鼓動は速くなる。

「ナギさんを知ってるんですか。せめて、教えてください、夫はここで庭師として働いているんですよね?」

ユメリアは鋳鉄の門柱を握る。ひんやりとした感触に、かえって焦りを煽られる。

「帰れ」

男が門扉から出てきて、ユメリアの腕を取ろうとする。それを逃れようと、ユメリアはよろめき、道端に尻もちをついた。

「お願い、お願いです。今日がだめなら、日を改めて……」

男は舌打ちをして、懇願するユメリアを引きずろうとした。そのとき――。

「なんの騒ぎだ」

男の声がした。門番が唐突に手を放す。

「ボリスさん……」

門の向こうに、ひとりの男が立っていた。

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