穴の底

 地面にシャベルを突き立て、土をかき出す。そのたび、オークやブナが繁る林に、ザッザッザッと、音が響く。一瞬、土中に、白いものが見えた気がした。それは木の根かもしれず、何か虫だったのかもしれない。けれど、ナギは口もとを覆って駆け出した。すこし離れた場所に嘔吐する。もう何度目なのか、わからない。


「おーい、だいじょうぶか」

 ナギと差し向かいで作業をしていた男が声をかける。ひょろっとしたからだをシャベルで支え、ナギを見やる。痩せぎすで色が白く、淡い茶色の瞳と下がり気味の眉が人なつっこい印象を与える。


「フェスタさん、だいじょうぶです」


 最初に嘔吐したときは、「よええなあ」とからかい気味に言っていたフェスタも、二度、三度とつづくたび、「どうせならぜんぶ吐いとけよ」「おお……お前、またか……いやいやいや」「はじめてだから、みんなそんなもんだ」と同情的になり、いまでは単に「だいじょうぶか」と声をかけるのみとなった。


 また、穴掘りに戻る。嘔吐によるものなのか、精神的なものなのか、あるいは作業によるものなのか、いやなにおいのする汗で、全身がじっとりする。

「そろそろいいだろ」

 ナギが立って入れそうなぐらいの深さまで達すると、フェスタとふたり、布にくるまれた細長い包みを運んだ。すこし前に運んだものよりも軽い。そのにおいに吐きそうになるけれど、ナギはなんとか耐える。包みを穴に放り込む。布がめくれて、青白い手が見えた。ほんの二日前、ナギを殴りつけ、首を絞めたその手。せりあがるものがあったが、胃からはもう何も出なかった。



「これもここの庭師の仕事だからさー」

 作業が終わり、雑木林から、田舎風の木造家屋のほうへと歩きながら、フェスタは言った。ここはリュートックの市街地から馬車で40分ほどの郊外。ボリスと付き合いのある牧場らしい。家屋の前、ベンチに座ると、フェスタは煙草に火をつけた。

「そのうち慣れるさ。こんなこと、しょっちゅうやるわけじゃないし。ボリスさんとこ、そんなに荒っぽいことが多いわけじゃないから」

 がっくりうなだれ、膝の間に頭をうずめるようにして、ナギはそれを聞いていた。

――慣れる……。

そんなことが、あるのだろうか。

「終わったのか。一杯どうだ」

 家屋から、太った男が出てきた。来たときに、牧場の管理人、と紹介された。

「俺はもらうよ。こっちの兄ちゃんには水、持ってきてやってくれ」

男はナギをちらりと見た。

「はじめてか」

「そうそう。あー吐いたものは、ちゃんと別に埋めといたから」

 水を受け取るとき、向こうに井戸が見えた。

「すみません、あとであの井戸、お借りしていいですか?」


 夕方、家に帰ると、寝台に倒れ込んだ。暖かい日ではあったけれど、井戸で水を浴びて濡れた髪がまだ乾かず、からだがふるえる。それでも、あのにおいをこの家に持ち込まずにすんだことを、ナギは心底よかったと思った。

「ナギさん……」

 ユメリアが心配そうに、枕元につきそう。

「ひどい顔色。熱はないみたいだけど」

「ひと晩寝たら、きっと治ります」

「ちょうど、スープ作ったから」

差し出された皿を受け取る。スープの具材、チキンの切れ端が口に入ったとたん、ナギは寝台から跳ね起き、手近にあった手ぬぐいに胃液を吐いた。

「ナギさん……」

ユメリアは、片手でナギの背中をさすりつづける。ナギは彼女のもう片方の手をにぎり、「だいじょうぶです、だいじょうぶです」と繰り返した。

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