初夜

 ナギはフラットの階段をのぼる。からだが、鉛を巻かれたかのように重い。


――聖域が汚されてしまった。


 そんな気持ちがした。やっと見つけた、彼女が安心して暮らせる聖域。やっと築いた、彼女の平穏な暮らし。


――最後はどっちにしても、ユメリアに稼がせるつもりじゃないのか……。


そう思うからこそ、ユメリアにはこのことはぜったいに知られたくない。ナギはあらためてそう思った。


 玄関前で、ナギは頬に手を当て、表情をほぐす。


――ふつうに、ふつうに……。


 そして、「ただいま」と扉を開けた。




「あのね、言いづらいんだけど」


 食事のあと、ユメリアが切り出した。


「オリバーさんって、その、なんていうか……」

「まさか、なにかされたんですか」


ユメリアがあわてて「違うの、そんなのじゃなくて」と否定し、迷いつつ口にする。


「孤児院でのお話をいろいろ話してくれたの。ナギさんがとっても真面目でいい子だったって。でも……」


ナギはつづきを待つ。


「ナギさんがね、孤児院で、寄付金を盗んだって言ったの」


ナギの胸が痛んだ。酒場で「チャウがやるはずがない」と言ってくれたときは、うれしかった。それなのに……。何より、ユメリアは、この話を聞いてどう思っただろう。


「真面目なふりしているけど、そういうところがあるって」


ユメリアが眉を寄せた。


「わたし、腹が立って。『オリバーさんは信じてあげなかったんですか』って、言っちゃったの」


ユメリアがめずらしく険しい顔をした。


「どうしてわざわざそんなことを言うのか、わからないし」

「それで……?」

「そこへナギさんが帰ってきたから、そのまま。ナギさんがお世話になったひとにこんなこと言うのはよくないけど……いやな感じだなって」

 

 ユメリアは、「思い出すと、やっぱり腹が立っちゃう」と言いながら、席を立った。

 

「あなたは……俺が金を盗んだって思わないんですか?」


ユメリアは首をかしげた。


「なんで?」

「なんでって……。そんなこと、聞かされて」

「ナギさんがそんなことするわけないもの」


ユメリアがテーブルを片づけながら笑う。


「ナギさんは人のものを盗むなんて、ぜったいにしない。もし、ナギさんがほんとに悪いことをしたんだとしたら、すごくすごく事情があったんだと思う」


ナギはたまらず立ち上がり、ユメリアを抱きしめる。


「……ありがとう……」


しばらく抱き合ってから、ユメリアが顔を上げた。


「すごい……」


輝く瞳でナギを見あげる。


「いま、ナギさんから急にさわられたけど、平気だった。怖くなかった」


そのままユメリアはつま先立ちになり、ナギの顔を引き寄せ、口づけをした。


「平気」


うっとりとした顔。ユメリアがもう一度口づけようとする前に、ナギがかがみこんだ。彼女はためらいなく、ナギの口づけを受け入れた。

 やがて、ユメリアがナギの手を取った。


「今日、その……」

「無理することないですよ」


 ユメリアが首をふって、ほおを染めた。


「最近、ナギさんがふれると、もっとって思うの。だから……」


 その夜、ふたりは寝台で向き合った。緊張した面持ちで。ナギが首筋に口づけると、ユメリアが吐息をもらす。首筋、背中、そして胸へ。


「ナギさん……」


ユメリアがため息をつくように言う。ナギは彼女の腕を取り、ゆっくりと寝台へ、そのからだを倒す。


「怖くなったら、すぐ言って」


口づけしてナギが言うと、ユメリアがうなずく。


「どんなときでも。俺、すぐやめます」

「きっと、だいじょうぶ」


ふたりのシルエットが重なっていく。



「死んでもいい……」


 事後、彼女をかき抱き、ナギは思わずつぶやいた。その耳もとで、ユメリアが「しあわせ……」と吐息をもらすように言い、笑った。


「死んじゃだめだよ。ずっとずっといっしょにいるの」


ユメリアが口づけ、その腕をナギに回す。ナギの腕のなかにある、やわらかく、ちいさく、あたたかいからだ。


――このひとだけは、ぜったいに、ぜったいに……。

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