あなたは喜んでくれないの……?

 ナギはフィッシュ・アンド・チップスが包まれた新聞紙を抱え、駆けた。吐く息は白い。明日は氷が張るだろう。それでも、胸の奥がカッと熱くて外気の冷たさはまったく気にならなかった。


――また、植物の世話ができる……!


 リウの話によると、やはりあの松は、ボリスが大切にしているものだったらしい。

「俺らはそんなこと、ぜんぜん知らなかったけどよ」と、リウはなかばぼやいた。最近、その松のようすがおかしく、気にしていたところに、ナギがあらわれた、と。


「それで、ボリスさんのところの松は、いま、どんな感じなんだ」

 ナギはなによりそれが気にかかった。

「枯れたりしていないのか」

「マシになったのか、持ち直したのか……それがよくわかんねえんだよ。ボリスさんにも。俺が見たとこ、とにかく枯れてはいない」

「煮え切らないな」

ナギが不満気に言った。

「だから、お前にもう一回見てほしいんだとよ」

「日曜なら」

 ナギが即答すると、リウの表情がややゆるんだ。

「助かる。昼前に迎えをよこすよ」

「迎えはいらない。自分で行ける」

はねつけるように断わった。ボリスの関係者をユメリアに近づけたくない。反射的にそう思って、気がついた。

「そういえば、あんた……リウさん……、なんで俺の勤め先を知ってるんだ」

「そりゃ、家のだいたいの場所はわかってるからな」

ナギは顔をしかめた。

「つけたのか」

「あんた、家に来られるの嫌がりそうだったから」

「まあ……」


――案外、気をつかう男なんだな……。


「それと、俺のことはリウでいい」

「俺はナギ」

「じゃ、日曜にな、ナギ。俺もその日はボリスさんのとこにいるからよ」

 リウは手をふって去っていく。ナギはあわてて「ヤコブズ・キッチン」へすべりこみ、フィッシュ・アンド・チップスを買い求めた。


「ユ、ユメリア、すごいんです」

 家に帰ると、開口一番、ナギは言った。

「俺、松を見られることになって……」

「松?」

 ユメリアがジャケットを受け取りながら尋ねた。ナギは順を追って話した。が、ユメリアの反応は、期待とは違うものだった。まず、リウの名前が出ると、顔がくもった。話を聞き終わると、胸の前で手のひらを握って、何か言いたげにした。そのようすを見て、ナギの弾んでいた気持ちがしぼんでいく。

「ユメリアは、喜んでくれないの……?」

「違うの」

ユメリアがあわてて首をふった。

「ナギさんがまた庭師さん、みたいなことができるのはうれしい……けど……」

手のひらをぎゅっとにぎりながら言った。

「でも、ボリスさんって、ふつうのお仕事しているひとではないでしょう。助けてもらってこんなこと言うのは悪いけれど、リウさんも」

 ナギはフィッシュ・アンド・チップスの包みを手に取る。それはすっかり冷え切って、外側の新聞紙は油でベトベトしていた。

「あのひとたち、ギャング、だよね」

テーブルに沈黙が降りた。

「たしかにカタギではなさそうだけど……。松の調子を見るだけです」

「でも、心配なの。ナギさん、何かされないか」

「もし、植物以外の話をされたら、ことわります」

ユメリアの顔は晴れない。

「それに、その松、ボリスさんが大切にしているものなんでしょう。もし、松がすごく弱ってて。それで枯れちゃったら、ナギさん、ひどいことされない?」


――たしかに……。


それでも、ナギは思う。見ず知らずの人間にようすを見てほしいと頼むほど、一本の松を大切にしている男。その男が、松が枯れたからといって、意趣返しをするだろうか。一本の樹木に思い入れを持っている。そのことだけで、ナギはボリスを信用してしまっている。それとなんとなく、リウのことも。


「きっとだいじょうぶです。大切な木が枯れそうになって、困ってるひとを助ける。それだけです」

「うん……」

「それに、何より俺は、あの松をちゃんと見てみたいんです」

「あのね」

ユメリアがいつになくせいた口調でさえぎった。

「お屋敷にいたころ、ナギさん、いつも、お日様のにおいがしてた。日陰にいるわたしとはちがう、日なたのひとなんだなって思ってた。まじめで、やさしくて、まっすぐで」

ユメリアは目を伏せ、何か言いかけてやめた。

「ほんとは、ほんとは、わたしも、ナギさんが庭師のお仕事ができたらって思う……。『大事な木の調子を見てほしい』って、いいお話だなって思うの」

うつむいたまま、ナギの手に自らの手を重ねた。

「でも、心配になっちゃって、ごめんなさい」

ナギは何も言えず、彼女の細い指を握る。ややあって、かすれた声で言った。

「だいじょうぶです。きっと」

「うん……」

夜は静かにふけていった。

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