「お前……。松がそんなに好きなのか」

 工場での労働が終わり、ナギはかじかむ手をこすりながら外へ出る。吐く息が白い。日はとっぷりと暮れて、今日も深い霧が出ている。ナギはウールの上着を羽織り、ズボンのポケットに手を突っ込む。リュートックでのはじめての冬を迎えようとしていた。


「よお」

家路を急ごうとしたとき、声をかけられた。自分より高い上背、黄色い肌、黒い髪と瞳。数か月ぶりに見る顔が、霧の向こうにいた。

「なんの用です……?」

 ナギの露骨な不信感を気にするようすもなく、その男、リウはつづける。

「ひさしぶりだな。女は、元気か? あのときは……」

 ナギは足を止めることなく、さえぎった。

「だから、なんの用なんです……?」

「つれねえな。女の頬の傷、治ったか」

「このごろ、やっと、わからないぐらいには」

「そうか……」

リウがふっと安堵の色を浮かべた。

「悪かったな」


 ナギはあきらめ、足を止める。

「それで、俺になにか用なんですか」

「このジャケット返しにきたときよ、お前、松がどうとか」

リウがジャケットをめくって見せた。が、ナギはそんな仕草は見てはいない。

「松……どうなんですか? 元気になりましたか? ちゃんと枯れたところ、のぞいてくれましたか?」

 突然、ナギが食いついたのを見て、リウがのけぞる。

「お前……」

「あの松、たぶん、貴重なものでしょう。大事にしないと……」

 リウがまじまじと自分を見ているのに気づき、ナギは我に返った。

「すみません。つい……」

気まずそうに視線を落としたナギを見て、リウがふき出した。

「お前……。松がそんなに好きなのか」

「松っていうか、植物はぜんぶ。でもあの松は特別珍しくて、きれいだから」

「へえ。なんでそう思う。松なんてそのへんにだってあるだろ」

「ぜんぜん違う。たとえば、街の真ん中にある病院。あそこの前にも松が生えてるけど、まっすぐ伸びて、背が高い。でも、ボリスさんところのは、幹がこう太くて、地をはうみたいになっていて……」

ナギが低く伸びた枝を、身ぶり手ぶりであらわした。

「あれは、東洋の松だと思う。黒松だったかな……」

リウがへえ、という顔をして言った。

「まったくわからん」

ナギが顔をしかめた。

「今度、街中行ったら病院の松をよく見て、ボリスさんところのと見比べてみろ」

そして、つづけた。

「で、ボリスさんのところの松はどうなんだ」

さっきまでの警戒はどこへやら、ナギはずいずいとリウに詰め寄る。その様子に苦笑いしながら、リウは言った。

「俺の用は、その松のことだよ」

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