俺からのお願いです
家に帰り、ユメリアはナギのとなりでひとしきり泣いた。ユメリアが落ち着いてから、テーブルで向き合い、ナギがたずねた。
「で、なんであんな色街へ行ったんです?」
何があったか、だいたいのところはリウから聞いていた。
「お仕事がしたくて……。ナギさんにばかり無理させているのが、申し訳なくて」
「それで、色街へ?」
ナギが眉をひそめたのを見て、ユメリアがあわてて首をふる。
「工場でお針子を探しているって貼り紙を見たの。お針子なら、女のひとが多そうだから」
それがあのあたりで、とユメリアは説明した。
「そこでは断られて、工場を出たところで、『仕事を探しているのか』って声をかけられたの。『宿の掃除で、簡単な仕事』って言われたから、ちょっと怖かったけど、お仕事できるならって」
ユメリアはすこし言いよどんだ。
「ナギさんが前、『帳場の男がユメリアを見て言うことを変えた』って言った宿って気がついて……。すぐに逃げようとしたんだけど……」
「あの宿で? あなた、あの男についていったんですか?」
「ごめんなさい」とユメリアがあやまって涙を落とす。
「あのとき、たくさん宿を回ったから、よく覚えていなくて……」
責めるような口調になってしまったことを後悔しつつ、ナギは彼女の無防備さに絶句する。リウの話から、あの宿の男に襲われたことは察しがついた。ただ、いくらなんでも現場は別の場所なのだろうと思っていた。帳場でねっとりとユメリアを見ていた男。あの男が彼女にふれたのかと思うと、口調が荒れた。
「それに、わたし、とにかく何かお仕事がしたくて……。ごめんなさい……」
何度目かわからない謝罪を口にしたあと、ユメリアがつづけた。
「そのひとにも、騙されやすいって笑われた」
「あいつ……」
ナギは拳を握る。
「そこにあのリウさんってひとが、借金の取り立てか何かに来て。それで、なんとか何もされずにすんだの」
リウから聞いた話と、だいたい一致していた。
「何もされなかったわけじゃないでしょう。頬だって」
切り傷はリウの過失だと聞いたが、頬は腫れ、ブラウスが破れている。
「ちょっと、抵抗したから。ブラウスは、逃げようとしたときに引っ張られて。ごめんなさい、ナギさんが買ってくれたのに」
「服なんかどうでもいいです」
ナギは深く息を吐いた。傷ついた彼女をやさしく包みたいと思う一方、こんなに無防備で、どうやって守っていけるのか、と不安も覚える。不安が苛立ちとして顔に出ているのも自覚がある。我ながら小さな男だと思う。一方で、宿の男への怒りと憎悪で心がかき乱れる。冷静になれない。
「ナギさん、ごめんなさい」
「もうあやまらないでください。悪いのはその男なんです」
怖い思いをしたひとに、そのうえあやまらせている。罪悪感を覚えると同時に、ナギは途方に暮れる。ごめんなさい、ごめんなさいと繰り返し、ユメリアが言った。
「お仕事を探すなんて、みんなやっていることなのに。ナギさんに負担ばっかり……」
――やっぱりこのひとは、ひとのことばかり。
お屋敷にいたころから変わらない。そう思ったら、どこかでナギの心が落ち着いた。
「ねえ、ユメリア」
できるだけ静かに語りかける。
「あなた、この間までお屋敷に閉じ込められて育ったでしょう」
子どものように泣いている彼女を見つめる。ひとの言いなりになることだけが、生きていく
「外の世界にも慣れてないし、まだ男は怖い」
「ごめんなさい」
あやまらないで、とナギはもう一度言う。
「もっとゆっくり、ふつうのことができるようになってから」
「ゆっくりなんてできない」
ユメリアが眉根を寄せてさえぎった。
「ナギさん、すごく無理してる。ナギさんだけ働かせて、もし、また、倒れてしまったら」
「これぐらい働くの、なんでもないです。昨日はすこし、疲れただけ。それより、あなたに何かあったらと思うほうが、からだに悪い」
「ナギさん、わたしのせいで大好きな庭師の仕事もできなくなった。わたしだけ、家で楽にしているわけには」
絞り出すような声だった。ナギはテーブルの上に置かれたろうそくの灯りを見つめて言った。いつものように。
「あなたのせいじゃない。俺が選んだことだよ」
しばらく、ユメリアのしゃくりあげる声だけが、部屋に響いた。
「あなた、外に出て買い物するだけで、たいへんでしょう」
ひとりで外出できるようになったとはいえ、男の店員と話すときはまだまだ緊張していることを、ナギは知っている。
うながすと、ユメリアがその手をナギにゆだねた。
「あなたはそうやってがんばって買い物して、さいきんではときどき料理して、家を整えてくれてる。それが楽すること?」
握ったユメリアの手を、少しゆすった。
「しばらくは家にいてください。俺からのお願いです」
ユメリアは悔しそうな顔をして、「はい」と言った。
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