あの人の瞳の色に似ている

 ナギは一軒の店の前で、看板を見上げていた。ここは高級店が並ぶ、市庁舎近くのエリア。視線の先には、「ハーバード&ネヴィル宝石店」の文字。真鍮の看板と流麗な書体が、いかにも高級感を醸し出している。ポケットに手を入れ、銀貨にふれる。


――金だって貯めたんだから、だいじょうぶ。


 白い壁に設けられたショーウィンドウをちらりと見やる。そこに飾られた、つややかな銀色のリングに、青い石が埋め込まれた指輪。いくらするのか、ナギには見当もつかない。けれど……。


――あの人には、きっとああいう指輪がふさわしいはず。


ナギは勇気を出して、ドアノブに手をかけようとする。と、なかから扉が開かれた。スーツに蝶ネクタイの男が、にっこりと笑って言った。


「こんにちは、ようこそ『ハーバード&ネヴィル宝石店』へ」

「こんにちは」

 ナギは顔をひきつらせながら、店へと足を踏み入れた。


 五分後。ナギはうつむいて店を出た。ショーウィンドウに飾られていた指輪の価格は、ナギの五年分の稼ぎだった。いちばん安いものでも、三年分。


――ほんとうに、ここで買ったヤツがいるのか。


 この店に来たのは、工場で働く女性同士が噂をしているのを聞いたからだった。


「あの子さ、彼氏から指輪もらったんだって。それも、『ハーバード&ネヴィル』!」

「ええー、ウソウソ、彼氏も工場勤めでしょ!?」

「ってことは、いよいよ結婚?」


そういえば、話には続きがあった。

「しっかし彼氏、『ハーバード&ネヴィル』なんて、えらくがんばったもんだ」

「そうだよねえ、ここいらの工場の稼ぎで買える?」

「悪いことでもしたんじゃないのォ」


 そのあと、何軒か、「宝石店」と看板をかかげているところを回ったけれど、いずれも同じようなものだった。


 ナギは労働者向けの店が並ぶごみごみした通りへ足を向けた。古物商に入ると、小さな箱に入れられた指輪が飾られていた。なめらかな銀色のリングに、白く輝く石。

この銀色の金属は、「プラチナ」というらしい。さっきの宝石店巡りで知識がついた。これなら、と見ていると、鷲鼻の店主が

「お目が高いね、そりゃ、貴族の家のものだって話だよ」

と声をかけてきた。

「貴族の家って……まさか、盗品とか」

軽口のつもりだったが、店主はひっひっと笑って否定しなかった。ナギは「けっこうです」と店を出た。


 日が暮れかけている。ナギはあせった。今日は、仕事が早上がりの土曜日。ユメリアには「残業があるんです」と話してあったけれど、そろそろ帰らなければならない。そんなとき、ふと目に入ったのは、土産物屋と雑貨屋の中間のような店だった。店頭に、ネックレスやカメオが飾ってある。入り口に何本も垂らされた売り物のストールをよけて店に入ると、ずらりと指輪が並んだ一角があった。切れ込みが入った布張りの台座も、そこに挟まれた指輪も、宝石商で見たものよりもずっと安っぽい。きっとメッキなのだろう。そのなかのひとつがナギの目を引いた。銀色のリングに、灰青色の石がはまっている。


――あの人の、瞳の色に似ている……。


 お世辞にも、高くは見えない。でも――。その石を見ていると、はじめて会った日の、彼女の瞳が浮かぶのだった。


――よかった。気がついた。


ナギの脳裏に、ユメリアの声がよみがえった。


 値段は、ナギが貯めた金でお釣りがくる。ナギはポケットをさぐり、布のはしを結び、輪にしたものを出した。ユメリアが眠っているとき、薬指に布を巻き付けて結び、そっと抜いたもの。それを指輪にあててみる。


――たぶん、サイズもだいじょうぶ。


「贈り物?」


 代金を払うと、ターバンを頭に巻きつけた店員が尋ねた。彫りが深く、肌が浅黒い男が、大きな瞳で、ナギをじっと見ていた。ナギがうなずくと、男はびろうどの袋に指輪を入れてくれる。


「うまくいくよ」


 男がニッと笑って、びろうどの袋を差し出した。


「ありがとう」


――こんなもので、喜んでくれるのだろうか。


 礼を言いつつも、ナギは不安を胸に、それをポケットにしまった。


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