「どうか、何も聞かないで」

 ゲルバルドは何かをマデリンに耳打ちし、足早に立ち去っていく。ふたりが何かを問いかける前に、青ざめたマデリンが言った。

「おふたりとも、こちらへ。声は出さないで」

 マデリンはナギとユメリアを追い立てるように、北塔の最上階まで登らせた。階段をのぼりきると、正面にある、古めかしい木の扉からかんぬきを抜く。木の扉は三人で力を合わせて押し開けた。雨戸が閉められたそこは、埃っぽい空間だった。物置として使われているらしく、古い木の箪笥やチェスト、箱、甲冑などが置かれている。マデリンは入り口近くに置かれたランプをともし、エプロンのポケットからナフキンを出してふたりに渡した。

「これで口と鼻をおおって。埃がすごいですから」

マデリンにならって、ふたりとも顔の下半分をおおう。

 マデリンは、部屋の一番奥に置かれた大ぶりのチェストのふたを開ける。

「これを空にしてください。中のものは、この箱に移して」

「あの……何があったんですか?」

ユメリアが遠慮がちに尋ねると、マデリンは返事がわりに「とにかく早く」とだけ言った。

 三人がかりで、古い本や帳面を次々と木の箱に移す。途中、肖像画らしき絵が出てくると、マデリンはふと手を止め、すぐに裏返した。


――親子三人の肖像……?


ナギはちらりと目のはしでとらえたものの、口を開く余裕はない。

 チェストの中身をすべて出し終わると、「ここに入ってください」とマデリンが言った。とまどうふたりを「早く」とチェストに押し込んだ。

「頭を下げて」

ふたりとも、首をすくめてマデリンを見上げる。

「何があっても、絶対に声を出さないで。ここから出ないで」

こくこくとうなずく間もなく、チェストのふたが頭上に迫った。最後に、「息ができるよう、すこし開けておきますね」とだけ声がして、ふたの上に布がかけられる気配がした。

「まさか……」

「追っ手が……」

ふたりは暗闇のなか、身をよせあった。


 どれぐらいそうしていただろう。やがて、階段をのぼる複数人の足音が近づく。扉がきしみながら開く音がして、ゲルバルドの声が響く。

「だから、いないと言っている」

「そんなことを言って、ゲルバルドさん、ほんとうはなにか、知っているんじゃないですか」

知らない男のしゃがれた声。

――たぶん、警察だ……。

ナギは息をひそめる。ユメリアがナギの腕をそっと握った。

「祭りの日、あんたの屋敷のまわりで、二人組を見たって人がいるんだよ」

「若い領民が逢引きでもしていたんじゃないのか」 

「黒髪の東洋人と、銀色の髪の女なんて、あんたんとこの領民にもおらんでしょう」

「なら、その庭師とやらが、このあたりに潜んでいるんだろう。森でも探したらどうだ」

「森に潜んだ賊を、見逃すあんたじゃないだろう」

男がため息をつき、誰かに命じる。

「おい、箱やら箪笥やらもたしかめろ」

「はい」

若い男の声がして、箱や箪笥が開けられる音がする。それは次第に物置の奥に近づいてくる。

――この人をここに残して、俺だけが飛び出してもみ合えば、目くらましになるだろうか。

 ナギが覚悟を決めたとき。

「もう、やめていただけませんか」

マデリンの声がした。

「ここにはお嬢様の思い出の品も……。そこを踏み荒らすような真似は」

その声が、揺れている。

「だから疑ってるんでしょう」

警察らしき男は引かなかった。

「あんた、娘さんの件で……」

「娘のことがあったうえに、疑いまでかけられるのか」

ゲルバルドは最後まで言わせなかった。

「いい加減にしてください!」

マデリンが声を荒げた。

「アイリス様のことがあって……この家の者がどんな……どんな……」

すすり泣きが聞こえる。

「マデリン……」

ゲルバルトの声はいさめるようであり、寄り添うようでもあった。

 男は鼻白んだようだが、それでも言った。

「……まあ、仕事ですから、見せてもらいますがね」

しばらく箱や箪笥が開けられる気配がしたものの、やがて、「ここにはいないってことだな」と、男たちは去って行った。


「お待たせしました」

マデリンがふたりを迎えにきたのは、それからしばらくたってからのこと。ナギが荷物をチェストに戻そうとすると、「それはそのままで」とマデリンが止めた。

「今後もこういうことがあるといけませんから」

「あの……」

物置を出たところで、ユメリアが切り出した。

「わたしたち、ご迷惑を……」

マデリンはふたりに背を向けたまま、ユメリアのことばをさえぎった。

「もうしばらくは、ここにいてください」

「でも……あれは警察ですよね。俺たちを探しにきたんですよね?」

「あなたたちが心配することはありません」

「そんなわけには……」

午後の光が窓から差し込んで、やせたメイドの背中を照らしていた。

「どうか、何も聞かないで。ゲルバルド様にも」

「これ以上、ご迷惑は……」

「そう思うのなら」

マデリンが長いため息をついた。

「どうか時が来るまで、ここにとどまってください。必ず、あなたたちを安全なところへ送り出します」

 それ以上、誰も口を開かず、三人は階段をおりた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る