少女は反芻する
「ここを出たら、俺と暮らしませんか。ずっと、一緒に」
湖へ行った日から、ユメリアは何度も何度もナギのことばを反芻した。本当は、すごく、すごくうれしいはずのことば。ナギさんが、ユメリアさん、と呼んで、まっすぐに自分に向けて言ってくれた。でも。
――そのすてきなことばも気持ちも、わたしには受け取る価値がない。
答えられないまま、彼の前から逃げ出してしまった。
ナギの真剣なまなざしと、緊張した声。思い出すたび、心の奥が温かくなって、ぎゅっと痛くなって、悲しくなって、ぐちゃぐちゃになる。自分のみじめさに、いたたまれなくなる。それでもユメリアは反芻した。何度も、何度も。
――うれしいはず、なのに……。
そのたび、喜べない自分に傷ついた。
北塔にはちいさな食堂があり、ナギが動けるようになってからは、そこで一緒に食事をとっていた。ある朝、マデリンの配膳を手伝おうとしたユメリアは、椅子につまずいた。とっさに支えようとしたナギの手を、ユメリアは反射的によけ、よろけて尻もちをついた。
「あ……」
見上げたユメリアの目に、ナギの悲し気な顔が飛び込んでくる。ナギはそれでもしゃがみこんで、「だいじょうぶですか」と声をかけ、手を差し伸べた。
「ち、ちがう……ちがうの……」
ユメリアはあとずさって首をふった。ちがう、ちがう、こんなことしたいわけじゃない。ナギさんの手を、わたしだって取りたい。悲しい顔なんてさせたくない。でも、でも……。
「ごめんなさい。すこし、体調が悪くて。お部屋で休みます」
ユメリアは部屋へと走り去った。
扉を閉めると、その場にそのまま座りこんだ。人にさわられる恐怖は、日に日に強くなっている。医師の診察は、なんとかやりすごせた。でも、急にふれられると、恐怖でわけがわからなくなってしまう。
「……だいじょうぶですか……」
しばらくして、扉がノックされ、ナギの声がした。
「なんでもないの」
「ユメリアさん、俺……」
「ごめんなさい、すこし休んでいるだけ」
もう一度、ノックの音。ユメリアにとって意外なことに、ナギがちいさく扉を開けた。
「勝手に入ってごめんなさい。やっぱり話を……」
ユメリアは混乱した。こんな自分を見られたくない、と思った。
「いや……」
反射的に、扉を押さえた。ナギを押し出すかっこうになる。ややあって、「また、夕食、呼びに来ます」とナギが去っていった。
お昼過ぎ、今度はマデリンの声がする。
「扉の前に簡単な食事を置いておきます。すこしは何か口に入れた方がいいですよ」
「ありがとう」
マデリンの気配がなくなってから、そっと扉を開ける。いまは、誰とも顔を合わせたくない。ワゴンの上の盆に、
――やさしい……。でも、どうして……。わたし、迷惑ばかりかけているのに。
ゲルバルドやマデリンの厚意も、ユメリアは負担に感じはじめていた。何より、真意がわからない。すこしだけ口をつけたらほんとうに気分が悪くなって、盆をワゴンに戻す。夕食に呼びに来たナギには、「今日はこのまま休みます」とだけ答えた。
――もうだめ。
ユメリアはさとった。だから、その日の夜、皆が寝静まったあと、そっと屋敷を出る。
――さよなら、ナギさん。ゲルバルドさん、マデリンさん、ごめんなさい。
行く当てはない。まだ、地下室で痛めた足をかばわないと歩けない。それでも、ユメリアはランプだけを手に、夜の森へと踏み出していく。
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