罪の意識より、追われる恐怖より、少年は怒りに震える
少年は、階段を一段、また一段とのぼっていた。
額から、汗がしたたる。
最後の一段を踏みしめると、少女が手をたたいた。
「すごい、すごい、庭師さん、三階までのぼっちゃったよ!」
目を覚ましたあの日から、少年は少しずつ回復していった。
次の日は自分でなんとか寝台の上に起きられるように、
その次の日は寝台を降りて用を足しに、また次の日は廊下を端まで。
少しずつ動ける距離がのびていく。
そして、「そろそろ、体に運動を思い出させてあげたほうがいいね」との医師のアドバイスにしたがい、少年は今日、階段の昇降に挑戦していた。
わずか三階までで息が切れるとは情けないが、きっと明日はもっとよくなるはずだ。
日々の回復が、少年に自信を与えてくれた。
「明日は走れるかもしれませんよ」
ちょっと得意げに言うと、少女が釘を刺す。
「まだダメだよ。お医者様からも、『無理させないように見張っといて』って言われてるんだから。庭師さん、真面目すぎるから」
そんな会話を交わしながら部屋に戻ると、ゲルバルドがいた。
「お前だけ残れ」
少女を自室に下がらせると、ゲルバルドが少年に問うた。
「字は読めるか?」
少年がうなずくと、ゲルバルドが新聞を目の前に置いた。
「なっ……」
見出しは、「凶悪庭師、貴族殺害か」。
少年は記事に目を走らせる。
「庭師が雇い主のアレクサンドル・ロマノフスカヤ氏および、下男を斬りつけて逃亡」
「ロマノフスカヤ氏は、結婚を目前にして重症。下男も重症」
「アレクサンドル氏の友人で、当日、屋敷に遊びに来ていたヘンリー・コルトレーン氏の亡骸が山中で見つかった。凶器は鎌。庭師が殺害に関与か」
「凶悪庭師は、使用人の少女を連れて逃げている」
なぜ名前が違っているのかわからないが、ヘンリー・コルトレーンとは、スミスのことだろう。
ゲルバルドが厳しい口調で尋ねた。
「これは、お前たちのことか」
「ちがう! こんなのうそだ」
少年は叫ぶ。
「ほう、ではお前たちのことではないと」
老いた貴族の低い声が、冷たく響いた。
少年は眉間にしわを寄せる。
「俺たちのことです……。俺がやったことです、でも、こんなのはぜんぜん違う」
「書いてあることに間違えがあると言いたいのか」
「あのひとは使用人じゃない。
屋敷に閉じ込められて、アレクの玩具にされてた。
友人が遊びに来た……? あの人を買いに来たんだろ。
それまでだって、さんざんあの人はいたぶられていた」
頭に血がのぼる。
あいつらは「被害者」と書かれている。
なのに、弄ばれ、傷つけられたあの人のことは、どこにも記録は残らない。
きっとあのまま殺されていたとしても同じだろう。
アレクもスミスもそれをよくわかっていたはずだ。
わかったうえで彼女を慰みものにし、亡きものにしようとした。
罪の意識より、追われる恐怖より、少年は怒りに震えた。
「落ち着いて話せ」
少年は説明した。
アレクの「お手つき」としての彼女の境遇。
日に日に増えていった体のあざ、スミスことコルトレーンの来訪。
結婚を前にしたアレクは、彼女が邪魔になっていたこと。
彼女がコルトレーンに連れ去られそうになり、馬車を追い、そして――。
ゲルバルドはそれを、ただ静かに聞いていた。
「お願いです。警察でもロマノフスカヤ家でも、突き出すなら、俺だけを。
彼女は逃がしてあげてください。アレクのことを慕っていたのはみんな知ってる。
湖にでも身を投げたと言ったら信じます」
ゲルバルトはふん、と鼻を鳴らし、答えなかった。
しばらくの沈黙ののち、ひとつだけ尋ねた。
「お前……お前がコルトレーンをやったのか」
少年は口を引き結んでうなずいた。
後悔はない。たぶん、ほかに方法なんてなかった。
ああしなければ、今ごろ“地下室”とやらで、ふたりともなぶり者にされていただろう。
「そうか……」
それは、優しい声だった。
罪を責められるとばかり思っていた少年は顔を上げたが、ゲルバルドはいつもの表情に戻っていた。
そして、厳しい目で少年に言いわたす。
「前にも言ったが、この北塔からは出るな。
マデリンは信頼できるが、ほかの使用人まではわからん」
少年には、その真意が汲み取れない。
「それと、『庭師さん』『お嬢様』と呼び合うのはやめろ。素性をふれて回っているようなものだ。こうして書かれている以上、とくにお前は本名も言語道断だ。あの娘にもしっかり言っておけ」
少年に問いかける隙を与えず、ゲルバルドは「いいな」と念を押して去って行った。
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