猟師小屋の回想2
太陽が中空にかかるころ、老齢の男がひとりで猟師小屋に戻ってきた。
肩に革のかばんをかついでいる。
「これを着ろ」
少女に差し出されたのは、小ざっぱりとした綿の上衣と、ショールだった。
貫頭衣のような上衣に袖を通そうとして、少女は迷う。
「これ……わたし、汚してしまいます。肩が……」
老人はひと呼吸考えてから、「後ろを向け」と言った。
少女が戸惑いを見せると、男が軽くため息をつく。
「手当をするだけだ」
少女はこわごわ後ろを向く。
老人の指が肌にふれ、濡れた布が肌から離れる感覚。
老人が何かをかばんから出している気配がする。
コルクを抜く音とともに、アルコールの濃厚なにおいが鼻腔をつく。
「痛むぞ」
「……あっ」
何かがしみる激しい痛みで、そこに傷があるのがわかる。
それが3回。
少女が息を整えているうち、老人が包帯を巻いた。
「もういいぞ」
上衣を着て、老人のほうを向き直る。
老人の足元には、酒瓶があった。
老齢の男は次に、「指を見せろ」と言った。
少女はすこし迷って、右手を差し出す。
男はその状態をひと通り観察し、ポケットから添え木と包帯を取り出し、少女の指に巻き始めた。
「……っ」
包帯が巻かれるたび、痛みが走る。
「あと少しだ」
手当てが終わると、男は治療に使った道具をかばんにしまい、「来い」と言って、小屋の外に出る。
少女はショールを肩にかけ、あわててあとを追う。
小屋の後ろは、なだらかな斜面になっていた。
「に、庭師さん……彼は……」
少女は右足を引きずり、男を追いかけながら尋ねる。
男はしばらく黙ったあと、「今、医者に見せている」とだけ答えた。
斜面を登りきったところに、馬がつながれている。
「馬に乗ったことはあるか?」
「馬車なら」
男はため息をつくと、少女を抱き上げて鞍に乗せた。
「たずなを握ったら、膝で馬の胴を挟むようにして、体をしゃんと立てろ」
「……はい……」
返事をしているうち、少女の体がぐらつく。
「落ちそうになったら、体を伏せてしがみつけ」
そのまま、自分は馬を引いて歩き出す。
「わたし、歩きます」
「その足じゃ無理だろう」
――悪い人じゃないのかな……。
しかし、男に連れられていった先で、少女は青ざめる。
そこは、古い城塞のような屋敷だった。
――この人……貴族なんだ……。アレク様の知り合いだったら……。
男は正門を避けて裏口へと回った。
敷地の北にある塔へと少女を導く。
その二階に、少年が寝かされていた。
「庭師さん……」
少女が駆け寄ると、寝台の横にいた白衣の男が「うわわ」と退いた。
「ごめんなさい」
謝りつつ、少女は眠る少年の頬にふれる。
まだ熱はひどい。
顔の腫れ、全身のあざと切り傷。
血が拭きとられたことで、暴行の痕跡がはっきりとわかる。
「ちょっといろいろ、必要だね」
白衣の男が、入り口に立つ老齢の男に向かって言った。
「僕は一度、診療所へ戻るよ。薬とか持ってくる」
老齢の男が、白衣の男を手招きし、耳打ちした。
「その前に、その子も見てやってくれないか」
老齢の男が、少女のほうへ顔を向けた。
「指と足、肩をケガしている」
それと……と、声を落とす。
「体にもだいぶ、傷がある」
白衣の男は、少年と少女のほうを見やる。
「ちょうどいい。僕のほうも、いろいろ聞きたいことがある」
「わたしは外すよ」
「ちょっといいかな?」
白衣の男に声をかけられ、少女は我に返る。
老齢の男は、いつの間にかいなくなっていた。
少女は緊張した。
「ええと、医師として、この男の子の治療にあたって、聞きたいんだけど」
――庭師さんのために、がんばろう。
「わたしにできることなら……」
医師は、小太りで丸い眼鏡をかけた男だった。
茶色くやわらかいくせっけが、頭の上をもしゃもしゃとおおい、どこかのんびりとした雰囲気を醸し出している。
人のよさそうなその風体に、すこしだけ少女は安心する。
「この子が何をされたのか、教えてくれるかな」
「人に蹴られたんです」
「どこを、何回ぐらい?」
「顔を4、5回。お腹もそれぐらいか、もっと……」
スミスがつま先を容赦なく叩きこむ姿を思い出し、胸が痛む。
「どのあたりを?」
「顔は、ほっぺたを左右に。お腹はこのへんを」
少女は自分の体で指し示す。
「みぞおちあたりかな……」
医師はメモを取った。
「彼、助かりますか……?」
少女が聞くと、医師は安易なことは言えないなあ、とつぶやいた。
「頭と内臓に問題なければいいんだけど」
少女が泣きそうな顔で少年を見る。
「僕もがんばるよ。で、君の番なんだけど。手を見せてくれるかな」
医師は包帯を取り、指を見て、「ひどいなあ」とつぶやいた。
「これ、どうしたの?」
少女は目をそらす。
「……転んでしまって」
「う~ん、本当のことを言ってほしいな。治療方針とか、いろいろあるからね」
医師がのんびりとした口調で言った。
「……折られました」
「人に?」
少女はうなずく。
医師はそれ以上何も聞かなかった。
添え木と包帯をもとのままに戻す。
「もっとしっかり固定できるものを持ってくるよ。
それと、足を見せてくれるかな。痛めているのはどっち?」
少女は右足を前に出す。
足首にある痣を見て、医師が眉根を寄せる。
「どこがどんな感じかな?」
「右足の、足首が痛くて」
医師が足をトントンと叩いた後、足首を持って回した。
「あっ……」
痛みが走る。
「ごめん。これ、いつやったの?」
責め道具が並ぶ地下室へ行く途中、怖くて足がすくんだら、スミスに突き飛ばされ、階段から転がり落ちたことがあった。
あれは、いつだったろう。
「2週間ぐらい前……。階段から落ちて……。これは本当です」
「それから、このまま?」
少女はうなずく。
「痛かったでしょう」
医師が少女と少年を交互に見た。
「言いづらいんだけど、君、肩とか……体じゅうに怪我してるって聞いて。
この布で隠して、少し、体を見せてくれないかな」
医師は長い布を手渡そうとする。
「それは……」
「正直、指も足もひどいよ。
同じような怪我があるかもしれないし、見せてほしい。
僕は後ろを向いているから、準備ができたら言って」
そういって、医師は強引に布を渡すと少女から離れ、後ろ向きになった。
少女は上衣を脱ぎ、布を前に垂らし、胸を隠す。
「準備、できました」
「僕がそっち向いたら、1周回って」
恐怖に耐えながら、くるりと回る。
「ごめん、ちょっと近づくよ。背中見せたままでいてくれるかな」
少女は身を固くする。
医師が包帯を取りながら、「ゲルバルドさん、雑だなあ……」とちいさくつぶやく。
少女はそこではじめて老齢の男の名前を知った。
「肩の、これは……」
「鎌で刺されて」
「少し、しみるよ」
「肩は、さっき、えっと、ゲル……」
言い終わらないうちに、肩のほか、腰のあたりにも、医師が何かを塗った。
少女は痛みに声をもらす。
「こっちは化膿してるね……。この傷はどうしたの? 腰のあたり」
傷の上に何かを貼りながら、医師が聞く。
「転んだってのは、なしにしてね」
「打たれものか、やけどだと……」
「打たれたって……鞭とか?」
少女はうなずく。
「もう終わり。僕はあっちを向くから、服を着て」
少女が向き直ると、医師は言った。
「今日から、ゆっくり治していこうね」
少女は少年が寝かされている部屋の隣室をあてがわれ、そこで寝起きした。
マデリンという中年のメイドが無表情に、しかし、てきぱきとめんどうを見てくれる。
ゲルバルドという老齢の男性は、少女にこの塔から出ないように言い置いた以外、とくに何もしようとしなかった。
日々、医師がやってきて、少年を診察し、少女の傷を診た。
少女にとってそれは、アレクやスミスにおびえていたのが嘘のように静かな時間だった。
ただ、庭師が目を覚まさないことをのぞいては。
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