番外編

苗を買う。そして少年を拾う。

「雇ってください!」


威勢のよい声がした。

若いというより、幼さを感じさせる声。


刃物店でナイフを見つくろっていた老人も、

新しい商品を見せていた店主も、入り口を振り返る。

逆光のなか、汚れきった少年が立っていた。

異臭が老人の鼻をついた。

横幅の広い眼鏡をかけた店主は、神経質そうな顔をしかめた。


「ひ、人手、いりませんか。俺、俺、なんでもやります」


緊張した面持ちで、少年がたたみかける。

顔が黒くすすけてよくわからないが、おそらく移民の子だろう。

肌の色や顔立ちが、多くのひととは違っていた。


「見てわからんのか。いま、客がいる。出て行ってくれ」


店主が低い声で言うと、少年が、ハッとした顔で老人を見た。


「ご迷惑を……」


さっきの勢いはどこへやら、すごすごと引き下がる。

その遠慮がちな態度には、どこか老人の気を引くものがあった。


「あの子どもは?」


「浮浪児ですよ。最近、ああやって街じゅうの店に押しかけているらしい」


ほんとうに迷惑です、と店主はため息をつき、老人にささやいた。


「しかも、孤児院から寄付金を盗んで、追い出されたとか」


手入れを頼んでいた剪定はさみと、新しく買ったナイフを受け取り、老人は店を出る。


秋の日は短い。店にいる間に、すっかり日が暮れかけている。

今日は宿を取って、早朝、ロマノフスカヤの屋敷に帰るつもりだった。

馴染みの食堂で夕食を取ろうと歩いていると、さっきの浮浪児がいた。

今にも倒れそうな足取りで、街の外れへと歩いている。


「おい」


声をかけると、少年が立ち止まった。


「仕事を探しているのか」


問いかけると、黒く汚れた顔でうなずく。

近くで見ると、あらためてひどいありさまだった。

すり切れて垢じみたシャツからのぞくからだは骨と皮ばかり、

黒い髪は脂でかたまっている。


なぜ声をかけたのか、老人にもわからなかった。

老人自身、肌の色はこの地の者と変わらないものの、南方からの移民二世だったからかもしれない。


「一緒に来なさい」


戸惑いつつも、少年はついてきた。

老人は、予定を変更して、植木商のところへ向かった。

額にバンダナを結んだ植木商は、店じまいの手を止める。

老人を見て「旦那、お久しぶり」と笑顔を見せ、背後の少年を見てぎょっとした。

追い払おうとしたところを、老人が止める。


「連れなんだ。苗木を見せてやりたい」


「いいですけど……。手早く頼みます」


植木商は顔をしかめて言った。


苗木の前で、手招きして少年を呼ぶ。


「見なさい。これは背は低いが、葉につやがあるだろう」


老人が節くれだった指で、葉をなでる。

少年がいっしょにのぞきこみながら、うなずいた。


「それに、根もしっかり張っている」


葉をよけて、今度は根を指さす。


「こういう苗木は、よく育つ」


老人は少年に説明しながら、いくつか苗木や種を買った。


「食うぞ」


植木商を出ると、老人は食堂へ入った。

少年を連れていることで物言いがつくことは予想できたが、交渉は思った以上に難航した。


「旦那、ありゃ困りますよ。臭いで商売あがったりだ」


「食わせてやりたいんだ。入り口に近い席ならどうだ」


少年は申し訳なさそうにうつむき、腹を鳴らした。

結局、店の外なら、ということになった。


「好きなものはあるか」


店の壁にもたれかかった少年に聞く。


「とくには……」


少年の目には、戸惑いの色がある。


「ここで待っていろ」


太った店主に、「何か消化のいいものができるか」と聞くと、「ポリッジなら」と答えが返ってきた。


「精をつけろと言いたいが、まずはこれを食え」


粥を差し出すと、少年は手をつけようとしなかった。


「あの、俺、お金なんて……」


老人は軽くため息をつく。


――もうすこし、ずうずうしくなってもよかろうに。


「もちろん、ここはわたしが払う」


「でも、なんで……」


「いいから食え」


椀を押しつけると、「ありがとうございます」とやっとスプーンを握った。

最初はおずおずと。一口食べたあとは、ガツガツ口へ運んだ。


老人は、麦酒が入ったジョッキを片手に、その様子を見守る。

道ゆく人が、食堂の外で食事をしている浮浪児と老人の組み合わせを、じろじろ見ていく。


「もうすこし、しっかりしたものも食えそうか」


少年は粥を口のはしにつけたまま、こくこくとうなずいた。

今度は揚げた芋と魚を頼んだ。


「あまり一気に食べ過ぎるなよ。腹をこわす」


老人も一緒につまみながら、声をかける。

揚げものの熱さが、少年の戸惑いと遠慮をとかしたようだった。


「うまい、うまいです」


年のころ、13、14といったところか。


「お前、わたしの下で働くか」


それは自然と口をついて出た。


「へ」


少年が目を丸くしてから、「あっっつっっ」と声をあげた。

驚いて、熱い芋を飲みくだしてしまったらしい。


「わたしは貴族の屋敷で庭師をやっている。その見習いだ」


少年が明るい表情を見せたのは、一瞬のこと。

何かを思い出したようすで、うつむいた。


「俺、孤児院を追い出されたんです」


「だろうな」


「金、盗んだって言われて」


そんなこと、言わなければいいのに、と老人はあきれる。


「やったのか」


少年は首を横にふり、


「俺は……俺は、そんなことしない」


フォークを握りしめた手の甲に筋が浮かべ、少年は言った。


「そうか」


少年はうつむいたままだ。


「で、うちに来るのか、来ないのか」


重ねて聞くと、「いいんですか」と驚いた顔をしている。


「いいも何も、うちに来るかと聞いている」


「い、行きます。働かせてください」


「そうと決まれば、忙しいぞ」


老人は麦酒を飲みほした。


その夜は、目まぐるしかった。

取ってあった安宿でたらいを借り、裏庭で少年に体を洗わせる。

寒い季節だが、まずは身なりを整えさせねばならない。

さらに公衆浴場へ連れて行った。

労働者向けの閉店時間が遅い古物商で適当な服を買い、着替えさせる。


広い部屋に寝台がいくつも並ぶ雑魚寝の安宿でも、

しかも割り当てられたひとつきりの寝台を老人と共用することになっても、

少年の顔は明るかった。


「寝台で寝るなんて久しぶりです」


そうして、遠慮がちに寝台のすみにちいさくなり、寝息をたてた。



翌朝、安宿の中庭で老人が髪を切ってやった。


「見違えたな」


老人は満足そうに少年を見た。

まじめそうで理知的な顔立ちだと、老人は思った。


――これならアレク様も承知してくださるだろう。


ロマノフスカヤの屋敷には、昔から移民の使用人が多い。

それは、ロマノフスカヤ家自体が、そう遠くない昔、凍土の国からわたってきた貴族だからだろう。

度が過ぎたのか、先代のミハイルなどは、北方から渡り、路頭に迷っていた女に肩入れし、浮気だなんだとちょっとした騒ぎになった。

屋敷には肌の色が違う使用人はいなかったが、真面目な働きぶりを見せれば、受け入れてくれるはずだ。


老人は少年を街に残していったん屋敷に帰り、アレクに少年を雇い入れる許しをえた。

アレクは「急だな」と驚いたものの、もともと、見習いがほしいとは話してあったこともあり、「お前が言うなら優秀なんだろう」とあっさり認めた。


街へ戻り、少年に昼飯を食わせてやる。

昨夜と同じ食堂へ入る。

もう、店員が顔をしかめることもない。

今度は窓際の席へ通された。


「主の……えっと、アレク様、の許しは得られたんですか?」


少年が不安げな目をして尋ねる。

老人はうなずいた。


「心配するな。それより、腹具合はどうだ。

ゆうべ急に食って、腹を下したりしていないか」


少年が首を横にふったので、肉料理を注文してやった。

少年は戸惑う。


「俺、もっと安いものでいいです」


「子どもが遠慮するな。精をつけろ」


――この子には、もう少し図々しく生きるすべも教えてやらねばならない。


肉を夢中でほおばる少年に向かい、老人が尋ねた。


「お前、どうなりたい」


「どう……って」


「将来。大人になって」


「俺は……」


少年は肉を飲み込んでから言った。


「まじめに働きたい。それで、家庭を持ちたい。それと……」


「それと?」


「行き倒れているとき、りんごをくれた人がいて……。

立派になって、その人にお礼を言いにいきたい」


少年がはにかんだ。

老人が目を細め、「そうか」と言ったとき――。

心臓にさしこむような痛みを感じた。

昨日はなかったが、たしか一昨日は同じような痛みがあった。

近ごろ、頻度が上がっている気がする。


――この子を一日も早く、一人前にしなければならない。


「さあ、屋敷へ行こう」


老人は痛みや焦りを隠し、席から立ちあがった。

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