日陰の庭で
彼女にもう一度会ったのは、新緑の季節だった。
その日、少年に与えられた仕事は、生垣のコニファーを見て回ること。
こんもりと伸びた葉の内側をのぞいては、枯れた葉を積んでいく。
あの日以来、裏庭に来ると、少年は期待するようになった。
――彼女に会えるのではないか。
今日まで期待は外れっぱなしだ。
けれど、それはそれでよかった、とも思う。
彼女と会っても、上手く接することはできそうにない。
でも、その日は見上げた窓辺に彼女がいた。
屋敷のはし、裏庭に面した一階よりすこし小高い部屋。
短い階段がついて、外から直接出入りできるようになっている。
そこが、彼女の部屋だった。
勇気を出して、手を振ってみる。
彼女もちょっと笑って振り返してくれた。
それだけのことなのに、体全体が浮き立ちそうになる。
――顔が赤くなっているかもしれない。
少年は背を向けて、ガサガサとコニファーの枝葉に手をつっこむ。
「少しだけ、お話ししても大丈夫?」
少年が振り返ると、彼女が扉から顔を出していた。
おずおずとうなずくと、少女が階段を降りてきた。
「お仕事中、ごめんなさい。この木はなんというのか、教えてほしくて」
少女が一本の木をさした。つやのある葉を茂らせた、少年よりすこし背の低い木。
「クチナシです。なんでもずっと東にある国から、商人が買いつけてきたのだとか」
少年は即答する。
この半年、屋敷に植わっている植物のことは、師匠から叩き込まれていた。
庭木の話をしていると、不思議と彼女の前でも呼吸がしやすい。
「ずっと東……。庭師さんと同じ?」
ちょっと考えてから、少年は自分の黒い髪をつまみながら言った。
「あー、俺は物心ついたときから孤児院にいたから……。
よくわかりません。たぶん、親はそっちの人間なんでしょうけど」
「変なことを聞いてしまって、ごめんなさい。
庭師さんの黒い髪と目、すごくすてきだから」
そのことばに、少年はどぎまぎさせられてしまう。
少女はそんな少年の気も知らないようすで、遠くから来たのね、と濃い緑の葉をなでる。
――すり切れてる。
紺色のワンピースの袖が、傷んでいることに、少年は気づく。
「この……えっと、クチナシね、夏のはじめに、とてもいい香りがする花を咲かせるの」
「俺は今年、はじめてクチナシの花を見ます。楽しみです」
「じゃあ、これは?」
彼女はクチナシの下に生えた植物を指さした。
ギザギザした細めの葉を伸ばしている。
少年はしゃがんで答えた。
「クリスマスローズです。冬に咲きます」
少女も並んでしゃがみ込む。
「寒い季節に、小さな花を咲かせるのが、とてもいじらしくて」
少女は愛おしそうに言った。
――花が好きなのかな。
「ここにあるのは、日陰に強い木や植物です。
表には、もっとたくさんの植物がありますよ。
すこしだけ、見に行きませんか?」
少年は立ち上がり、歩き出そうとした。
屋敷のはし、オークの木に隠れて見るぐらいなら、誰にも見つからないはずだ。
が、少女は気まずそうな表情で、その場から動かない。
「どうしました?」
「表には、わたし、行っちゃいけないから……」
胸の前で、手を握っている。
なぜ、と聞きかけた少年の脳裏に、「お手付き」「妾のようなもの」と、師匠から聞いた言葉がよぎった。
師匠をはじめ、使用人たちは少女を「お嬢様」とは呼ぶものの、腫物に触れるように接している。
アレクからの扱い、すり切れた袖。
この屋敷での彼女の立場がよいものではないことは、少年も理解し始めていた。
「せっかく誘ってくれたのに、ごめんなさい」
彼女が無理に笑おうとしている。
――こんな表情を、させたくない。
「ここで待っていてもらえませんか」
少年は走った。
屋敷の横を抜けるとすぐ、明るく、うつくしい庭が広がっている。
この屋敷の自慢のひとつで、それを維持することが自分たちの誇りなのだと、師匠から日々聞かされている。
――でも、あの人は見られないんだ。
ものの二、三分で来られる場所なのに。
少年は、裏庭の、彼女の部屋を思った。
日陰に強い草花の説明を、あの人はどんな気持ちで聞いていたんだろう。
あの人は、どうしてすぐそこにある光射す庭にすら出られないんだろう。
あの人は、あんなにきれいなのに。
俺にりんごを差し出してくれたのに。
少年の視界がゆがむ。
――まぶしいからだ。
少年はそう言い聞かせ、目をぬぐって、見つくろう。
切っても庭の印象を変えず、師匠にもわからないようなもの。
マルメロの白い花、紫のライラック。
ポケットにいつも差している裁ちばさみで切って、クレマチスのつるでくくった。
「これを」
戻って差し出すと、少女は目を丸くした。
「わたしに……?」
少年はうなずく。
「表の庭に咲いている花です。ほんの一部ですけど」
「ありがとう」
少女が輝くような笑顔を見せて、即席の花束を受け取った。
その表情に射抜かれて、少年は平静ではいられなくなってしまう。
バタついた心臓の鼓動を悟られないよう、少年はあわてて説明を始めた。
「こ、これがマルメロの花です。これはライラック。どっちも香りがいいです」
「本当……いいにおい」
少女が垂れた髪をかきあげながら、花の香りをかぐ。
横顔、うなじ、そして襟元からのぞく白い胸元。
少年は目をそらす。
そして、否が応でも、この屋敷で再会した日の彼女の姿を思い出す。
はだけた胸を隠して、涙目だった彼女を。
少年はそのイメージを振り払う。
「今日はお仕事の邪魔しちゃって、ごめんなさい。
お師匠さんに叱られたら、わたしに手を止められたって、ちゃんと言ってね」
「気にしないでください」
少年は答えつつ、内心、師匠に叱られたら、言い訳はできないなと思う。
彼女と交流をもったことに、いい顔をされないだろう。
「今日は本当にありがとう」
去りかけた彼女に、少年は思い切って言ってみる。
「また、花、見せに来てもいいですか」
少し驚いた顔をして、「お願いできる?」と彼女が答えた。
「もちろん」
――また、会える。
少年の心に、このうえない喜びが広がっていく。
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