春の夕暮れ

それは、春の日だった。

少年は、夢中で下草をむしっていた。

単純作業とはいえ、何かを任せてもらっている。

それが、少年にはうれしかった。

春を迎え、植物がぐんぐん育つ。

冬の霜を避けて育てた薔薇の苗を掘り起こし、根をほぐしたり、咲き終わったビオラの花を切ったり。

忙しく働きながら、冬の間、世話をした植物が力を取り戻していくのを見るのは心が浮き立った。

――この庭を、もっともっと、いいものにしよう。

だから、屋敷の裏、敷地の端まで来ていることにも、そこに誰かがいることにも気がつかなかった。

顔を上げたとき、数メートル先に、その人がいた。

敷地の端に、あのひとが起居する部屋がある――。

そう聞いたことを思い出した。

どうしよう、引き返さなければ。

逡巡しているうちに、彼女と目があった。

「し、失礼しました……」

心臓が跳ね上がり、反射的に踵を返す。

「あの」

――あのときと同じ声。あのひとの声。

少年ははじめて、その声をもう一度聞くことを切望していたと気がついた。

「待って」

呼び止められて、おそるおそる後ろを向く。

――このひと、俺のことを、りんごをくれたことを、覚えているのだろうか……。

彼女は胸のあたりで手をきゅっと握って、何かを言いかけている。

「あのときは……」

一瞬、りんごを渡された「あのとき」かと思ったけれど、彼女の表情を見て、考えを改める。

――たぶん、俺がこの屋敷に来たあの日の……。

納屋でのできごとを思い出すと、少年の胸は痛くなる。

理由はわからない。

けれど、心臓を誰かに乱暴につかまれたような、いやな、いやな痛み。

「その、ごめんなさい。恥ずかしいところを……」

――なんでこの人が謝るんだろう。

知りたい。その気持ちが、逃げかけていた少年を、その場にとどまらせた。

春の夕日のもとで見るその人は、想像していたよりもずっと小さい。

桃色の簡素なドレスが、とてもよく似合っていた。

年はやっぱり、自分と同じぐらい。

少年は口を開く。

「いやがっているみたいだったから」

少女が首を横にふり、うつむきかげんに言った。

「アレク様、ときどき、乱暴だから……」

「いやじゃなかったのなら、いいです」

これ以上、あのときの話はしたくなかった。

「じゃあ」と去りかけた少年に、少女が聞いた。

「あのあと、怒られなかった? 庭師のお師匠さんや、アレク様に」

振り向くと、彼女はまだ、胸の前で手を握っている。心配そうな表情。

「いえ、とくには」

「そう、よかった」

ささやかだけれど本物の笑みを浮かべて、彼女は手を降ろす。

――この人は、こんなふうに笑うんだ。

「ずっと気になっていたから」

それだけ言って、「ごきげんよう」と、彼女は部屋のほうへ去っていく。

――そんなことを、ずっと気にしてくれていたのか。

春の暖かな夕暮れのなか、少年の心に何かが灯った。

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