響け!七色の歌声

夕日が落ちかけた金曜日の午後

「ちょっと大河! これは一体どういうことよ!?」


 俺がマンションに帰ると、玄関の前で待ち構えるかのように有理紗のブチ切れた顔があった。帰宅早々どうして叱られなくてはならないのか、甚だ納得できない部分もあるのだが、その理由は有理紗のすぐ横にいる華音の顔に書いてある。なんだ、またか……と諦めざるを得ないわけだが、それで俺が怒られるのはやはり筋違いというやつだ。

 華音はいつもの泣きそうな顔でこっちを見ていた。飼い主に今日も怒られてしょんぼりと見つめる子犬の目だ。これだから小動物は……と思わないこともないが、今週はずっとこんな調子なので、俺ももうすっかり慣れっこになっていた。というよりお願いだからその円らな瞳で俺に訴えかけてくるのは本当に筋違いだから今すぐやめてほしい。


「そんなの俺に言っても仕方ないだろ」

「そうなんだけど……このやりきれなさを大河にぶつけないとやってられないのよ」

「やっぱしそれ、どう考えても俺は無関係だよな!?」


 なお本件に関して、俺は確実に無罪だ。そうに決まってる。


「と言っても、あんたがこの前華音ちゃんが歌えるようになったって言ったから、あたしはそれを信じたつもりだったのよ?」

「それについて俺は何一つ間違ったことを言ってない。嘘だと思うなら華音にも聞けばいいだろ」

「だったらなんでよ。なんでまだ華音ちゃんは歌えないの?」

「だから俺に聞くな! それは俺のせいではないし、華音に聞いてくれ」


 そうは言っても華音のあの顔は、華音自身また歌えなくなってしまった理由について理解できてないのかもしれない。凶暴犬に虐められた野良犬が、『大河く〜ん』って俺にすがるような目で見つめてきてるわけだし。そんな顔されたところで俺は一ミリもその解決策を持っていないわけだから、その目で睨むのは頼むから即やめてほしいという話だ。


「だったらその時の状態を今すぐここで再現して見せてよ!」

「…………」


 それは駄目だ。あの状況を再現するのはさすがに小っ恥ずかしい。


「何よ。あんたこんな純粋無垢な女の子に手を出しておいて、責任一つ取れないわけ? それって男として恥ずかしくないのかしら?」

「それは違う! そもそもあの時先に……」

「あの時、先に……?」


 一週間前のあの日、先に俺を抱きしめてきたのは華音の方だったじゃないか。

 ……などと言えるはずもなかった。思い出しただけでもその話を持ち出すのはどこか情けない気分になってくるし、それ以上に華音の『絶対言うなよ』という威圧感が半端なかったんだ。ついさっきまで泣きっ面の子犬と化していたくせに、こういう時ばかしはどうにも調子のいい小動物だから困る。


「とりあえず大河は華音ちゃんの彼氏なんだから彼氏らしくしっかりやりなさいよ」

「無茶苦茶言うな〜!!」


 てか誰が誰の彼氏だって言うのだ!?

 俺はもう一度華音の顔を睨む。すると華音はもう一度子犬の顔に戻って、また再び俺に助けを求めてきている。

 だからそんな顔を俺にしてきたところでだなぁ〜……。


 藤沢駅前で俺がハーモニカを吹き、華音がその旋律を歌ったあの夜が、今週の月曜日のこと。今日が金曜日ということは、あれから四日経ったということになる。だが華音はあれっきり、また歌を歌えなくなっていた。もっともそう証言しているのは俺ではなく、華音の歌のレッスンを担当している有理紗なのだが。有理紗が言うには、以前のように歌を歌うとすぐ呼吸困難に陥るということはなくなったのだが、それでも歌を歌えるのはほんの数秒だけで、しばらくすると苦しそうになり中断せざるを得ない状況だと言うのだ。『一曲歌い終わるまでに日が暮れちゃうわ〜』と言うのが有理紗の証言だが、実際今日も既に日は落ちかかっていて、マンションの窓の外は美しい夕日が間もなくお役御免と姿を消そうとしている。恐らく今日も有理紗の課題曲であるたった一曲が、まだ歌い終わっていないのだろう。

 それでも先日のラジオ番組の収録中みたいに、病院送りにならなくなっただけでも立派な進歩だと思うんだけどな。それは華音だって有理紗だって、ちゃんと理解してると思うけど。


 俺と有理紗、そして華音がこんなやり取りをしていると、部屋の呼び鈴が鳴った。ベルの音は一回。マンションの入口に誰かが訪ねてきたようだ。ちなみに二回鳴ると部屋の入口で誰かが呼び鈴を鳴らしたことになるが、今はそんなことどうでもいい。


「はい……」

「あ、その声は大河君? あたし、未来だよ。例の歌詞出来上がったよ〜」


 その明るい声を聞くと、俺はマンション入口のドアを開けた。

 アイドルグループ『BLUE WINGS』の歌姫、未来みく。こちらは予定通りぴったしの到着だ。俺は今週の火曜日に歌の曲の部分だけを作って未来に送り、今は編曲作業に着手している。未来に任せた作業は作詞だった。手慣れているのか、宣言通りに金曜日の夕方きっかりに持ってくるあたりは流石の一言である。


 とはいえ収録は一週間後の週末。本当にそれって間に合うのか?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る