ハーモニカの音色と七色の歌声
「おい……華音?」
「…………」
俺と華音は何秒、この場でこうしているのだろうか。
「華音……華音ちゃん……?」
「……わたしをちゃん付けで呼ぶとか、大河君、生意気だなぁ〜」
あ、こいつ小動物のくせになんか言ってる。
俺の背中には華音の細い両腕が絡まったまま。華音のぬくぬくとした体温が、身体全体に伝わってくる。柔らかくて、細くて……それでいて華音の胸って結構あるんだなって、そんなことさえも頭の中を走り回っていた。なるほど、確かに生意気と言われても仕方ないかもしれない。
「こうしていれば、大河君の頭の中で、わたしの曲ができあがるんじゃないかって」
「…………」
全然別のことを考えていたという事実は、この場では絶対に出さないようにしよう。
「だから、わたしの曲を書いてほしいの」
華音はまたそれを口にした。もう何度も聞いたはずのその言葉。
「でも俺が曲を書いたからって、華音が歌えなかったら……」
「違うよ。全ては一本の線に繋がってる」
「……?」
一本の線とは、どういう意味だろう。ただその華音の声音は何かを悟ったようにも感じられた。俺にはまだそれがどういったものなのか、糸の形など見えるはずもなかったのだが。
「だって、わたしは大河君の曲が大好きだったもん。わたしがひとりでパパとママの帰りを待っていると、スマホから大河君の音楽が聴こえてくるの。最初は友人からあのチャンネルのことを聞いて知ったんだけど、気づくと新しい曲が更新されるのを毎日楽しみにしてた。まさかあのチャンネルが大河君のチャンネルだって聞いた時は驚いたけど、でもだからこそ余計に大河君の曲ならって思えてきちゃったんだ!」
つまり華音は俺のチャンネルを友人に聞いて、それからずっとファンでいてくれたということだろうか。こんな風に俺の曲の感想を聞く機会なんてこれまで一度もなかったから、それは素直に嬉しかった。だが……。
「それって、どこも何も繋がってなくないか?」
だが、これがどうして華音が歌えるようになることと繋がっていると言えるのだろう。確かに華音が俺の音楽のファンでいてくれてたことは初耳だった。てっきり『月神の讃歌』だけを聴いて、歌を歌えなくなったんだとばかり思っていたから。
華音はそれについて何も答えようとしなかった。俺の背中は華音の両腕にがっしりと掴まれてしまったままで、その顔を確認することはできない。そのせいで華音が何も答えずにいると、俺は何かおかしなことを言ってしまったんじゃないかって、余計に心配になってくる。
「だったら今この場でさ、それを試してみればいいんじゃないかな?」
「試す?? ……って何を?」
そんな俺の不安が極致に達した時、華音はそう切り出してきたんだ。そもそも一体何を試そうとでも言うのだろう。
「大河君は今ここで、『月神の讃歌』以上の曲を作るの」
「は!? 突然そんな……」
あの曲以上って、あの曲ができるのにどれだけ時間がかかると思ってるんだ?
「大丈夫だよ。大河君ならできるって」
「いやちょっと待てって。ずっと書いてなかった俺が、急にあの曲以上なんて……」
「ううん大丈夫だって。だから今からわたしの言うことをちゃんと聞いてほしいの」
「ちゃんと……って……」
いやむしろ今だってちゃんと聞いてるはずなんだが。
すると華音はその細い両腕を俺の身体にさらに強く巻きつけてきた。こいつ、俺に恨みでもあるんじゃないかって思えるほど……いやまぁこれまで俺が華音にしてきた仕打ちを考えると、それは否定できるはずも当然ないのだが……だけど、華音の体温がこれまで以上に伝わってくる。
どきどきと胸の鼓動が高鳴っているのは、俺の方なのだろうか。いや、華音の心臓の鼓動もやはり早くなっている気がする。次第にその音と音が共鳴しあっているような気がした。
「ねぇ。今から、わたしのことだけを考えて」
「え……」
この態勢でそれ以外のことを考えるなんて、やはり無理だろという話……。
「わたしのことだけを想って、わたしだけの音楽を奏でてほしいの」
「それって……」
「わたしの曲が頭に思い浮かんだら、そのハーモニカで奏でてほしい」
「華音の曲?」
「そう。わたしは七野かのんと名乗っている声優で、以前はのかやみななって名乗っていたこともある。『七色の神音』って本当になんなんだろうね。そんなのわたしにだってわかってない。だってその正体はドジで天真爛漫な女の子で……」
「お前、それを自分で言っちゃダメだろ」
「でもそういうのをひっくるめて、今はわたしのことだけを考えてほしいの」
華音のことだけを想って、それをこのハーモニカで現してみる……か。
「わかった。やってみるよ」
「お願いします。大河先生!」
「お前その有理紗を呼ぶ時みたいな呼び方はさすがにやめろ」
そう言うと、互いに小さく笑っているのだけはわかった。
俺は華音に言われた通り、華音との思い出を全て思い出してみる。
一年前、のかやみななという声優が伝説を残して、そのままいなくなってしまったこと。それから何ヶ月も経って、俺が今日みたいにハーモニカを吹いていると、大きな荷物を抱えた家出少女が俺の音色に聞き耳を立てていたこと。いつも泣きだしそうな顔をしていて、小動物にしか見えないんだけど、だけど実際は一度も俺の前で泣いたことはなかった気がする。七野かのんとして声優業界に再デビューを果たした華音。それだけ聞くと本当に堂々としているのに、中身はやっぱり俺の知ってる華音だった。
何かが繋がるというのは、こういうことなのだろうか。
俺が知ってる華音は、やはりここにいる華音だけということかもしれない。
そこまで気がつくと、俺は華音の肩をそっと掴んだ。『もう大丈夫』って無言の合図を送ると、それに華音も気づいたようで、俺からその小さな身体が離れていく。
俺はまず、ドの音を鳴らしてみる。すると俺の思った通りの音が響いてくれる。
うん。これなら大丈夫だ。
次に音と音を繋ぎ合わせて、旋律を奏で始めた。華音が言うところの、華音だけのことを想ってそれをハーモニカの音へと変えていく。
華音だけのことを思って吹くって、結局どういうことなのだろうか。吹いている間も、少しだけそんな迷いがあった。そんなことじゃダメだよって、華音が言っているような気もする。そうだ、華音は俺と違っていつも前を向いてて、いつも俺の前を駆けずり回っている。その姿がどうしても幼くも思えてしまうのだけど、芯はいつもしっかりしていて、そこからぶれたことはない。華音の母親に対してもそうだったもんな。大好きな母親と、その裏返しで家出までしてみたり。
どうしようもないほど幼くて、どうしようもないほど意思の強い、小さな女の子だ。
俺が吹くのに夢中になっていると、歌声が聴こえてきた。
まだその歌詞すら存在しない音楽に、ラララという仮の歌詞を添えて、歩調を合わせてくる。その歌声には海のような深さがあった。深く、暗くて、手の届かない場所に、俺のハーモニカの音色が吸い込まれていくかのようだ。即興で作り上げていく俺の旋律に、ぴたりと寄り添って、そして、沈んでいく。
やがてその二つの音色は、一つになった。
音と音が重なり合い、一つのハーモニーを形成する。俺が音を奏でると、瞬時にその音を判断して、音程をぴたりと合わせてきた。さすが声優だけのことはあるのか、音に対する聞き分けは本当に敏感なようだ。その歌声も『七色の神音』をそのまま音楽に変えてしまったかのよう。今までこんな美しい歌声が眠っていたのかと思うと、どこかやりきれない気分にもなってくるほどだ。
「華音……?」
俺が振り向くと、そこには華音の嬉しそうな笑顔が溢れていた。
「ねぇ。わたし、歌えてたよね?」
「ああ。多分だけど、歌えてた」
時間にして、一分も歌っていなかったかもしれない。
でも華音の歌声は俺もはっきり認識していたし、そして華音は倒れる様子もなく、俺に溢れるばかりの笑みを振りまいてくるばかりだ。
「やった〜。実験成功だね!」
「ん? ああ。成功……だな。でも、なんで?」
どうして華音は歌えたのだろう。いろいろ腑に落ちない点は多すぎる。
「それはヒミツだよ〜! 大河君には絶っ対に教えてあげないから!!」
だけど華音はそう返すだけで、その理由について答えようとしなかった。
まだほんの数秒の歌声でしかないけど、それでも華音はこうして喜んでいる。今まで眠り続けていたその歌声を、華音は藤沢にやってきて二ヶ月ほど、ようやくそれを取り戻したんだ。
……と解釈して、本当にそれで正しいのだろうか??
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