七色の神音が伝説になった理由

「それは一体、どういうお話で……」

「あんなに楽しそうに話す華音の声を、私は久しぶりに聞いたので」


 華音の母親は小さく笑っていた。安堵感、そんな言葉が近い気がする。つい一昨日、横浜で『華音を返してほしい』と訴えていた母親の顔からはまるで想像ができず、何かを悟ったかのような、落ち着いた雰囲気があった。こうして改めて華音の母親の顔を見ると、本当に美しい女性に思えてくる。そこへ華音の面影がちらりと伺えて、今は小動物でしかない華音も、大人になればきっとこんな風に素敵な……。

 ……いや、思わず根本の話の流れを忘れてしまいそうになるのだが。


「一体華音のやつ……じゃなかった、華音さんは何を話したのでしょうか?」


 思わず素の俺を出てきてしまい、失礼な態度を取ってしまいかねない。それくらいに俺の内心は慌てていた。全然話の流れが見えてこないんだ。


「今度、声優の仕事で歌を歌うんですってね」

「あ、ああ……でも……」


 俺はまだ曲を書いてないし、華音はまだ歌えないのだが。


「あの子、小さな時から本当に歌を歌うのが大好きで、いつか歌手になってパパとママに歌を聴かせてあげるんだって、ずっとそればかり言っていたから」

「あ、はい。存じ上げております。歌手になりたくて、声優を目指したとも」

「そうなんですよね。私も声優の話を最初に聞いた時は全然話が結びつかなくて混乱してたんですけど、とりあえずとやらせてみたらあっさりとオーディションに合格しちゃうもんだから……」

「あいつは……華音は声優としては才能あると俺も思います」


 そうして生まれたのが伝説の声優、のかやみなな。『七色なないろ神音かのん』を発するとされる女性声優は、今時珍しく顔出しさえせず、もちろんその歌声を響かせることもなかった。


「でも私たちはそんな華音の夢を叶えることはできなかった……」

「え……?」

「私と華音の父親の間で離婚の話が出てきたのは、ちょうどその頃でした」


 『七色の神音』の伝説は全てが謎に包まれいて、謎のままいつの間にか消えていなくなってしまったんだ。まるで神隠しにでもあったような、最初からそんな声優いなかったんじゃないかって、そう思えるほどにぷつりと何かが切れてしまったかのように忽然といなくなってしまった。


「ひょっとして、華音が声優として続けられなくなった理由というのは……」

「…………」


 華音の母親は黙ったまま、こくんと首を縦に振った。


「離婚の話が落ち着くまで、声優の仕事は休んでもらうことにしたんです。華音をどちらが引き取るかまだ決まっていなかったし、少なくともそれが決まるまではって。華音も華音で私たちに気を遣ってたらしくて、大人しく声優としての仕事に専念していたみたいで……」

「つまり、声優らしく、活動を声を出すだけに制限していたと」

「……はい。他の声優さんたちがイベントなどにも出演している中、華音はそれにも一切参加せず、大好きな歌を歌うことも諦めていたみたいで……」

「でもそれって……」

「気がつくと華音から歌声が聴こえなくなってしまったんです。歌を歌うのを諦めたのが先か、本当に歌えなくなってしまったのが先なのか、今でもわかっていないのですが……」


 華音の母親はそう言うが、恐らくだけど前者が正解だ。タイミングやあいつの性格などを全て考慮すると、あいつは自分で先ず歌を歌うのを諦めて、誰も聴く人がいないその歌を一人で歌い続けていたところに、俺の『月神の讃歌』に出逢ってしまった。ぷつんと細い糸が切れてしまったかのように、その歌声は止まってしまったのかもしれない。

 こうして『七色の神音』の伝説は、現実に伝説と化してしまったのだろう。華音は声優活動を休止し、そのまま芸能事務所も移籍することになった。


「その件に関しては本当に華音に申し訳ないことをしたって思ってるんです。私たちのせいで、大好きな夢も奪ってしまって……親、失格ですよね。だからせめてと思い、今の芸能事務所の提案に従って、華音が家を出ていくことを許したんです。事務所を移籍することになってしまうけど、それが最良の手段だと思いましたので」


 結果、華音は有理紗と俺の部屋に引っ越してくることになる。全ては華音の夢を叶えるため。行き場を失っていた華音は、一人で藤沢へ来ることを選択したんだ。


「だけど……これは私の我儘でしかないのですけど、ようやく離婚調停も落ち着きまして、それでもう一度華音と一緒に暮らせないかって思ったんです。確かに私の我儘であることは重々承知しているつもりですが……」


 それで華音の大反発に遭ったと。不憫ではあるが仕方なさそうな話でもある。

 ただ、今日の話というのは確かそういう話ではなかったような……?


「それで、華音は……」

「ただ、昨日華音と電話で話して、やはり今の環境が必要なんだと改めて感じました。今のあの子にとって、最も居心地の良い場所。それが今の生活なんじゃないかって」

「いやあの、本当にそれでいいのでしょうか?」


 とはいえ、家庭環境に障壁がなくなった今となっては、本来なら親と一緒に暮らすのが最適な気もしなくもない。であれば無理に有理紗と俺の部屋に住む必要なんて本当はどこにも……。


「それにね。華音、私に言ったんですよ。大河さんと一緒ならようやく歌えるって」

「俺と……?」

「大河さん、華音の歌を作ってくれるんですってね。華音、すごく嬉しそうに話してました。これで華音の夢が叶えられるなら……」

「いや、まだ曲も完成していないのですが……」

「でも作ってくださるんですよね?」


 やはり親子なのだろうか。母親の顔がどうしても華音に見えてくる。


「華音のこと、よろしくお願いします」


 そしてこれは……いや、なんだかそれはそれで別の誤解を招きそうな発言にも聞こえたのだが、それというのはきっと俺の勘違いというやつだろう。

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