少し苦めのブラックコーヒーはいかが

 俺は執拗に疑ってくる宏をなんとか切り抜けながら、待ち合わせ場所の藤沢駅北口へと急いだ。そりゃもちろん疑われるのも無理はないのは承知の上だ。華音とは一つ屋根の下で暮らしているのも事実なら、俺が倒れた時に華音のベッドの上へ運ばれたこともある。挙げ句の果てに、先日は横浜の遊園地でデートをした日から話はさらにややこしくなり、華音は俺の側にべったりとくっついて歩き、一向に離れようとしない。今日こそ華音は声優の仕事のため学校を早退し、周りをちょろちょろする小動物がいなくなって落ち着いたかと思ったところに、華音の母親が俺に電話をかけてきたというわけだ。

 そもそも華音のやつ、一体何を考えているのだろう。俺が曲を書くと言ってから、妙に機嫌がいい。そんなに嬉しかったのだろうか。俺はまだ曲を書き上げてさえいないのに、華音のあの浮かれた様子に俺は焦りを抱きつつあった。

 そもそも俺は本当に華音の気持ちに応えることができるのか。曲なんて本当に完成するのだろうか。もし俺が曲を書けなかったら、華音はどんな顔をするのだろう。


 だがそれはそれ、華音の母親が俺を呼び出した理由とは……。


 藤沢駅北口のちょうど入口あたりに、背格好含めて華音そっくりな美しい顔立ちの女性が立っていた。年齢もかなり若く見え、今ここにいる女性は有理紗と同じくらい、二十代後半と言われても思わず納得してしまいそうだ。華音の年齢を考えるとそんなはずはないのだが、若くていかにも仕事のできそうなビジネスウーマンという印象がある。

 華音の母親は、俺の姿に気づくと早速声をかけてきた。


「すみません、急に呼び出してしまって……」

「いえ。今日は特に予定もなかったので。すぐ近くに喫茶店があるのでそこで……」

「はい……」


 そういうと俺は、華音の母親と駅近くの西洋風の喫茶店へと向かった。店の前はよく通るのだが、実際入ったことは数回程度。ただ店内は開放感もあり、明るい日差しが燦々と入ってくる。コーヒー豆にもこだわりがあるようで、この雰囲気であればもう少し何度か通ってもいいかもしれない。


「えっと、今日俺にお話というのは……」

「…………」


 ブレンドコーヒー二つを店員さんに注文すると、俺は早速今日の話の内容を確認した。だが華音の母親はどこかもじもじしていて、僅かばかりの重たい空気を運んでくる。


「あの……華音のこと、大河さんはどう考えていらっしゃるのでしょうか?」

「…………」


 数秒の間の後、ようやく華音の母親は、俺を呼び出した理由っぽい何かを切り出した。が、一瞬何の話をしているのか、俺の頭の中は真っ白になってしまう。


「……はい?」

「華音のこと、大河さんはやはり……」

「すみませんあの……きっと何かを誤解されていませんか?」


 というより、何がやはりなのだろう?


「非常につかぬことを、結局のところ華音とは一体どこまで……?」

「やっぱしきっと、いや間違えなく誤解されてますよね!?」


 むしろつい一時間前、ほとんど同じ会話を高校の音楽準備室でもしていた気もしたが、これは完全にデジャビュというやつではないだろうか。


「俺と華音は特に何も……普通にルームメイトをしているだけです」

「そうですか……」


 俺も華音も、有理紗の部屋の居候であることに変わりはない。つい先週までは学校でほとんど会話さえしなかったような仲だ。それ以上でもそれ以下でもないし、今後も恐らくは何も変わらない……多少、利害関係の一致で協力することはあっても、そこから先、何かが変わるとは俺は考えてもいない。


「あの、結局今日の話というのは、そういった内容の話でしょうか?」

「ええ。……はい」


 華音の母親はやや俯き加減で、顔を隠すように小さくそう答えた。が、話はそれっきりで、会話が全く続かない。華音の母親が何かを言いたそうなことに気づいているが、それをどう尋ねていいのかわからないでいた。

 ようやくその沈黙を破ったのは俺ではなく華音の母親の方で、もう一度俺の顔をちらっと確認すると、改めてこう切り出してきたんだ。


「昨晩電話で華音と話して思ったんです。今の華音には、大河さんが必要なんだと」


 それは、唐突に猛烈な脱力感を覚える気配を感じた。

 やや苦めのブラックコーヒーの香りが鼻の中をつんと刺激してきて、その心地よい匂いはそのまま行き場を失ってしまう。頭の中でどう受け取っていいのかわからないまま、その場に強く居残ってしまったんだ。

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