華音とアイスコーヒーと大人の事情
今日横浜へやってきたのには訳があった。華音の母親がもう一度華音と話がしたいと、横浜で待ち合わせをしたんだ。先方の住所が飯能市で、こちらの住所が藤沢。有理紗はその中間を取って、横浜にしたらどう?と提案したらしい。何をどう間違ったら飯能と藤沢の中間が横浜になるのだろうか。飯能って言ったら埼玉県の山の中じゃないか。俺は有理紗へそうツッコミを入れたつもりだったが、『お互い電車一本で行けるんだから中間地点みたいなもんじゃない』などと謎の返しが返ってくる。とはいえ、その理屈で言うともう一つの選択肢は池袋くらいで、それだと確かに藤沢からは遠くなってしまう。何はともあれ、華音の母親が横浜に来ると言うのだからそれでいいかと強引に納得するしかなかった。
案の定とも言うべきだろうか、話し合いは完全に決裂した。
そもそも、誰と誰が話し合っていたのだろう。華音の母親は『娘を返してほしい』と有理紗へ訴えるばかりだし、華音は華音で『絶対にわたしは帰らないから』とやはり有理紗へ一点張りだった。有理紗は互いの言い分を聞くのに精一杯で、すぐ隣に座っていた俺の膝を何度も何度もつねってきやがった。恐らくは有理紗なりのストレス解消だったのだろうと俺は察しているが、それをやられた俺の方がたまったもんじゃない。
話はこじれにこじれたが、とりあえず春が来るまで華音は有理紗が預かることで、一旦互いに了承したらしい。というのも、華音があれだけ駄々をこねれば、それしか方法がなかったという他ないのだが。
「本当にあれで良かったの?」
「ん? 何のこと???」
横浜大桟橋に程近い喫茶店に入り、有理紗は華音にもう一度それを確認する。この辺りは西洋風の建物が並んでいて、どこか懐かしい風情が感じられる。だが華音はと言えばそんな光景にあまり興味がないのか、ストローでアイスコーヒーをじゅるじゅると啜っては、何食わぬ顔で有理紗の質問の意味を確認するという有様だ。本当に華音のやつ、一体何を考えているのだろう。
「華音ちゃん、お母さんとちゃんと向き合えてなかったでしょ?」
「ちゃんと娘と向かってくれてないのはママの方だもん。そんなの知らないよ」
「だけどね華音ちゃん。華音ちゃんだってもう子供じゃないんだし」
「うんそうだよ。だから家を出ていくことくらい、どうってことないじゃん」
華音の言い分にはそれなりに納得できるものがある。こんな小動物であっても、一応は高校二年の女子高生。もう来年には高校卒業となるのだ。華音の進路なんてそんな話は聞いたこともないが、高校卒業をした後は一人暮らしなどを始めても不思議な話など何もない。
「そうなんだけどね……。でも少しはお母さんの気持ちもわかってあげてもいいんじゃないかしら」
「やだよ。わたしの気持ちなんか全然わかってくれないくせに、なんでママの気持ちを理解しなくちゃならないのかな」
「そうは言ってもね……」
「知らないもん。そんな大人の事情なんて、わたしわかりたくない!」
とはいえ……。やはり少し腹立たしくなってくるものがある。
「ふっ、のんきなもんだな」
「なっ……」
「ちょっと大河。話がややこしくなるからあんたは黙ってなさい!」
俺の横で有理紗が怒鳴っている。だがそんな声は俺の左耳から右耳へ通り過ぎてくだけだ。
「だってそうだろ。華音の言ってることはただの子供の我儘じゃねーか」
「…………」
「大河、少しいい加減に……」
「何が娘の気持ちだよ。そんなもん知ったこっちゃねぇよ。親の勝手な事情を飲み込めないやつに、そんなのが通用すると思ってんのかよ。親なんてものは勝手な人間だし、子供だって勝手な人間だ。だったらそれを受け入れないで、誰が何を受け入れろって言うんだ?」
俺はどこか間違ったことを言ってるだろうか。自分の言葉をもう一度反芻する。
みんな勝手なんだ。親も子供も。親なんてものは子供の気持ちを全然わかってくれないし、子供だって親の身勝手な気持ちなんてわかりたくもない。子供が物心を身につけた頃には既に離婚していて、それ以来離れ離れに暮らすことになったもう一人の親の記憶なんて、今ではほんの片隅にしかない。一緒に暮らしていたはずの親だって、子供の気持ちなんて全然理解しようともせず、好き勝手に生きているだけ。だったら子供だってそれでいいんじゃないのか。
俺には、そうして生きていくしかなかったんだから。
そもそもそれしか選択肢がなかったわけだから……。
「華音ちゃん。こいつの言ってることは特に気にしなくて……」
「ねぇ有理紗先生……」
気づくと、小動物は円らな瞳を灰色に染めていた。
「わたしはやっぱしまだ、子供なのかな?」
あの時と同じように。
俺があの事実を伝えた、俺と華音の時間が止まってしまった、あの時と……。
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