Lesson3: 二人で奏でる希望の歌
華音と大河と横浜の街並み
華音の乙女心と山下公園
「有理紗先生〜、早く早く〜!!」
場所は横浜、山下公園。ビジネスマンより散歩中の人が目立つ、昼下がりの土曜日。久しぶりの青空が横浜の海を照らしていて、少しだけ暖かい風も吹いてくる。暦は間もなく三月を迎えようとしていて、今朝のテレビでは梅の花が見頃であることを伝えていた気がする。
華音が収録中に倒れてから、まだ数日しか経っていないはずなのだが、江ノ島へ行った時と同様、一人で前を歩きはしゃぎ回っている。もうすっかり元気も取り戻したようで、振り回される周囲の人の方が一苦労という具合だ。もっともその『周囲の人』と呼べそうな人に、若干の変動があったようにも感じているが。
「…………」
「いって! 何するんだよ!!」
すぐ真横にいた有理紗は無言のまま、俺の頬を思いっきりつねってくる。とてつもなく痛い。そもそも俺が何したというのだ!?
「何するんだじゃないわよ! あんたのせいであたしが大変じゃないの!!」
「そんなの、俺にじゃなくて本人に直接言えばいいだろ!」
「そんなこと言って華音ちゃんがまた倒れたらあんたどう責任取ってくれるのよ! そもそもあんたたちが喧嘩してるのが原因でしょうが!」
「別に喧嘩なんか……」
そもそも俺と華音は喧嘩してるのだろうか。それさえもどうにもはっきりしない。俺が華音を虐めたわけでもないし、言い争いなどをしたわけでもない。
ただあの日から、距離感だけが変わってしまったのは事実だった。俺が真実を伝えた日、俺が華音の全てを奪ったのだと白状した日。それ以来、華音と俺はほとんど会話を交わすことさえなくなってしまった。元々学校では一緒にいることがほとんどなかったが、今回はそれだけではなく、俺が朝起きて華音に挨拶しても、華音はつんとした顔で俺の視線をぷいとやるだけで、挨拶ひとつ返してくることもない。華音は華音で俺に話しかけてくることもなく、さっきのように何かとあると『有理紗先生〜』って。
そのせいで俺が有理紗からつねられたりするのは、やはり心外というやつだ。
「特にあいつが俺を避けてるだけだ」
「それはあんたがこれまでずっと冷たい態度を取ってたからでしょ。この身の程知らずが」
「…………」
それを言われるとさすがに返す言葉を失う。確かに俺は、ずっと華音に冷たい態度を取っていた。俺と関わるとろくなことないって、それを華音に伝えようとして。実際に華音から歌を奪ったのは、俺のせいだったわけだ。やはり俺は疫病神であって、華音みたいな純白の小動物であれば、俺の近くに寄るだけでその暗くて深い闇の中に迷い込んでしまうはずだ。
だからむしろこれでいいんだって。あいつはあいつで、俺は俺だ。
あいつが俺と口を利かないのであれば、むしろそっちの方がいいんだ。その方が華音もしっかり前を向いて、声優として大きな一歩を踏み出せるというやつだろう。それを俺は邪魔してはいけない。それだけのこと。
ごつん!
「いって。だから何してくるんだって言ってんだよ!」
今度は有理紗のグーの拳骨が飛んでくる。横浜まで来て何してくれるんだ?
「さっきから何勝手に納得したような顔してるのよ!」
「別にそんなこと……」
「あんたが華音ちゃんエスコートしなかったらあたしが面倒だって言ってんのよ! とっとと仲直りしなさいよね!!」
「な、エスコートって……」
そもそもあいつは自分勝手に前をちょろちょろしてるだけじゃないか。あんなやつのエスコートなんかしてたら体力がどれだけあっても足りないだろうし、そもそもなんで俺が華音のエスコートなんてしなきゃならないんだ!?
「あんたってほんっと、バカよね〜」
「ってなんでそこでバカ呼ばわりされなきゃならないんだよ!」
「華音ちゃんの乙女心ひとつ読めないんだから、男としてだらしないわ〜」
「…………って、なんだよそれ」
別にあいつの乙女心なんか……。
てかあの小動物にそんな乙女心なんてあるのだろうか? それすら疑わしいくらいだ。
華音は山下公園のカモメを追っかけ回している。まるでその姿は小さな獲物を狙う子猫のよう。何がそんなに楽しいのだろうと不思議に思えるくらい、満面の笑みを光に反射させていた。
本当にどうしてあんなに笑顔でいられるのだろう?
つい一時間ほど前に、あんなことがあったばかりなのに。
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