華音と歌

「今日のラジオ番組収録中に、突然華音ちゃんが歌を歌うと言い出したのです」


 未来はその時の状況を思い出すように、ゆっくりと説明し始めた。

 今日の収録というのは前回未来と華音が共演した生番組としてではなく、収録後に編集して、後日インターネット上に公開されるという形式のものだった。アイドルグループ『BLUE WINGS』の活動が忙しくなってきたため、未来の都合が合わせにくくなってきたとか、そんな理由だと昨日華音から聞いた覚えがある。


「あたしは事務所から華音ちゃんが歌えないことを伺っていたのですが、話題がカラオケの話になったときに、『そしたらわたし歌ってみる、声優だもん』って、華音ちゃんが。こんな事態になるならなんとしてでも止めておくべきだったって、それが本当に申し訳なくて……」


 未来は俯いたまま、自分を責め続けているようだった。やや性格が破天荒なメンバーの多い『BLUE WINGS』にあって、随一の真面目キャラでもある未来。ただその性格が仇となって、必要以上に自分を追い込んでいるようにも見えた。


「未来さんは何も悪くないわ。事情をちゃんと伝えていなかった事務所が悪いわけだし」


 有理紗がそうフォローする。未来と華音は同じ事務所であるが、そこで未来を責めたところでたしかに筋違いというものだろう。


「でもね……。華音ちゃん、なんであたしとの約束破ったのかな?」


 だがその有理紗の視線は、華音の方へと向かっていた。


「だって……」

「あたしが少しずつ、ゆっくりねって毎日伝えてたはずなのに、倒れるまで歌い続けるって、約束違反にもほどがあるんじゃないかしら」

「だって…………」


 暗くて詳細な表情まではわからないが、華音は後悔というよりも、ただしょぼくれたような声を出している。反省してやや泣き顔の未来とは真逆で、まるで子供の駄々っ子のような、跳ねっ返りの返事を有理紗に返す。自分で巻いた種はあくまで自分の責任でと、そんな風にも感じられた。

 ……たく、どれだけ人を心配させれば気が済むのか。


「今朝ね、さっきまでここにいたママから電話があったの。離婚したって」


 すると物語の冒頭部分を語るように、華音は強弱をつけず、そう切り出してきた。


「わたしさえいなくなれば、パパとママが離婚なんてしなくて済むんじゃないかなって、そう思っていたのに。毎日互いに顔を合わさず、パパとママが好きな時間に帰ってきて、好きな時間に仕事に行くだけ。間を繋ぐわたしという存在さえなければ、親権がどうとか考えなくてもいいし、そしたらどこにも離婚する理由なんて存在しなくなるんじゃないかなって……そう思っていたのにね」


 数時間前にも有理紗から聞いた、華音の願い。両親の離婚を回避するため、娘である自分が家出をする。こんなこと許されていいのかという気にもなるが、それが華音が選んだ選択肢だったんだ。

 だけど今こう改めて聞くと、どこか華音らしい発想のようにも聞こえた。もちろんそれが正解とかいう話ではない。そうじゃなくて、俺の知らなかった華音の素顔という意味で。


「わたしには歌さえあれば、一人でも平気だったんだ。楽しくても、辛くても、寂しくても、歌があればそれを一時的にでも忘れさせてくれるから」

「まさかあなた……」


 すると有理紗は気づいたようだ。いや、それには俺も当然気づいたが。


「だから今日もそうすれば……歌さえ歌えれば、乗り越えられるかなって」


 華音の語尾がさっきよりもだいぶ弱くなっていたことがわかった。やりきれない。そんな華音の悔しさが、俺の胸を強く締め付けてくる。


「それでこの有様だもん。情けないよね。歌を歌えなくなって、パパとママの離婚という話を聞いて、もうわたしには手段がないってことなのかな……?」

「それは……」


 それは、何の手段のことだろう? 俺はその手段の正体についてふと疑問を感じたが、最後まで言葉に出すことはできなかった。逃げてるだけかもしれない。それでいいのかわからないが、今はその時間も必要かもしれないんじゃないかって。


「でもね、一番悔しいのは、わたしが救急車で運ばれる時に聞こえてきたスタッフさんの言葉かな。『やっぱり歌の歌えない声優なんてありえないよな』だってさ。なんだか思わずおかしくなっちゃった。声優って、そんなことでも評価されちゃうんだなって」

「華音ちゃん。それは気にしちゃダメ!」


 ここぞとばかりに、有理紗がきつく華音を叱る。


「気にするもん! わたしの大好きな歌のせいで、声優としての評価が下げられちゃうなんて、悔しいもん!! 悔しいに決まってるじゃん!!!」


 今晩は絶対安静という話じゃなかったのか。華音の強い気持ちが声となって出ていった。

 華音は今日のことについて、後悔など全くしていなかった。後悔ではなく、今もまだ悔しいままなんだ。自分が歌えないことで、大好きな歌のせいで何もかもがうまく行かなくなっていることなどが。それは大きな雪崩となって斜面を滑り続けていて、今は誰にも止めることができないままでいる。有理紗がどんなに有名な音楽の先生であっても、こればかしはどうすることもできないのだろうか。


「あの〜、答えられたらでいいのですが……」


 するとそこへ未来が、おどおどした声を上げる。


「華音ちゃんが歌えなくなった理由って、そもそもなんでしたっけ?」

「歌えなくなった理由……?」

「そうです。素人の意見ではあるんですけど、実はもしかしたら華音ちゃんが歌えるようになるヒントがそこにもあるんじゃないかって。……あ、もちろん答えられたらでいいですけど」


 素人の意見というより、未来の言い分にも一理あるような気がした。というより未来だってプロのアイドル歌手だ。少なくとも『BLUE WINGS』の中では一番の歌い手とされている程度には。ひょっとすると未来にもそれと似たような経験があったのかもしれない。


「歌えなくなった理由ねぇ〜……華音ちゃん、何だったっけ?」

「って、有理紗も知らないのかよ!!」


 おい。有理紗が華音のカウンセラーって話じゃなかったのか……?


「あれ? 言ってませんでしたっけ。別に大した話じゃないんですけど……」

「聞いたような聞いてなかったような……」


 いやその声、明らかに有理紗は忘れているとかそんな類の声だ。本当にどれだけいい加減な医者なのだろう。まぁ有理紗はあくまで音楽の先生であり、医者というタイプとは間違えなく異なっているが。


「ママから離婚の話を初めて聞いた時、ある音楽を聞いてしまったことが原因なんです」

「音楽……?」

「あ〜、思い出した。その話、やっぱし聞いてたわ。うん、今思い出した」


 未来と有理紗が真逆の反応を返す。恐らくは未来の反応が一番正しくて、それがどう歌が歌えなくなることと関係するのか、わからなくて当然だろう。

 だが……。


「一時期ネットで話題になったのですけど、『月神の讃歌』っていう曲、未来さん知ってます? それ聴いた人が興奮して自殺しちゃって、今では世界中のインターネットのどこを探しても見つからないという幻の曲なんですけど……」

「ああ……うん。その話なら、聞いたことはあるよ。あるけど……」


 どことなく視線を感じた。冷たいのか温かいのか、それすらもわからないが。


「それでね、わたしの場合は自殺するまでは行かなかったんだけど……」


 その先、華音は言葉にすることはなかったが、話の流れとしては理解できた。ようは華音の場合、両親の離婚話で強いショックを受け、その曲のせいで一時的な興奮状態となり、まるで暗示にもかけられてしまったかのように歌を歌えなくなってしまったとか、そんな類の話のようだ。

 ……ってそんな話、馬鹿げてる。そもそも音楽のせいで人が死ぬとか、歌が歌えなくなるとか、どうやったら科学的に結びつけることができるのかって話だ。俺はそんな話、信じたくもない。


 だけど俺はそんなくだらない話に嫌と言うほど振り回され、何度も何度も検証を行った。そんなことあってたまるかって。だから俺は……。


「ようはその音楽作った犯人をとっ捕まえて、華音ちゃんの歌えない病を治す特効薬を作れって話よね。まったく、どこの誰だかわからないけど、迷惑な音楽を作ってくれちゃったもんだわ〜」


 有理紗がそう答える。まるでその音楽を作った人物こそが真犯人であるかのように。

 本来の真犯人とやらは、その曲を聴いた当事者だと俺はそう思っている。華音の場合は自分と言うより、自分のいた境遇、つまりは両親のせいなのかもしれない。だがそのせいで歌えなくなったというのは、やはり華音自身のせいとなるのだろうか。そこへ追い打ちをかけるように……まるで魔法にでもかかってしまったかのように、音楽は華音の奥底に眠る不安全てを増幅させてしまった。そういうお話。


 つまり、俺のすべきことというのは――

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