我儘な一人娘の野望
「でもお母様、華音ちゃんは自分の意志でこの部屋にいるのですけど……」
有理紗は華音の母親に対し、そう切り替えした。恐らくその言葉に偽りはないのだろう。そんなことは華音の態度を見ていればすぐにわかる。華音は家出じゃないときっぱり言い張って、この部屋に住んでいる。少なくとも自分の家に戻りたいとか、そんな言葉は一切出てきたことがない。
いやむしろ―― あいつはここに来たその日に、俺と有理紗の関係を見て、この部屋が家族みたいだとまで言い出しやがったんだ。
「そんなことわかってます。これまで華音に寂しい想いばかりさせていたので」
「だったら……」
「それでも、もうちゃんとやっていきたいと私も考えたんです。だから……」
もう……とは?
「それで華音ちゃんの父親と離婚までして……」
「そうです。離婚して私は、実家に帰ろうと思います。実家には私の両親もいますし」
離婚だと!? 思わず俺は有理紗の顔色を伺い、その真偽を確認しようとしたが、有理紗は黙って落ち着きなさいという顔で俺に返してくる。どうやらそれは真実のようだ。
「つまり華音ちゃんをお母様の実家に呼んで、面倒はお母様の両親に面倒をみていただく。そういうことですか?」
「別にそういう意味では……」
「まぁあたしは人様のご家庭に口を出すつもりはないのですが……」
有理紗は鋭い視線を華音の母親に叩きつける。音楽の講師だけあって眼力があった。
「それは本当に、華音ちゃんの意志に繋がるものなのでしょうか?」
そしてあくまで自分の意見として、華音の母親にそれをぶつけたんだ。
「それでも華音は、私のたった一人の娘なんです。だからどうしても……」
「それは否定しませんし、さっきも言ったとおり、あたしはそれに対して口出しはしないつもりです。だけどあたしはお母様の意見だけを尊重したいとはどうしても思えないのです」
葛藤。もちろん華音の母親の言い分はごもっともだ。娘は娘らしく、母親の元で暮らすのが一番だと思う。そんなの俺が言っても何の説得力はないが、だけど本来なら親子というのは一緒に暮らすべきであって、全く血の繋がりもない人間と一緒に暮らしても、それは本当の家族とは異なるだろう。
だけど―― だけどだ。有理紗の言うとおり、そんなのは母親の身勝手な言い分でしかない。本来一番大切にされるべき、娘本人の気持ちというものは、この話の中にどこにも存在しないのも事実だった。
「お母様。なぜ華音ちゃんがこの部屋に暮らしたいと言い出したか、ご存知ですか?」
「え……? 申し訳ございません。私、存じていなくて……」
華音の母親は唐突に質問されて、返答に窮しているようだった。
それは俺も知らない。聞いたことがないから当然かもしれないけど、華音の母親さえも知らないというのは意外な気もした。てっきりそれを承知で、この部屋に娘を託したんじゃないかと思っていたから。
でももしそうなら、華音の母親がこんな形で今日ここに訪ねてくるのも何だか妙な話にも思えた。いや、むしろ必然だったということか。何も知らない母親が、自分の都合で自分の想いだけをぶつけて、帰る気のない娘を引き取りに来た……?
「まぁ華音ちゃんが勝手に始めたことでしょうから、お母様がそういうのは無理はないかもしれませんね」
有理紗は小さく笑みを零した。それは華音の母親に対してではなく、あくまで華音の無謀な企みを笑っているようだった。
「華音ちゃん、自分が家出すれば両親が離婚しなくてすむからって、そう言ってこの部屋にやってきたんですよ」
記憶の一ページを辿るように、有理紗はその事実を伝えたんだ。だがその答えはあまりに残酷であって、皮肉な結論しか迎えていない、そんなお話でもあった。
「そんなの何の確証もないじゃないってあたしも言ったのだけど、それでも家族が壊れていくのを自分は見たくないからって。自分が家を出れば、パパとママが協力しあって、いずれ自分を迎え入れてくれるはずだって。……ほんと、あの時あたしは止めておくべきだったのかもって、今は少し後悔しているんです」
華音の母親の顔が崩れていく。やり場のない気持ち。それが前面に溢れている。
華音のやつ、本当は両親のことを信用したかったのだ。だから無謀な賭け事であっても、自分の決意を折り曲げたりしなかったのだろう。ただしそれは見事なまでに裏切られた。華音の母親は、離婚すると言い出しているのだから。
「お母様。こんなこと、あたしが言うべきことじゃないかもしれませんが、そんな華音ちゃんの気持ちを無下にするおつもりでしょうか?」
有理紗はもう一度、華音の母親にそれを質問したんだ。
だけどそうだとするなら、どうするのが正解だったのだろう。これからどうしていくのが正解なのだろうか。両親を信じて家出までした一人娘。最初からただの子供の駄々っ子だったのかもしれない。その気持ちは見事に裏切られてしまった。そこで時計の針はぴたっと止まってしまう。華音の行き場のない想いが、俺の中をぐるぐると彷徨い始めた。
あいつ、他人のことばっかりで全然自分のことを話そうとしないから――
俺のスマホが光で着信を伝えてきたのは、まさにその瞬間だった。
鞄の中でぶるぶると震え続け、その重い空気をぶち壊すかのように、いやむしろ迷惑な程度に音を立てて響き渡る。すぐにでも静かにさせようと俺がそのスマホを手にすると、意外な人物からの着信であることに気づく。発信相手はアイドルグループ『BLUE WINGS』の歌姫、
『収録中、華音ちゃんが病院に運ばれた。すぐに来て!』
チャットにはこんなことが書いてある。
別のことで頭がいっぱいだったせいだろう。その言葉の一つ一つが宙に浮いてしまい、内容を理解するまでに少しだけ時間がかかった。ようやくその言葉に追いついてそれぞれを結びつけると、俺の頭は再び真っ白になった。
「有理紗。華音が大変だ」
気がつくと俺は、無意識にそう大声を出していた。
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