止まってしまった震動

「今大注目の新人声優って話題になってるじゃんか」

「……そうなのか?」

「ネットとか見てないのか? あの『六等分のケーキ食べられますか』の六海むつみ役に大抜擢されたとかで、春アニメは今その話題で持ちきりだぞ?」

「そんな大袈裟な……」

「大袈裟なんかじゃねーよ。昨日も予告編動画がアップロードされて、その声を担当してたのが七野かのん。あのなんとも言えないキュートな声が、世の男子共を魅了してるらしいぞ」


 確かにその予告編動画は昨日のうちに華音に観させられた。帰宅するなり俺は華音の部屋に拉致されて……いや、容易に男子高校生を自分の部屋に招く女子高生というのもどうかと思うのだが、華音の性格的にはそういうことも何も問題ないらしい。当然俺の方が理性的に問題あって、入室するのを完全に躊躇したわけだが、まさに拉致という言葉が正しいだろう。半ば強引に俺は華音の部屋に連れてかれて、動画の感想を求められたんだ。当然俺は『いいね』ボタンを押すしかない。明るくはしゃぎ回る華音の顔に俺は若干の苛立ちを覚えたが、そんな俺の素顔を華音には隠すので精一杯だった。


 その動画の中には、俺の知ってる華音がいた。

 それとは別に、俺の知らない華音がいた。


 『七色なないろ神音かのん』とはよく言ったもので、それは華音であり、華音ではなかったんだ。あっという間に俺の心を吸い込む独特な声音は間違えなく華音の声であったし、それと同時に、アニメの世界の中にいる六海の声でもあった。六海が画面の中から飛び出して、すぐ目の前を飛び回って、俺に笑顔で語りかけてくる。気がつくと既に華音と六海がシンクロしていた。華音の演技が上手いとか、そんなつまらない言葉の評価は必要なくて、何もかも全てを通り越している。華音が六海そのものに化けていたんだ。


「確かに、演技は上手かったな……」

「なんだやっぱし大河も観たんじゃねーか。あれ、鳥肌ものだよな?」

「……ああ」


 もっともその声音が、今からちょうど一年前に騒がれた『七色の神音』の持ち主、のかやみななのそれと同一であるという事実は、世間一般的に一切知られていない。もちろん宏だって知るはずもないだろう。華音はそれを隠して、七野かのんとして再デビューを果たしたわけだから。

 とはいえ、やはりその伝説は本物だったということだ。今再び、『七色の神音』が完全復活を遂げようとしている。もうその名で語られることはないかもしれないが、またいつその伝説の呼び名が復活してもおかしくない、そんな様相を呈している。


「で、要するに大河はそんな声優様のお守役ってとこだな?」

「な……」


 なぜそれを? ……というより、話の流れからこうなることはある程度予測できていた。


「七野かのんって、七宮華音と名前ほとんどそのままだしな」

「ああ。まぁそうなるよな……」

「それに、この前ラジオ番組で話に出てきた作曲家の話って、大河のことだろ?」

「そこまでバレてたらもはや返す言葉もねーよ」


 未来みくのやつがラジオで余計なことを喋るからだ。だからあの芸能事務所とは極力関わりたくないのに。


「ま、全部ひっくるめて、いいことなんじゃね?」

「は……?」


 宏は俺の肩をぽんと叩いて、そんなことを言ってくる。特にからかっているとか、馬鹿にしているとか、そういうのとは全然違うようだ。どうでもいいというよりも、純粋に俺を励ましているのかもしれない。


「大河が七宮さんとどうなろうと俺は知ったこっちゃないけど……」

「だからどうにもなりゃしね〜つの」

「でも七宮さんのおかげで大河が変われるんなら、俺は素直に応援だけはしておくから」

「何の応援だよ……」


 そういうと宏は右手で手を振って、自分の席についた。スマートな笑顔で清々しく、いくらひねくれた俺の性格でも、やはりその顔は二枚目のそれにしか見えない。


 俺は一番窓際の席で、ふと窓の外を見渡す。澄み切った冬の青空が広がっていて、遠くの山々が小さいながらも視界に飛び込んできた。まるで広大なキャンバスに水彩絵の具で描いたかのよう。そしてその一番手前に、俺の顔がすっと入り込んでくる。

 俺の顔は曇っている。どうして俺の音はいつになっても鳴らないのだろう。そんなことを考えている間にも、華音はずっと前を歩き始めていて、もう俺の声が届かない場所にいる。自分の声音をしっかりと震わせて、こんなどうしようもない俺を呼び続けている。


 小動物のくせに。あんな泣き顔を見せてくるくせに。

 だけど俺の音は、そんな目の前の光景すらも震わせられなくて……


 俺は…………。

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