ハーモニカが奏でる時間

 華音は手に一杯のマツバガイとやらを見せてきた。それはとても小さな貝で、ただそんなものを掌にくっつけて気持ち悪くないのかとも思わないこともない。俺もマツバガニだったら主に食料的に大歓迎なのだが、マツバガイとやら、はてどうしたものやらと頭を抱えるしかなかった。


「で、華音。これを一体どうするつもりだ?」

「これ、食べられないかな~?」

「絶対に無理だからやめておけ!!」


 いやひょっとすると俺の知らないだけで、マツバガイを美味しく戴く召し上がり方なるものがこの世に存在しているかもしれない。とはいうものの、さすがにこれを食したいとは思えなかった。

 未来は俺の隣でくすくすと笑っている。何に対して笑っているのだろう。俺に反応に対してであったらいささか心外である。


「なんか君たち、本当に仲いいなって」

「「これのどこが(だ)よ?」」


 思わず反論がシンクロしてしまい、華音と顔を見合わせてしまう。華音はややぷんぷんとした顔を俺に見せつけてくるが、今のでそんな顔をされるのもやはり心外というものである。


「ほら、そういうとこだって」

「だって、わたしは大河くんに嫌われてるし、そもそも大河くん怒ってばかりだし、それでもわたしはめげずに大河くんを喜ばそうとしてるつもりなんだけど、いっつも冷たい反応ばかり返ってくるし……」

「お前それ、俺を喜ばせようとしてたのか?」

「ほら。そういうとこだよ〜! やっぱし大河くん冷たい……」


 いやいや。それ以前に喜ばせたいと思ってるなら他に方法があるんじゃないのか。


「ねぇ。君たちさ」


 すると未来は何かを思いついた顔で、俺達に声をかけてきた。俺と華音はふと同じ顔で未来の方を見る。横目で華音の顔をちらっと確認したけど、何故か俺と同じような顔をしている気がした。……やはり心外だ。


「やっぱり二人で曲を作ってみたらどうかな?」

「「曲??」」


 またシンクロ。いやもはや気にするのをやめよう。


「そ。歌を歌いたくても歌えない声優に、曲を作りたくても作れない作曲家。二人が合わされば、お互いのその病気を克服できるんじゃないかなって」


 そういえば……。未来にそれを言われてふと気になったことがある。俺は、華音がなぜ歌えなくなったのか聞いていない。ついさっき、未来から確かに華音が歌えなくなった話を伺っていたが、その理由までは触れられていなかったんだ。


 そもそも歌えないってどういう意味だ?

 声が出ないとか……いや違う。華音は声優のオーディションに見事パスして、春のアニメからメインキャラクターの役を既に勝ち取っている。必要以上に声が出せないとかであれば、そもそもそんなオーディションにパスできないはずだ。だとするととてつもなく音痴とか? それならわざわざ有理紗の部屋に来た理由もわかるし、いずれは有理紗のもとで、立派な歌手として成長できるだろう。過去にもそんなタレントがいたことがあるし、有理紗はそれくらいであれば容易い御用と言わんばかりに何人もの歌手を排出してきた実績もある。だが問題はそんな話でもないことが容易に想像ついていた。


 俺はそもそも有理紗が華音にレッスンをしているところを一度も見たことがないんだ。

 それは一体どういう意味だろう? 最初はてっきり華音が住み込みを始めた理由は、有理紗に歌のレッスンを受けるためだと思っていた。そもそも華音は藤沢にやってきたその日から有理紗のことを『先生』と呼んでいた。であるなら、やはり華音はなんらかのレッスンを受けに有理紗の元を訪れたのだと思う。

 何度か二人ででレッスンぽい何かをしていることもあった。ただしその場所はおよそ有理紗の部屋。歌のレッスンをするのであれば防音室という名の俺の部屋を借り切ってしまえばいいはず。実際華音以外のタレントがレッスンを受けにやってきたときは、俺は自分の部屋から追い出され、仕方無しに駅前までハーモニカを吹きに行くことがあるくらいだ。だが華音のレッスンは有理紗の部屋。つまり、歌のレッスンなどしていない。聞き耳を立てるのも悪いとは思うが、有理紗の部屋の前を通り過ぎて聞こえてくるのは雑談程度だった。

 レッスンというより、カウンセリングに近い? それは一体どういう意味なのか。


「わたし、歌いたい」


 だが華音は俺の隣でそんなことを言う。極めて前向きな反応だった。

 有理紗のレッスンを受けてるわけでもないくせに……。


「ねぇ大河くん。わたしに歌える歌、つくってよ!」

「つくれと言われてもだな……」


 そもそもお前、俺の前で歌ったことだってないじゃねーか。


「わたしも、頑張るから。だから大河くんも、わたしに曲をつくってくれないかな」


 頑張るって言ったって、何をどう頑張る気だよ……。


「ううん。絶対歌えるようになってみせる。だから……」


 ……あー。やっぱし、なんかむかつくんだよな、こいつのそういうところが。


「だから、大河くん……」

「うっせ〜な! 俺は作曲なんてもうできね〜んだよ!!」


 俺の怒鳴り声に、華音の身体がいつものようにびくっとなるのがわかった。顔は硬直し始めて、またいつものように小動物っぽく縮こまってしまったのがわかる。

 いっつもこれだ。俺は華音に対して怒鳴ってばかり。だから俺は華音に嫌われる。

 ……別に華音が悪いわけでもないのに。


「大河くん……?」

「前も言ったかもしれないけど、俺はもう作曲なんてできない。そんなに歌いたいんなら、他の有名な作曲家にでも作ってもらえばいいだろ」


 そうだ。全然書くことのできない作曲家に書いてもらうより、華音だったら他の作曲家のほうが話題性もあっていいんじゃないか。『BLUE WINGS』の曲を書いてるITOに頼んだっていいかもしれない。あいつのセンスなら、華音の特徴を最大限に引き出して、素晴らしい曲ができるんじゃないかって。

 それに……そういえば未来だって――


「未来だって作曲してただろ。華音の曲だったらお前が書けば……」


 未来は元々、自分で曲を書いてそれを歌って、未来自身の動画チャンネルでそれを公開していたはず。ほぼ毎日のように更新され、本当にどうしてこんなに短時間で作曲できるんだと、俺も驚いていたくらいだ。であるなら華音の曲の一曲や二曲程度……。


「あたしは書かないよ。作曲活動はもう廃業してるんだ」

「な……」


 人にあれだけ曲を書けとか言っておきながら……?


「ま、書けと言われれば書けないことないけどね。でもそれは、あたしの作品じゃない」

「どういう意味だ……?」

「だからそういうことだって。作曲家としてのあたしの時間はもう永遠に動く予定ないから」


 未来は笑いながらそれをごまかしている。本当にどういう意味だろう?

 確かに未来が自分の動画配信チャンネルで活動していたのは、未来が京都で倒れる前の日までだった。今はこうして未来も目を覚ましているが、既にそのチャンネルは更新が止まっている。

 未来の言うとおりで、まるで完全に時間が止まっているかのように。


「でも、君の時間はまだ止まってないんじゃないかな?」

「な……」

「そのハーモニカがそれの証拠。君、藤沢駅前で何度も自分の曲を吹いてるじゃん」

「な、なぜそのことを……?」

「あたしもまだ有理紗先生のレッスンを受けにたまに藤沢行くし、その度に駅前で君のハーモニカをこっそり聞いてるもん」

「…………」

「あの時と何も変わらない、素敵な音色。あたしは君の曲のファンだったから」


 俺のファン? 有理紗のやつ、俺の筆名をバラしてたのか。


「もし君が本当に作曲を諦めているのなら、もう自分の曲を吹くこともできないんじゃないかって、あたしはそう思うんだな」

「俺は……」


 俺は、本当に作曲を諦めているのだろうか。

 有理紗には毎日のようにピアノを怖がるとかバカみたいなどと言われる。華音には『お前の曲なんて誰が書くか』などと毎日のように罵ってしまっている。

 だけど、それは俺の本心なのか?


 そもそも作曲家ではない俺って、一体誰なんだろう?


「大丈夫だよ。君のハーモニカの時間は、まだ止まっていない」

「…………」

「でももし本当に止まってしまったら……ううん、大丈夫。君の時間は止まらないよ!」

「どうしてそう言い切れるんだ?」


 俺の時間? そもそもそれは、何のことだ?

 未来はそんな俺の声音を確かめるように、弾け飛ぶその音符にそっと触れてきた。


「華音ちゃんが君の時計の針を動かす原動力となっているから」

「華音が……?」


 思わず華音の顔を確認した。やはりあわあわしており、いつもどおりの小動物だ。


「だって君、有理紗先生の前以外で、いつもこんなに笑ってなかったじゃん」


 俺…………そんなに今日、笑っていたか?


 足元にあった海の水溜りを覗き込む。そこには陽の光とともに俺の顔が映り込んでいて、何やら難しい顔をしていた。確かにそこにいるのは俺ではあるのだけど、未来の言うとおりと言うべきか、やや違和感らしい何かがあった。

 そこへ、同じ水溜りの中に華音の顔も映り込んだ。どうやら何かいると勘違いしたらしく、俺のすぐ横で水溜りの中を探し始めている。もちろん何を探しているのかは定かでない。それはきっと、華音も一緒だろう。


 確かにこの小動物が隣りにいると、俺の時間がくるくると狂い始めそうだ。

 その時間が居心地が良いものかどうかは、とりあえずそうは思わないけど。

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