黒い化け物と七色の神音

「そもそもあんたそれだと防音室に幽霊が出るって言ってるようなものじゃない」

「だ、だから出るわけないだろそんなもの!」

「で、出るんですか……?」


 有理紗の横槍のせいで、華音の顔から不安の色が再び蘇ってきやがった。なんて余計なことをしてくれるんだろうこのおばさんは。こんなだからいつになっても白馬に乗った王子様とやらがこのおばさんの前に現れないんじゃないのか。

 それに華音も華音だ。幽霊なんていう非科学的なもの、この世に存在するわけないだろ。そんなものに怯えやがって、本当にこいつは俺と同じ年なのか?


「華音ちゃん安心して。大河の言うように幽霊なんて出ることなんてないから」

「そうなんですか……?」

「そうよ。こいつ、別のものに怯えて防音室に入りたくないだけなの。そのくせ勝手に言い訳をつけて華音ちゃんに防音室を押し付けようとしているだけよ」

「な。言い訳なんて俺は……」

「言い訳でしょ? あたしは間違ったことを言ったつもりはないわ。そもそもみんなで使う防音室が可愛い女子高生の部屋と共用だなんて、そんなことできるわけないじゃない。だからあんたが防音室に引っ越すの。そんな簡単なこともわからないなんて、あんたもまだまだただの糞ガキね」


 有理紗の言うとおりだった。俺だって頻度は少ないとはいえ、黒い化け物に我慢しながら防音室を利用することがある。そんな部屋に女子高生のあんなものやこんなものが置かれていたら、落ち着いて演奏できるものもできたものじゃないだろう。それにあの黒い化け物のことだって有理紗の言うとおりで、俺は……。

 華音の顔が明るく光り始めるのと引き換えに、俺の胸はしゅんと小さく縮まっていく。情けなくて、悔しくて……。


「まったく。ピアノが怖くて作曲できなくなった作曲家なんて聞いたことないわよ。あんたとっととその病気治しなさいよね? お金も稼げないような高校生を養うほど、あたしは稼いじゃいないわ!」


 そんなこと、俺だってわかっている。わかっているのだが……。


「お金を稼げないって、高校生だったらそんなの当たり前じゃないか。そんなこと言ったらこいつだって……」


 こんなのくだらない反論でしかないことだって、もちろん俺は理解していた。本当に俺はどうしてしまったのだろう。これでは作曲もできないどこにいる男子高校生が、すぐ隣りにいたごく普通の女子高生に八つ当たりしているだけじゃないか。こんなの、華音には何も罪はないはずなのに、俺の胸の奥にはただただ罪悪感だけが積もり積もっていく。


 だが次に有理紗から聞かされた内容は、俺の想像したものとは別のものが返ってきたんだ。


「あら残念。華音ちゃんは大河と違って春に声優デビューが決まっているのよ。あんたみたいな売れない作曲家なんかとは出来が違うんだから」


 この泣き虫女が、声優デビューだと?


「まぁ声優デビューとは本当は違うんだけどね。華音ちゃんは元々声優としての実績があるのよ。春から始まるアニメは、華音ちゃん声優復帰の第一作品目ってわけ」


 確かに有理紗のこと有理紗先生と呼んでること自体が、華音が芸能事務所に関係していることを示している。有理紗はあの黒い化け物の先生でもあるが、同時に音楽全般のプロ講師として、歌のレッスンなども行っている。最近ではアイドル歌手の育成などにも携わっているらしく、昨年も元国民的女優の春日かすが瑠海るみがこの部屋に現れたときには俺もさすがに驚いた。まるで部屋中に散らばる見えない花が一斉に開いたかのようで、急に部屋が明るくなったような錯覚を覚えたくらいだ。本物の芸能人というやつは、本気でオーラからして違う。

 だけどそうだとすると、華音というのは……。


「ちょっと待てよ。俺、『かのん』なんて名前の声優、知らねえぞ」

「彼女の名前は七宮華音しちみやかのん。それをひっくり返して読んでみて」

「えっと……んのかやみちし? 何だその暗号は」

「バカね〜。そこから最初の『ん』をとって、七というのは『なな』と読むのよ」


 なんでそこでバカ呼ばわりされなきゃならないのか。……というのは口に出さず、もう一度言われたとおりに並び替えてみる。えっと〜……


「のかやみなな。……ってまじかよ!??」


 その名前らしきものを、俺は当然聞いたことがあった。

 昨年、春頃だっただろうか。突如声優界に現れた期待の新星。その摩訶不思議な音の並びを持つ名前にも注目は集まっていたのだが、名前以上に異彩を放っていたのがその声音だ。

 『七色なないろ神音かのん』。誰が評したか、いつの間にかそんな呼ばれ方をされていた。新人声優である、のかやみななが主役を務めたアニメは、主役のその表現力豊かな声音により注目が集まっていたんだ。当然ではあるが謎の声優のかやみななの次回作を期待する人だって多かった。

 だが、のかやみななは今どきの女性声優としては珍しく、顔出しすらしなかった。それどころか去年の春アニメ以降、全く名前を聞かなくなる。ネットでは数々の噂が流れていたようだが、俺はそこまで興味はなく、どんな噂が流れていたかまでは存じていないが。


 もう一度俺は、華音と呼ばれる女子の顔を観察した。その美しい瞳は窓から差し込む夕日の光を浴びながらきらきらと輝いていて、だけどそれは涙などとは違う正真正銘の煌めきだった。

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