Lesson1: ハーモニカに差し込む小さな光

部屋に潜む幽霊と黒い化け物

新しい部屋と豚骨ラーメン

 有理紗のやつ、どれだけ豚骨ラーメンを待ちきれなかったのだろう。まだ夕方の十七時になったばかりというのに、ラーメンの具材はキッチンカウンターの上に調理済みのものがほぼほぼ準備されている。後は麺を茹でるのみという具合のようだ。それにしてもいつにもまして豪華な食材が並んでいる。手元にあったプラ容器を見ると、『角煮用国産黒豚バラブロック 400g 2000円』などという値札が付いていた。国産黒豚としてはお手頃価格なのかもしれないけど、こいつをラーメンの具材にしてしまうのはいかがなものか。これだからプロの音楽の先生とかいう類の人間は大の苦手なんだ。


「ちょっと大河。あんたもとっとと着替えてきて手伝いなさいよ」


 包丁を縦に持った有理紗の腕が、俺の目の前にやってきた。これはさすがに危険だ。


「てかもうほとんどラーメンできてんじゃねーか」

「そうね、確かにあとは麺を茹でるだけね……」


 すると有理紗は包丁の刃を俺に突きつけたまま近づいてきたかと思うと、小さな声で耳打ちをしてくる。華音と呼ばれる女子はキッチンカウンターの向こう側、二十畳ほどのリビングを、未だにきょろきょろしている。そいつには聞こえない程度の声でそっと……。


「せっかくあんたと同じ年の華音ちゃんが同じ部屋に暮らすんだから、あんたもいいところを見せてやれって言ってんのよ」

「は!??」


 思わず大声を返してしまったので一瞬その女子が振り向いたけど、そいつの視線は再び俺達以外の方をふらふらし始めた。


「あいつ、俺と同じ年なのか?」


 なんとかその場を取り繕い、俺は女子に気づかれないようひそひそ話を再開する。


「そうよ。あんたと同じ、高校二年生。確か高校もあんたの高校に転校するって言ってたから、来週からはあんたが学校を案内してあげてね」

「まぢかよ……」


 何か急に面倒くさいことを押し付けられた気がする。同じ部屋というだけに留まらず、学校まで同じになるのか。正直変な噂を立てられるのはまっぴらごめんなので、なるべく近くを歩きたくないのだが。

 というのもあいつ、どうやったって目立つ。目元はぱっちりしていて、小さな鼻と口は真っ白い顔面をさりげなく彩っているかのよう。控えめの赤いリボンでポニーテールを作り、すらっとした黒髪が肩くらいの場所までふさふさしている。有理紗のことを先生と呼んでいたということは、芸能事務所に所属するタレントだろうか。華音なんて名前の芸能人は聞いたことないが、そもそも芸名を使っている可能性だってある。あんなやつと一緒に隣を歩いてみろ。学校中に噂が広まるのなんてあっという間だろう。


 俺は有理紗に言われたとおり、自分の部屋へ向かう。それと同時に、別の疑問もふつふつと湧いてきていた。この部屋はマンション最上階の3LDKの部屋だ。玄関からリビングへ続く廊下があって、一番手前が有理紗の部屋、次に俺の部屋、そして一番奥のリビングへと辿り着く。もう一つの部屋はリビング内に入口がある。この部屋だけはがっちりとした防音完備の部屋となっていて、俺の大嫌いな黒い化物がいる部屋でもある。要は音楽の練習場だ。ハーモニカだって駅前まで行かずここで練習すればいいのだが、俺はあの黒い化物が大嫌いなのでなるべく近づきたくないんだ。

 さて、話は問題の方へと戻る。だとすると華音ちゃんと呼ばれるあの女子は、一体どこに住むというのだろう。空いてる部屋と言えば、リビングか防音室くらいだ。学校を変えるくらい長い期間居続けるということは、まさかリビングに住むことはないだろう。だとすると残りは防音室だ。ただし、部屋の中央にあの黒い化物が居座り続ける防音室は、果たして寝泊まりするのに最適と呼べるだろうか。確かに防音完備だけあって夜はそれなりに暖かいし、リビングと並んでいるが故、窓から見える景色も最高である。さらにはリビングに次いで、二番目に広い部屋でもある。……うん、実は悪くないんじゃないか。

 ともすれば、華音とかいう女子には最適の住環境なのかもしれない。間違いない。


「あ、あんたの部屋、そっちの防音室に移ってもらうから」

「は!??!?」


 着替えた後、リビングに戻ってきた俺に浴びせられた有理紗の第一声は、明らかに予想外だった。

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