辿り着いたマンションにて

「ところで住所はどこなんだよ?」

「えっと……わたしのマンションはこれみたい」


 ようやく坂道のてっぺんが見えてきた時、その沈黙を打ち破ったのは彼の方だった。彼女は住所の書かれたメモ帳を取り出すと、慌てて部屋番号だけを親指で隠して、マンション名だけを彼に見せた。


「なんだ。本当にあのマンションじゃん」

「そうなの? 滅茶苦茶大きいマンションのようにも見えるけど」

「ああ。最上階からの景色なんて、もう最高だぞ」


 彼の笑顔は夕焼けに反射してほんの少しだけ心強く思えた。まるで本当にこのマンションの最上階にでも住んでいるかのよう。でもそんな窓の景色なら自分にも容易に想像できる。こんな高い丘の上でしかも最上階なんて、どれだけ見晴らしが素晴らしいことだろう。この辺りなら江ノ島まで見えるのだろうか。朝起きると窓から湘南の海が出迎えてくれるなんて、それだけでも毎日が楽しくなりそうだ。

 ふと思い立って、彼女は親指で隠していた部屋番号をこっそり確認してみた。そこには四桁の数字が並んでいる。しかも一番上の位の数字がゼロではなく、イチになっていた。ということは、今日から住む部屋は十階以上ということだろう。彼女の頭の中はきつねうどんから、湘南の夕焼けの景色に変わりつつある。


 それにしても……。この少年、なんでこのマンション名なんて知ってるんだろう? わたしはこれまでずっと同じ街に住んでたけど、近くにあったマンションの名前なんて、覚えているどころか気に留めたこともなかった。だとするときっとこのマンションの隣辺りに住んでる人か、あるいは……。


「おい着いたぞ。中、入らないのか?」


 彼女がそんなことを考え込みながら歩いていると、マンションの入口までやってきていた。彼もすぐ隣りにいる。ということはやはり、同じマンションの住民ということなのだろう。

 でも……まさかのストーカーってこともあるんじゃないだろうか。わたしを案内するだけしといて、やはりその見返りを求められるのかもしれない。そもそも見返りって何? わたしは今日無事に引っ越しできるのだろうか。


「わたし、まだ鍵持ってないの。だから……」


 彼女は恐る恐る口が動く。尚、彼は彼女の怯える様子に困惑しかしていなかった。


「なんだ。だったら開けてやるから、あとは適当に自分の部屋まで行ってくれ」

「うん、そうする」


 彼は一階のオートロックの入口を自分の鍵で開けると、彼女もマンションの中へと入っていく。二人は同時にエレベーターに乗ると、彼女は先程確認した四桁の番号から推理して、自分が降りるべき階の番号を押そうとした。すると自分が押そうと思ったボタンを彼に先に押されてしまったんだ。


「え、同じ階なのか?」

「う、うん。そうみたい……」


 その階とはさっき話に出てきた最上階だ。このマンションの中でも最も価格帯が高い物件のはずで、元々部屋数もそんなに多くなく、四つ程度だっただろうか。しかしだとすると彼には一つ疑問が湧いてきた。はたして、自分の部屋の周りに空き部屋なんてあっただろうか。だとするとその部屋のどこかに、新しい同居人として引っ越してくるという、そんな話かもしれない。

 いずれにしても自分には関係のない話だ。ひとまず帰宅したら部屋の片付けでもしておかないと。今朝同居人のおばさんに、自分の部屋の片付けておくようきつく注意されたばかりだった。あのおばさん、自分の部屋の汚さを棚に上げて、俺にばかり片付けを促してくるんだ。いくら自分が居候とはいえ、さすがに納得がいかなかった。

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